先日の次男のノートに引き続き

年度末だからと
今度は学校や習い事関係のお手紙や書類など保護者向けのものを片付けていたら


出てきてしまった


息子の解剖結果の書類


結果を聞きに病院へ行ったのは
5月の初旬だったので

もうそろそろ一年が経とうとしていますが

忘れていたこともありました

正確に言うと
忘れていた、というより
頭に入ってなかったのかもしれません

あの頃は今より
息子の死を信じられていなかったから


息子は生後2ヶ月に満たない頃に
ペースメーカーを植え込んだので

ペースメーカーに全ての記録が残っています

何時何分にどんな心拍を打ったか
ペースメーカーがどのように信号を送ったか

あの日あの時の記録を
医師がまとめてくだったもの

それから学校の先生が行動の記録をまとめてくださったもの

それらの書類をまとめていたファイルに
目を通してしまって

私の知らない所での
あの子の行動や反応
心拍や脈拍、血圧

詳細に書き記してあるので

実際に見たわけでもないのに
安易に想像することができて
映像として頭に浮かんでくる

救急車の中で一度
脈も血圧もしっかり出て

でも、病院に到着する頃にまた…

何度も何度も
心房頻拍や心室頻拍、心室細動を起こして

何度も何度もペースメーカーが
信号を送り続けていました

病院では
胸骨圧迫、電気ショック、強心剤投与など
力を尽くしてくださったけれど


最終的には
1時間無脈性電気活動の状態が続き
◯時◯分 蘇生処置を断念

と記されていました



やっぱり忘れてはいけない


あの子が頑張りぬいた
あの日あの時のこと

私だけはしっかり胸に刻みたい

目を通すことはとてもとても苦しいけれど
一年に一回見返してもよいかもしれない

息子との
楽しい思い出も
嬉しい思い出も
苦しい思い出も
悲しい思い出も

普通の親子の一生分と比べたら
私たちは全然足りないから

だから
全てを心に刻みたい


こんな言い方、正しいのか分かりませんが

稀な先天性の疾患と
その合併症で重度の心疾患を持って
生まれてきた息子

できる手術は全てやって
一番大きな手術は16時間にも及んだ
死亡率の高いとても難しい手術だったわけですが。
それでも完全に治すには心臓移植しか術がありませんでした。
徐々に徐々に悪化して、いずれ亡くなる、そう聞いていたので

私はその時はまだまだ先だと思っていたし
時間の猶予はまだたくさんあると思ってやまなかった

だからゲーム時間の制限もしていたし
学校にも少し無理してでも行かせてしまっていたし
勉強も頑張らせてしまっていた

『生まれてきてくれてありがとう』
『あなたは生まれた時からよく頑張ってるね』
『大好きだよ』
そんな言葉を毎日のように
うるさいよと思われるくらいに伝えるのは
まだ今じゃないと思っていました

〝その時〟はいつかやってくるとは思っていたけど
残された時間、やり残したことをやり尽くす時間、愛を伝える時間はきちんとあると思っていました。

だからって突然死より
余命宣告されて看取る方が幸せだとは思わないけれど

(どちらも辛すぎるから…)

時間があると思い込んでいたからこその後悔があるんです。

でもそれは私の問題であって
息子はきっと普通の生活、みんなと同じような親子関係で過ごす日常が幸せだったはずだし
あの子らしくあの子の姿のままあっけなくお空へ旅立つことを望んでそうしたのだと
…きっと、そうだよね、と
一年以上の時間をかけて思えたから

だから息子の選んだ最期を忘れないように
たまにはあの書類に目を通してもいいのかもしれないと思いました。

二度と出さないであろう場所に仕舞い込まずに
また同じ場所にそっと戻したのでした。