24/4/20 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

味覚

感覚(視、聴、触、嗅、味)の集積が我が身という肉体(感覚器官)だとしたら、外に体系化されたデジタル知識は、感覚をすべて数値化していく。それは過去のデータの集積であり、一般化の法則という意味となる。人は一般化(常識)を通して、メディアメッセージという一般論を通した話題(互いの間)に明け暮れ、一般化(数値化)の日々を生活している。でも、数値化(デジタル)が生きている意味を語っているのだろうか。人は一人一人、異なる色彩を持っている。だが、データという灰色(一般論)の数値化には色彩がない。色彩とは個性という一般化できない特殊化(我が身は透明なプリズム)であり、その言葉を一般化の人々(集団を集めている有識者)に語ると、変人扱いされることになる。そして、変人(パウロは牢につながれている)が語る言葉に耳を傾けるとき、色彩とは何かが理解できるようになる。

 

目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。同時に私たちのためにも祈ってください。神の御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、私は牢につながれています…コロサイ4:2~3

 

変人とは、自らの味覚を信じて生きている人たちであり、数値化されたデータに対して解放された身体感覚を主張して生きていくことになる。それは一般論という塩気のないデータではなく、塩気という味付けされた我が身の言葉を相手に伝える日々を心がけることになる。

 

(出来事と物事の間)をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきか分かるでしょう…コロサイ4:5~6

 

私たちはデータに対する応答(従うのでなく、私らの見解)という自分の意見(差異)を語っているのであり、私の自らの味付けを強制したりはしない。彼のデータ(一般論)に対する差異(特殊、パウロの言葉)の世界を指し示していくだけであり、データという無機質な数値化(操作)に対して、共通感覚(心の触れ合い)という色彩(結び合わせるパターン)を求めているに過ぎない。

 

  • 結び合わせるパターン。どうして学校ではこんな大切なことについてほとんど何も教えないのだろう。真に重要なものは何ひとつ触れまい、教えまいと賢くも考えいるからだろうか。教えないからこそ、彼らは死の接吻の運び手となっているのだろうか。カニとエビを結び合わせ、ランとサクラソウを結び合わせ、これら四つの生き物と私自身を結び合わせ、その私とあなたを結び合わせるのパターンとは? そして我々六個の生物を、片やアメーバーへ、片や病棟の檻の中の分裂症患者に結びつけるパターンとは…ベイトソン
  • 「言語には対立しかない」とソシュールが述べているが、対立と同じ意味で差異性という語も用いている。対立によって言語は無から出現するのだが、彼はその無区分、無対立の状態のほうをも差異性と呼んでもいる。言語を生み出す差異と言語の前の無としての差異を、二つながら了解しておかなくてはならない…ウィキペディア

24/4/12ブログ参照