24/2/19 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

中心と周辺

私とは私が意識した世界の統合(心象)であり、肉(感覚器官)なる私(中心と周辺による人体)は、それをコントロールする装置(人体内部)ということになる。それは一つの乗物(方舟、小宇宙)ということに気づかされる。それに対して、外に意識を奪われている私は知識(世と共有)にされ、外(人間関係)の道具に用いられる日常(機械の歯車)となり、他者の心(社会)に私がコントロールされることになる。二つのコントロールの境界に、私の精神が置かれ、日々の移動(カレンダーの日々)と日々の運動(無意識の意識化)となり、カレンダー的な日常を現象界とし、内なる運動を心象世界として区別していく。そのためのインスピレーションを与えてくれるのが聖書であり、聖書の保証(神の御心)を通して、私の表現(人類の精神的な継承)は成り立っていく。

 

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る人よ、主に申し上げよ「私の避けどころ、砦、私の神、寄り頼む方」と…詩編91:1~2

 

中心という神殿が私の内(宿命という部屋)に与えられている。それは無意識という倉であり、有無という運動を支える命の源であり、その運動によって〝活気〟というエネルギーが発生されていく。それは肉(意識)を超える命の源であり、それによって体全体に〝生きている〟という意識の実感(燃える魂)が伝播され世と対峙することができる。それに対して世は、互いの間の言語環境という張り巡らされたネットワーク環境であり、まるで蜘蛛の巣のような他者の思惑によって罠が仕掛けられている。メディアメッセージはすべて発信も受信(スマホ)と同時に貨幣価値に変換(混乱の中の勝ち組負け組、羨望と嫉妬が入り交じった心理現象によるスキャンダル)され、冷静な視線(科学的根拠)で見れば、コンピュータ(政治経済の世界)を通して、国と国、人と人とによる集積と分散という生産と消費のエネルギーが繰り返されているだけの株価の変動相場のように儚い。

 

神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくざたる。神はまことの大盾、小盾、夜、脅かすものをも、昼、飛んでくる矢をも、恐れることはない。暗黒の中に行く疫病も、真昼に襲う病魔も。あなたの傍らに千人の人、あなたの右に一万の人が倒れるときすら、あなたを襲うことはない…詩編91:3~7

 

私は貨幣を意識(心象世界)から消しているので、残されているのは自然の景色と戯れる日々(光のカーニバル)ということになる。言語の海からの解放は、世を捨てた価値よりも多くのものを私に与えてくれている。現象(世界中で人々の野心がつくりだす戦争が起こり、見える世界は死体の山)という貨幣の奪い合いの結果が、操作する手(政治経済)と、それに依存している操作された死体(紛争による死体の山)という意味を具現(ナンセンス)していく。

 

  • 宇宙が何でできているかを調べてみると、われわれが知っている、陽子や中性子など”目に見える”(観測されている)物質は全体の約5パーセントにすぎません。その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられます。残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものです。これまで宇宙の観測に利用されてきたのは、主に光やX線、赤外線などの電磁波ですが、暗黒物質というのは、電磁波での観測では見ることができないため、暗黒(ダーク)という呼び名がついています…XMASS
  • ルイスキャロルの文章は決して子供のために書かれていない。子供たちはパンウドケーキでも焼いているほうがずっとよろしい。むしろキャロルのナンセンスは、髪が白くなった賢明な哲学者たちのためにある。ナンセンスを手掛かりにすれば形而上学のなかで最も深い闇に包まれた問題、つまり理性と非理性の間の無人の国(冷静な神の視線)を、そしてまた、ユーモアというものを探究することができる。ユーモアこそは、あらゆる精神的能力のうちもっとも謎めいていて、理性と非理性の間で永遠に踊りつづけるものなのだ。うんざりするほど長ったらしく七面倒くさい説明やら、ややこしくて奇妙な言い回しやらにでくわして、まったく意味がわからないのに、愉しいと思うことがあるが、それらは、子供が遊ぶためではなく、心理学者たちがあこがれ考えて正気を失ってしまうためのものなのである…ギルバート・チェスタートン

24/2/13ブログ参照