24/1/10 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

打ち明ける

打ち明けるという真意は口先ではなく、ドアをたたき、ドアを開いてもらうという行為(祈りの意味)であり、自らが状況に置かれた場を神の前にはっきりとさせ、自分の心(寄せては返す波間のような悩み苦しみ)を神の御心の場のドア(ベートーベンの運命のイントロ)をたたいて、神に気づかれるようにしなさいということであり、心から世の言葉を排除し、混じり気のない透明な霊のよる〝うめき〟ということになる。それは言葉以前(現象の発生前)の無垢(透明)の状態であり、言葉の先(未知)という今を表現(タテ糸)する。

 

同様に〝霊〟も弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈るかを知りませんが、〝霊〟自らが言葉にならない〝うめき〟によって執り成してくださるからです…ロマ8:26

 

世からは透明な霊を汚す言葉(操作言語)によって、心を閉ざさせるような狂気を感じてしまう。私という個を取り囲み、身動きができないような集団の言語によってガンジガラメにされていく。出口のない迷路によって、その場に立ち尽くす。言語の海に固定された記号(既成事実)によって組み込まれた構造(システム)に従うよう強制されている恐怖感。信仰とは内なる心による抵抗であり、それゆえ、私にとって祈りとは沈黙からの感情(わき上がる熱い思い)の造形(アート感覚)ということになる。

 

こうゆうわけで、私たちは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から天と地のあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父がその豊かな栄光に従がい、その愛により、力を持ってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように…エフェソ3:14~17

 

外の言語の海に取り囲まれた内なる心の抵抗(自尊心)が信仰であり、私たちは昼の言語で彼らと戦うことができないという絶望(キリストの十字架)を知っている。だから、口先(大勢の前での祈り)という集団の言葉は無意味であり、内なる個(夜空に点在する星)という暗闇(世の現象)の光としての自分(キリストを内に住まわせ)を意識し、自尊心という核によって語るようにしなければならない。そのイメージは広大な波紋となって心の宇宙空間の伽藍に響き渡ることになる。

 

人の知識を遥かに超えるこの愛を知るようになり、それについては、神の満ち溢れる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように、私たちの内に働く御力によって、私たちが求めたり、思ったりすることのすべて、はるかに超えてかなえることがおできになる方に、アーメン…エフェソ3:19~21

 

打ち明けるという行為は、自らを明け渡すという時間観念であり、昨日と明日の間の今(この瞬間)であり、ヨコ糸(世の現象)を断ち切ることによって孤立となった我が身にタテ糸という力が与えられる意味となる。それは稲妻のような天と地の間の裂け目(架空の動物である龍の化身)として表現されていく。それゆえ、文章に刺激(内なる心に伝える)のないものはヨコ糸(無視して通過)に過ぎないことになる。それは神も仏もない影絵(共同幻想)という千と千尋の神隠しのカオナシ(一般大衆という漂う黒煙、映像作家は人の息の具現としてタバコの煙で表現)に過ぎないことになる。

 

  • 思想家で詩人の吉本隆明が『共同幻想論』(1968)で提起した概念。そこでは人間の観念領域は「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの領域に区分される。「自己幻想」は文学や芸術が扱ってきた個体の領域、「対幻想」は家族や男女関係の領域、「共同幻想」は共同体や国家の領域であると説明される…コトバンク
  • 我々を傷つけ、せき立てる、敵意に満ちた、得体のしれぬ日常生活から、読書のおかげてしばしば逃避することができるのだから、読書は一種の浄めの儀式、多くの場合、一連のささやかな慣習的な手続きによって補強される浄めの儀式だということになります。このことから「白紙で覆ってしまう衣」とでも呼びうるものが、我々の社会における読書という名の儀式のなかで果たす役割も明らかになります。我々の書物の紙(空間)が白いのは、書物(銀河鉄道、千と千尋の電車)が我々に与えてくれる、此処とは違う他処が、読書のページをよぎっていく動きによって、いわば白さの滲み込んだもの、洗礼を施されたもののようにして、我々の前に現れてくる。ときには、いまのあるがままの世界を厭う気持、世界の変革することの困難を前にしたときの失望落胆があまりにも大きくなってしまうため、読書は、むしろ好んでこの白さの宙吊りにうちとどまって、そこでようやく安らぎを見出すこともある。そうなると、書物のなかのこれらの記号のおかげて姿を現すものは、もはや、白い光(稲妻)を氾濫させるためのきっかけと見なされるでしょう…Mビュートル

2024賀正参照