24/1/19 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

ネットワークとぶどうの蔓

イエスの生き方は、決して世のシステムに逆らった生涯(一度も法律を犯さなかった)ではなかった。なのに、世によって十字架に召されたという事実とは何かを考えるのが、真の信仰の生き方となる。世とは人体のように複雑に絡み合った血管(動脈と静脈と毛細血管)が心臓を通して循環していくシステムであり、世(コンピュータのネットワークも複雑に絡み合っている)という機能を通して人々は生活し、日々を生きている。世はそのような体系化(人体の人工的なコピー)であり、科学的な整合性のシステムを前提とした、生活環境ということになる。人体(神によるネットワーク)と体系化(コンピュータによるネットワーク)はシステムの問題でなく、為政者(ファリサイ派、律法学者、歩の集合体を操る権威という偶像)とイエス(王将)の問題(聖書を他人任せのキリスト教会の説教(grapevine)ではなく、教会の環境を離れて自分の心で読むという命の自己責任)ということになる。

 

私はぶどうの木、私の父は農夫である。私につながっていながら実を結ばなかった枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる…ヨハネ15:1~2

 

世は管理者(agent)と労働者(artist)に分離された階級制度によって、心が断絶(コミュニケーション)している。このように考えた神によってイエスは地上に降ろされ、断絶を解消するために労働者階級の人々のために来られた。だが、宗教家(キリスト教会の制度)という為政者(政治)に従う聖職者(一人の言葉に全員が従う)という国家制度によって、俗界(サタン)にキリスト(神の一人子)が従うという十字架(イスラエルによるパレスチナの殲滅という嫉妬に狂った為政者)に召されることになる。労働者階級とは生活を自らの肉体(体内のネットワーク)によって支えていく人々であり、その心を支えてくれるのが神の御心ということになる。それゆえ、科学(コンピュータネットワーク)は哲学(生き方)によって使われて始めて、真の機能(artist)が生かされる。そして、労働者階級へのメッセージとして、聖書は神の御心を伝えてくれている。

 

私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につかなっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。私につながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう…ヨハネ15:5~6

 

外に投げ捨てられ焼かれてしまうとは、イスラエル(キリスト教)とパレスチナ(イスラム教)による戦死者(労働者階級の数、イイネ信仰の信奉者)ということになる。世は分裂しているという思考(絶望)を通して、私たちの信仰(隠された真理)が実現されていく。

 

  • 髪の縺れ、嘘のかたまり、社会的行為の織物(メドウーサという世の有識者)とはそうしたものてある。錯綜した知的体系、欺瞞の織物、科学と呼ばれる織地、これらすべて、網(ネットワーク)もしくは統合組織(依存関係)である。仲間によるとは、網状組織をつくることである…ノーマンブラウン
  • 芸術(アート感覚)の基礎は情動的な把握、目に見える現象の背後に潜む「未知」への感覚、光の洞察と宇宙的気分を、目に見えるか聴くことのできる形式に再構成することである。事物と現象が魂となって顕現する感覚(自分と相手の共通感覚)である。完全な宗教はその構造に、宗教、芸術、哲学、科学を統合する。これは完全な芸術にもあたはまる。それに対し完全な科学(出来事と物事の整合性)あるいは完全な哲学(生き方)は、宗教と芸術を内包(心象)する。科学と対立する宗教、宗教と対立する科学、これはひとしく虚偽である…ウスペンスキー

24/1/11ブログ参照