24/5/14 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

多勢のなかの孤独

教室のなかでは、多勢の生徒たちが、私の意識をバラバラにさせようと待ち構えている。それが論理(体系化された専門知識)を携えて、教室に入る先生の心の姿ではないだろうか。だが、多くの先生は世の論理を自分の武器(専門)にして、生徒の前に毅然と立ち、自分の専門外の意見を発している生徒たちを無視して授業を進行させていく。世とは、画一化され、組織化されていく言語の海という、コンピュータによってネットワーク化されていく構造を文明人たちは、自らの価値にして、奪い合い、正当化(既成事実の権利)を権利にして、法的な理論武装をして私たちの前に立っている。私は、その人の前を去って、彼の味方(イイネ)である多勢の言葉を避けて、自らの孤独(相手の専門外)を主張していく。

 

神は私の避けどころ、私たちの砦、苦難のとき、必ずそこにいまして助けけてくださる。私たちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも…詩編46:2~4

 

私たちの信仰とは〝疎外〟の価値であり、聖俗(この世の価値と神の御心)の分離を前提に、分離した二つの〝通路〟の模索ということになる。そして詩編作家は、そのイメージを神の御心(神のいます聖所)言葉に托して、私たちに問いかけている。

 

大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に、神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る…詩編46:5~7

 

私たちは死(地は溶け去る)を通して語る。それは時代の価値を闇として、新しい夜明けというイメージである光の言葉を心の内に宿すことができる。私たちは信仰によって死から生へと語り、多勢の言葉を自らの心の内から吐き出していく。

 

地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。「力を捨てよ、知れ、私の神。国々によってあがめられ、地であがめられる」万軍の主は私たちと共にいます。ヤコブの神は私たちの砦の塔…詩編46:10~12

 

専門外ということは、知識を持たない無防備という生き方であり、無防備(空白)という互いの間を、相手は言語という印刷物(過去の膨大なデータ)であり、私は白紙の聖書によって語っていく

 

  • 「疎外」というのはすぐれて哲学的な概念であるが、この概念は、現代社会において人間の状況をあらわすシンボルとして広範な人々の間で取り上げられている。一つの哲学的概念が広く社会的なシンボルとして機能することはめったにないが、その概念が哲学的な問題を表現しているばかりではなく、重要な社会的な問題を表現しているからであるに違いない。現代社会のなかで生活するすべての人間が感じている切実な問題として我が国においてばかりではなく、資本主義や社会主義においてさえも、社会的な声として機能している…竹内良知