24/3/3 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

神は言われた「光あれ」

沈黙の神は、人の〝気づき〟にあって意識化されるということであり、神は「ある」とモーセに示されたということであり、沈黙(無意識)を通して語っている。それは創世記の〝闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面に動いていた〟という言葉で気づかされることになる。水面に光の粒がキラキラと動いていて、それは夜空の星が輝きが広がっていく。そしてドビッシーの映像(水の反映)という曲が流れていく。神は私の意識のなかで明確に命を活かされるということを告げ知らされる。日々の雑多な意識を〝断食〟して、無意識に戻されるとき、それは世(連れ合いを失う)に死をもたらす出来事をイメージするが、絶望(闇が深淵の面にあり)という、絶望の気落ちの心を神が生き返らせてくれることになる。

 

私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほといて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと…イザヤ58:6~7

 

モーセは神によって新しい任務を与えられ、ゼロ(断食)の自分を通して神の御言葉を人々に与えるという旅に出ることになる。そして、イザヤは預言者として、私たちに神への光を指し示している。神の言葉は世に絶望した闇の心に射す光ということになる。

 

あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば「私はここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと、呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出て、あなたを包む闇は、真昼のようになる…イザヤ58:9~10

 

私は相手に神を信じますかとは言わない。私は相手に、あなたの心は〝生きていますか〟と問うことになる。その応答に素直に答えることの出来る人を私は信じることができる。その人は私の前で心ない言葉(過去の実績という古い廃墟)を使うことが出来なくなる。

 

人々はあなたの古い廃墟を築き直し、あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ…イザヤ58:12

 

(主従関係)を負わすこと、指(命令)を人の心に突き刺すこと、呪いの言葉(自らの過去の実績)をはくこととは、自分の心(野心)が人の心(神を信じるゼロの心)を殺していく言葉(メドゥーサ)ということになる。

 

  • ロゴスとは光である。そして人間の心の中に持っていると思われる嫉妬心や怨念などの汚い根性は闇である。闇というのは真空と同じくそれ自体は存在ではない。光が欠如しているか、もしくは不足している状態だ。従ってどんな悪人と言われる人でも、それは光に恵まれなかっただけのこと、その人を愛と信仰を浴びせ、理を以って説く、つまり、ロゴスを与えれば人間本来の姿、つまり真の人間になっていくのだ…会田雄次
  • メドゥーサの頭を見た者は、恐怖で硬直した石に変わる。硬直したものとは死体であり、そして勃起である。あらゆる王制の省略形たる石の男根、途方もない野心すべての最終目標、石が性器化されると、去勢(信者)と勃起(教祖)が同時に起こる…ノーマンブラウン

24/2/28ブログ参照