24/3/13 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

時を生きる

世は時を固定させて形に変えていく。その形(地図化)を人々は日々決められたコースを往復(既成事実)している生活を営んでいる。今日は昨日の続き、明日は今日の続きであり、途切れるこのない連続した今から過去を移動している。それに対して、神は今から先の時(我が身)を生きることを促されている。世は他者が決めつけている時(クロノス)であり、時代に流されるままに従っていく日々となり、我が身を時(生命体)とするとき、神に定められた空間への思考という内なる世界が作動することになる。そして世(固定1~9)を消し、自らの時(カイロス)という瞬間(仮想皮膚という透明な硝子という遮蔽壁)を通して、新しい世界(ゼロから始まる二桁)へと導いてくれることになる。

 

私はあなたの主、あなたの聖なる神。イエラエルの創造者。あなたたちの主。主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方、戦車や馬、強大な軍隊を引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心のように消し去られた方…イザヤ43:15~17

 

新しい世界とは、我が身が描くイメージの世界であり、世と我が身の間に感じる感覚言語の造形ということになる。それは世の形として示すのではなく、相手の心に響く何かの刺激として表現していくことになる。それは私の内なるエネルギーであり、神によって世から耐えられた霊的な行為(抑圧からの解放)ということになる。それは相手の霊に伝えるのであり、霊の不在の人々には何のことだが理解不能の造形(アート感覚)ということになる。

 

初めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。見よ、新しいことを私は行なう。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流させる…イザヤ43:18~19

 

世に固定された人々にとって、私の文章は風のように形のない霊の歌てあり、神が不在の人々とって、イザヤの言葉は抽象的な詩としてしか判断できない。それに対して私はイザヤの言葉(心の叫び)を知ることができ、その感覚を利用して新しいイメージを今の時代に表現していくことができる。それは瞬間であり、インスピレーションという世界であり、世の裂け目であり、壁への通路ということになる。私にとってその水先案内人が作家の「安部公房」であり、画家の「フォンタナ」ということになる。

 

  • 壁がない。そういっても、これは壁において絶望的に発見された世界です。もし諸君が欲すならば、これを生活の解放と呼んでもいいでしょう。しかし、解放とは運動の持続の属性であって、精神が特定の状態に入りこむこととは違うのだから、こいつ、のべつに天気朗報ということではないと心得ていいでしょう。壁は有り、また無い…安部公房「壁の序」より
  • 無意識は、「意識がない状態」と「心のなかの意識されない或る領域」の二つの主要な意味がある。弱い意味で「意識がない」という場合は「気づかない」という意味でもある。人間は時間のなかで、非常に多数の感覚刺激や意味の刺激を受け、その多くを意識している。しかし、記憶に関する心理学の実験からは「意識していない・気づいていない」感覚刺激や意味の刺激として大脳が感受し記憶に刻んでいる量は、さらに膨大であると言える…ウィキペディア

24/3/3ブログ参照