心のなかの光
時代は文明という集団化された環境により互いに共有の言語群によって日々の営みが行なわれている。人は災害によってライフラインという共有の言語群が破壊され遮断されたとき、依存の力の脆さを実感し、自らの内なる光というものに気づかされる。外は停電の闇、そして闇のなかに自らの意識というものが覚醒される〝どうしよう〟からはじまり、とりあえず今を生きるための最善を自らの内なる思考から導き出そうとする。そして、主に包まれた命というものを対面する。
あなたは私を究め、私を知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くから私の計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、私の道をことごとく通じておられる。前からの後ろからも私を囲み、御手を私の上に置いてくださる。その驚くべき知識は私を超え、あまりにも高くて到達できない…詩編139:1~6
私は自らの外と内を見分ける。私の外は現象であり、人々はその出来事と物事を使って自己実現していく。私には外の情報というものが私自身を傷付けるという感覚によって、自らの内で濾過させることによって透明にさせていく。その結果、外は闇、内は光という精神作用を通して、神の御心という命の言葉を求めることができる。
私は言う「闇のなかでも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。闇もあなたに比べれは闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わることはない…詩編139:11~12
外は人工によって組み立てられていく体系化された文明都市であり、それは命の言葉ではなく、物(欲望)の言葉によって組みたてられていく現象であり、そこには命の言葉(無償の愛)に対する貨幣の言葉(相手は私にとって損か得かの思惑が心を支配する)であり、私は相手の言葉を顧慮して、沈黙してその場から立ち去る。相手は私の沈黙など考えることができない。
胎児であった私をあなたの目は見ておられる。私の日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから、あなたの御計らいは私にとっていかに尊いか、神よ、いかにそれは数が多いことか…詩編139:16~17
私は一本の精神作用としての樹木。外(人工的な開発)には絶望、そして外からの施しに感謝(文明によるライフライン)が生じる。それが災害からの復興のエネルギーに変換される。自力(神話的思考)によって、すべての関わりが相乗効果(自在)として新しく私を育ててくれる
- 神話的思考とは、太陽をこの私の身体的自然、その有機的具体性において解釈するものであり、そのなかで太陽と私との関係は意味的であり、かつ親和的である。自然科学的に把えられる太陽は、私が存在しようとしまいとそこにあるような物質的対象性であり、底から得られる知識は私の生と死を豊かにするものではない。この場合、太陽は単なる物質の構造、つまり無意味だからである…笠井潔
自在
あなたは起き上がる 水が広がる あなたは横になる 水が花ひらく、あなたは自らの深淵から逸らされた水だ あなたは根づく大地だ、そして、その上にすべてが据えられる
あなたは物音の砂漠のなかで、沈黙の泡をたてる あなたは虹の弦に合わせて夜の賛歌を歌っている あなたは至るところにいる あなたはすべての道を廃止する そしてあなたの頭や夜と心地よく意見が一致する私の頭のなかで私は感嘆するのだ これからあなたがなる未知の女に あなたに似ており、私が愛していつも新たであるもののすべてに似ている 一人の未知の女
ポール・エリアール
24/3/11ブログ参照