24/5/25 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

結果と可能性

彼らは自らの実績(社会)を示して、私に結果(前提)を通して語ろうとする。私は彼の過去(因果関係)という自他か絡み合った心の世界に対して、彼の持論にしている実績が組織の因果(ノーハウ)であり、彼独自の考え方というものがないと感じている。それゆえ、彼の言動から、これから先の可能性が消されている。彼の表現が結果から導かれるものは組織の過去(思考停止)に過ぎない。それに対して可能性とは、組織の因果によって生じている重圧との対立から生じる新しい個々の考え方という新しいアイデアが重圧によって消されていくことに対する訴えということになる。

 

愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それはキリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ち溢れるためです…第一ペトロ4:12~13

 

私たちの信仰とは今から先の可能性を求めるものであり、そのためには、過去の実績を行使するファリサイ派、律法学者とイエスの対立している聖書の内容をよく吟味し、自らの立場がどちらかを判断しなければならない。時代は心をなくした人々が行き交う影絵のような言語環境であり、その雑多で混沌な環境(情報が上から下に流れる一方的なヒエラルキー)から抜け出すような自らの考え方というものが重要となる。

 

あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他者に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい…第一ペトロ4:15

 

混沌のなかで悪意の種が育ち、日々のニュースが悪あがきの結果であるとしたら、その結果を正義とする時代の価値に対して戦いを挑むように、イエスキリストが立てる前提である、信仰の道というものを通した、ヒエラルキーを消した、未知の可能性という神からのメッセージを受け入れる生き方への模索が始まる。

 

「正しい人がやっと救われるのなら、不信人な人や罪深い人はとうなるのか」と言われているおりです。だから、神の御心によって苦しみを受け入れる人は、善い行いを続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい…第一ペトロ4:18~19

 

  • マイクロマネジメントとしては、たとえば、議事録の書き方をいちいちケチつけたり、報告書の書き方も自分のフォーマットに従わせたり、客先へのアポイントのとり方や会議の進め方、行動計画への内容への介入など多岐にわたって口出しする行為のことです。もちろん、新入社員への教育や、はじめて経験する社員へのOJTの一環として行われている分については問題ありませんし、部下が自ら指示を仰いでくる場合において、このような指示をだすことはマイクロマネジメントとは呼ばれません。 上司の細部にわたる指示の出し方によって、組織のパフォーマンス全体を低下させたり、部下のモチベーションを下げるような過度の干渉行為を「マイクロマネジメント」というのです。私は、このような上司の過干渉を勝手に「マイクロマネジメント砲」を呼んでいますが、この砲撃をうけた組織は、直撃を受けた本人だけでなくその周りにいる人たちも吹き飛ばすほどの破壊力があり、継続的に砲撃を受け続けてしまうと組織全体をぶち壊すほどの威力があると思っています…ビジネス情報サイト
  • 「言語には対立しかない」とソシュールが述べているが、対立と同じ意味で差異性という語も用いている。対立によって言語は無から出現するのだが、彼はその無区分、無対立の状態のほうをも差異性と呼んでもいる。言語を生み出す差異と言語の前の無としての差異を、二つながら了解しておかなくてはならない…ウィキペディア

24/5/23ブログ参照