いや多分吉野ケ里とは違うと思うけど....。まあとりあえず弥生時代っぽい遺跡で。フジミから出ている登呂遺跡のプラモデルを作ってみた。竪穴式住居と高床式倉庫が一個ずつしか入ってないとのことで、面白くもないので3箱も買ってしまった。鉄道模型のストラクチャーとしても考えていたので、竪穴式住居はどうもサイズがでかい。上からみたら楕円状になっているのだが、短径が長径になるように一部切り取って縮めてみたら、まあまあいい感じになった。吉野ケ里の場合、登呂遺跡とは違って立派な台座?っぽいものの上に載っているわけではなく、外から見れば地面から直接屋根が続いているように見える。上から見たら実物は長方形っぽい形のだが、まあベースが登呂遺跡のだから楕円形になるのは仕方ない。また、高床倉庫も一つはサイズを小さくしてみたのだが、高床フロアの高さを低くすれば、そのままのサイズでもそこまで違和感無し。

 

 ちなみに竪穴式住居は建物の中も再現できるようになっている。けど縮めてしまっては内部パーツは使えない。柱っぽいものが多数余ったので、吉野ケ里にあった櫓っぽいものを作ってみた。梯子はトミックスの対抗式ホームの柵。屋根だけ方眼紙で自作。環濠集落の元祖ってことで、濠は作れないので城壁っぽいものを段ボールで作ってみたら、まあまあこんなもんでしょうか。

 

 入口も竪穴住居の余りパーツをそれらしく。吉野ケ里には宮殿のようなものもあったが、なんか自作しようと思ったがうまくできん。屋根がねえ....。櫓みたく小さいのならともかく、竪穴式住居より大きいものとなると、どうしても屋根に違和感が。茅葺をうまく表現できん。よってボツ。これは痛恨。というか、6月中旬は2週間ほど体調不良で寝込んでたもので、工作もさぼっていたツケがこうして回ってきているわけさね。数日程度でどうにかできる方法が思いつかん。同様に集落を囲う木の柵も、段ボールではなくもうちょっとなんとかしたいが、これも厳しい。で、こうして出来上がったモノを緑のシートの上に並べてみたら、写真の通り。手元にダークイエローのペンキがあったはずなのだが見当たらない。台座だけでも別の色がよかったか。

 

 というか遊んでる場合ではなかった。宅建の申し込みしないと。

 

 

 続いて、キックミットさん宅で行われた今度の運転会は山陰。これもまたFPの試験の前日だったという、京成祭りに続く因縁なのだが、まあそれは置いといて(ちなみにFP3級は受かりました)、何かと遠い、不便、などと避けられがちな山陰の鉄道に今回は注目してみることとなった。

 

 

 鳥取駅の図。と言っても鳥取駅は高架なんですけどね。しかしだいたい鳥取駅でみられる車両はこの通り。キハ47が山陰線と因美線、あと若桜鉄道のディーゼル、特急はキハ187。鄙びているかと思いきや、朝夕を中心に鉄道利用者はけっこう多い。朝だと5両編成もやってくるんだから。ちなみに私の持ってきたキハ47は、KATOのを改造して西日本仕様にしてある。これで智頭急行のDCが居れば完璧だったのだが...。

 

 鳥取から米子までは特急で一時間少し、普通列車だと3時間弱。今回は線路は単線非電化の本線。気動車メインでってことで、伯耆大山から出雲神西までの電化区間は「ない」ことにして、381系や115系は投入せず。駅の横には一畑電車も大量投入。

 

三編成も....。実車はもうどれも引退してしまった(んだっけ)わけですが、私が松江へ行った6年前は普通に走っていたので、これでいいんです。元南海ズームカーに至っては、私が乗ったのと同じ車番なんだから。

 

 こうして走らせてみて思うのだが、やっぱり地域を限定して走らせるのは面白いと思う。なんでもかんでも投入しては、例えば北海道の電車と九州の電車が同時に走るという光景、確かに模型的ではあっても実感的ではないものね。次の運転会の舞台は九州佐賀。ストラクチャー工作をそろそろ開始しないといかん。

  

 私もついに離島から引き揚げ、これで晴れて自由の身。そんな折、3月なのでけっこう前なのだが、キックミットさん宅で関門トンネルを再現した運転会を執り行った。いつもなら電車をさっと走らせる運転会なのだが、今回は機関車のつけかえをメインにやってみようということである。

 

 

 

 手前右側のエンドレスが本州、奥のエンドレスが九州、間を結ぶ直線が関門トンネルを再現したもの。機関車の引き上げ線がいくつも設けられ、直流機関車やステンレスの交直両用機関車はキックミットさんとこから、福岡在住経験のある私がED76を投入して、いざ運転開始。

 

 

 ところが、方向転換やらも加わって、非常に煩雑な運転となり、なかなかうまくいかない。ややこしい。本州のエンドレスからやってきた機関車を切り離し、引き上げ線へ回送。隣の引き上げ線からEF81を転がして連結。列車は九州側へ移動、一方直流機関車は駅右手側の引き上げ線へ移動してスタンバイ。九州側へ着いたら機関車を切り離し、引き上げ線からED76を連結、エンドレスを回る本線へ動かしたら、今度はEF81を右手側の引き上げ線へ移動させてスタンバイ。コントローラー3台(本州、九州、トンネル)を使用し、機関車をあっちへ移動こっちへ移動と、これまでにないややこしさ。

 

 

  その間ずっと415系は車庫で昼寝。これなら煩雑なことせず直通できるのに。こういうややこしい運用で、機関車つけかえの手順が確立するまでに数時間かかり、結局415系の出番は無し。やっぱ大変だわ機関車と客車貨車ってのは。まあそれが再確認できただけでもよしとするか、という運転会であった。

 

 

 ちなみにコキ104を中古屋で大量にこのときゲット。疲れたから後半はずっとこれをED76に牽かせてぐるぐると走らせていたのであった...。

 記事を更新するのも久しぶり。こちらはいよいよ離島からの撤収が迫り、準備で大忙し。今回はたまたま1月下旬から2月上旬にかけて上京することができたので、キックミットさんとこでかねてから予定されていた、京成電鉄の運転会を開催する運びとなった。京成はこれまであまり私には縁がなかった。縁ができたのはここ数年、離島からの上京休暇のときに成田や佐倉へ遊びに行ってから。この時は上京期間中ずっと船橋にウィークリーマンションを借りたので、(ほとんどJR利用だったが)京成とは割と濃厚な関わりを持ったわけである。

 

 とりあえず京成車が勢ぞろい。私の持ってきた赤電と、キックミットさんの3500系。

 

 実際の赤電を見たことはない私、やはり今の白地に赤と青の帯のほうがなじみがある。ちなみに私が持ってきた3300系の前面と3100系のベンチレーターは、真ん中のキックミットさんの3500系キットから頂戴したものだったりもする。

 

 当初は通勤車だけで開始した運転会、なにやら地味さは否めず、午前に某中古模型店で見つけたスカイアクセスが気になりだし、夕方に意を決してキックミットさんと再度模型店に突撃することになった。まだ残っていたのでスカイアクセスを捕獲。本当はガスガンのマカロフPMを買おうと思って用意していた資金を流用、我ながら思い切ったことをしたものです。

 

 翌日は朝からFP3級の試験。試験会場にスカイアクセスを持参し試験を受け、午後の部が終わり次第再度キックミットさん宅で仕切り直しの運転会を開催。特急車が加わるだけで全然雰囲気違うよねえ。やっぱりこうでないと。

 

 

 遠くにスカイツリーを望む。ちなみに写真の通勤車も私が持ってきたもの。なんだか私の車両ばっかりで、もはや「乗っ取り」である。キットの余りパーツにバルクを買い足して4両編成を作ったりで、京成もいつの間にかうちの在籍車両は増えました。写真の3150系の白色は何色の塗料を使ったか忘れたせいで、3300系は赤電カラーになったんだったか....。

 

 今回はストラクチャとしてスカイツリーと、あと京成沿線で見かけるバスも手配。

 

 

 京成バスのうち一台は、FP試験の最中の昼休みにゲットしてきたとか、試験は大丈夫かよとつっこみたくなりますわね...。 私はバスファンではないが(というかバス酔いがひどいのでなるべく利用したくない)、バスはその地域を一番よく表すストラクチャーだと思うんよね。こんな感じで京成運転会は無事終了。途中で車両を追加するハプニングはあったものの、今回もなかなか有意義な運転会となった。ちなみにスカイアクセスは過去一度、成田空港へ行くときに利用したことがあったのだが、今回ゲット記念で、秋葉原から上野まで歩いて上野から船橋までスカイアクセス車両のライナーに乗ろうと思ったわけである。ところが、時間を調べていたにも関わらず予想外に早く上野駅に着いてしまい、ライナー発車まで30分待ち。よく見れば3分後に急行が....。始発駅でこれならば、誰だって急行乗るよね。ってことで、結局船橋まで急行で帰ったとさ。

 最近またしても工作から遠ざかっていたので、たまには更新。今回は京阪1900系をちょっと。京阪1900系は元特急車。確か鉄コレは2両編成で発売されたときは、即完売だったような気がする。発売を知ったのは、すでに売り切れてからだった。まあ私自身あまり1900系は縁が無いというか、実車を見たことはあっても「変わった窓配置だな」と思った程度であり、まして乗ったことなどはない。

 

 それでも1900系のBトレは持っていた。大学院生だったときに買った。当時は今ほど京阪電車の模型って無かったもので、珍しさ半分だった。まあ買ったはいいが長らく放置、そのうち前面だけ活用して、なんとかしようとか思ってはいたのだが、そうこうしてるうちに限定で鉄コレが出て、さらに改造する気も失せて、このまま放置され続けるはずだった。そこへきて最近、京阪1900系鉄コレが一般販売された。買いましたよ...。

 

 3両編成の、1810系編入のを含むものと、全部1900系のものを一つずつ買った。けど特急時代はよく知らないし、うちには並べて遊べる車両が無い。某中古屋で定価よりちょっと安値でゲットした700形鉄コレは、全て冷房搭載で1000系に生まれ変わっているし。なら1900系も2008年仕様でいきましょうってことで、6両から1929Fの4両を作ってみた。

 

 前面はBトレのもの。4両編成にして、残り2両から中央の扉を切り出す。まあそんなに難しくはないと思う。むやみにこだわらなければね...。屋上機器は阪急キットから、クーラーは近鉄キットの余りから、1991の中央の両開きドアは近鉄2610系キットの余り側板から切り出し。ウィンドウシルはプラ板で切り出し、乗務員ドアは埋めて窓を開け、1954の車端部のガラスと同じ大きさのがはまるようにしておく。

 

 

 Bトレの前面は、少し削れば簡単に鉄コレ車体に付く。スカートもBトレ前面なら、Bトレのパーツをつけるのは簡単。バンパーみたいなのは、さすがに作り直しになるけれど。うちは冷房車じゃないと嫌だったからクーラーを載せたが、非冷房時代だったら屋根はそのまま使えるはず。しかし光の加減もあると思うのだが、クーラーがちょっと白すぎたか。

 

 ま、こんな感じでこだわらなければ、さくっと作れるんじゃないでしょうか。最初から1810系編入車を含むBセット2箱からなら、1929Fは実車通りの5両編成が作れるはず。実車は冷房化後しばらくはこの4両で運用していたみたいだけれど、やっぱり5両のほうがいいよな...。なぜAセットを買ってしまったのか。まあいいや。そのうち製品で出そうだけど、模型としては割と手薄な京阪電車の貴重な模型である。真似する人はいないだろうが、こういう工作もたまにはよいのではなかろうか。

 

 離島暮らしだと、なかなか模型生活もはかどらない。通販などで動力やケースを買って、鉄コレの動力化やGMキットのあまり部品使用で何か作る、作った車両を整理、みたいなことばかりをしている。そんな中、上京すればキックミットさん宅での運転会という、私にとってはかなり大きいイベントが待っている。最近運転会に合わせて車両のメンテや改造をしてる感がありまくりなのだが...。

 

 ともあれ阪急電車が勢ぞろい。

 

 三編成はキックミットさん所有、それ以外は全て私とこに居たもの。近鉄のときもそうだったが、こんなにいたのかよ....と、今更ながら驚愕である。

 

 旅先のリサイクル屋で阪急キットを見つけた→そのうち作るからとりあえず買う。

 昔失敗したキットの廃材が大量に発見される→塗装だけ落として余りパーツ入れへ。

 実物を祖母宅へ行くのに利用した→まあ一本くらい作ってみるか。

 

 こんなパターンを繰り返すうち、余りパーツだけで4両編成ができあがるような状況になっていた。阪急キットの説明書には、いろいろな改造ガイドが載っているわけだけど、ここに勢ぞろいしたのは、ガイドに載ってる作例はほとんど全部制覇してると思う。クーラー4台搭載のもいるし、非冷房モニター搭載のもいるし、一両だけだけど2800系中間車もいる。前面はなるべく表示幕車にしてるが、もちろん非表示幕車もいる。パンタグラフも1基のと2基、交差型や通常型、まさにキットから作れる車両の見本市。挙句は東急キットから作った堺筋線の60系までいる。鉄コレの旧型車もいる。

 

阪急キットのみならず、もちろんKATOの6300系も持っていたりする。どうでもいいが、私とこのは連結する向きがわかるように、ブラインドは片面にだけ入れている。ブラインドのついてる面を揃えれば、自然と連結する向きが揃う、というわけ。

 しかし快調に行きかう阪急電車を見てるのは楽しい。家ではなかなか8両編成で走らせることもできないので、なおのことである。私にとっては近鉄同様、阪急電車もなじみが深い。私自身が準沿線住人であるからで、気合いの入れ方が違うのである。遠くには新幹線が見えるし、複線分岐のあるレイアウトも、阪急らしい配置。こういったキックミットさんの粋な演出もあり、私にとってはここ数年で一番気合いの入った運転会となった。

 こうしてキックミットさんのおかげで有意義な運転会を無事に過ごし、感謝をしつつ私は大阪へ戻った。数日後、年明けにさっそく祖母宅へ行くのに阪急に乗ったわけであるが、マルーン色の伝統は変わらない反面、なんかこうドアの窓がやたら大きいのとか、ちょっと違和感のある阪急電車が増えたのは、少々残念に感じもしたものだった。
 

 

 前回は近鉄けいはんな線の7000系を作ってみたわけだが、またしても引き続き大阪地下鉄の工作が続きます。数年前、kitchenの地下鉄50系のキットが売っていたので、私は期待しつつ買って作ってみた。ちょっと財布に痛かったが、やっぱりキットを作るのは面白いね。50系は鉄コレも限定で出ていた気がするけど、いろんな路線を走っていた50系ならば、キットのほうがバリエーションが作りやすいと思う。

 

 で。この50系キット、多分ほとんどの人が中央線カラーにするんじゃないかと思う。四つ橋線や谷町線、千日前線は地上区間もほとんど無いし、他の車両とも並べられないから、あまり走らせても面白くない。もちろん私も中央線カラーにした。他の路線の帯のデカールがもったいないなって思ったので、かなり前に並んで買った記憶のある、旧7000系に谷町線の帯を貼って、谷町線カラーにしてみた。

 

 一番手前のがそれ。四つ橋線カラーのは製品で存在するし面白くないので、谷町線にした。ついでに冷房の30系も動力を入れ、一番奥のは御堂筋線10系の鉄コレで、先頭車が余ったので谷町カラーの20系としてみた。ちょっと帯の色が微妙になってしまったが...。前の職場が谷町線の駅の近くだったのだが、ほぼJRを利用して、ほとんど谷町線に乗らなかった。気づけば50系だけでなく30系もいなくなってたのよねえ.。

 

 これはこれでいいとして、50系のキットを作ると、あまりパーツってけっこう出るんよね。うちには他にもいろいろあまりパーツが転がっている。なんとか有効に使えないものだろうか。

 

 鉄コレの小田急の車体、屋根板はメトロ6000系(屋根板がキットに余分に入っている)、あとは50系のあまり部品。これらを勢いで箱にしてしまえ。

 

 鉄コレの幅が少々狭いので、真ん中で切ってから前面や妻板に合わせるようにする。屋根のカーブは50系とメトロはほぼ同じ。ドアのへこみを埋めて、屋根と側板の境目をきれいにならす。屋根の上にはラインデリアを搭載し、あとは色を塗って完成。

 

 下回りは鉄コレのものに、キットの機器類とカプラーを取り付けてあるが、動力はまだ入れていない。帯は50系キットの残りを使用。あまりパーツの片づけとして、勢いで千日前線の100形ができてしまった。台車がまだ到着していないので、とりあえず鉄コレ小田急のものをそのままはめている。これが小田急の鉄コレからできましたなんて言っても、すぐには理解できないだろうな。けどそういうのこそが、私にとって工作の醍醐味なんだよな。

 

 千日前線はぼろい車両しか走っていない。ちょうど近鉄東大阪線が開通したころ、うちの親がよくそう言っていた。今思えば、千日前線のこの100形のことを指していたんだろう。私はリアルでこの車両を見たことはないのだが、昔の地下鉄のような、重厚な雰囲気を醸し出している。30系や20系のような、ステンレス車が私は好きだが、ときにはこういう車両も悪くない。

 このブログを更新するのも久しぶり。最近全然工作っぽいことしてなかったんだよな。まあでもちょっとした工作をしてみた。今回のお題は近鉄7000系。けいはんな線を走ってて、地下鉄中央線にも乗り入れてくる車両。東大阪線として生駒まで開通し、これまでの地下鉄と全然趣の違うデザインの7000系は、当時小学校に入ったばかりの頃だった私には、非常にインパクトのある車両だった。

 

 鉄コレやキットで地下鉄中央線の20系や50系は存在するのであるが、そうなってくると乗り入れの近鉄7000系もほしくなるのが人情というもの。そんなこと考えつつ早10年近く経っても、どうしても屋上の薄型クーラーが解決できず、工作も全然できないまま。転機が訪れたのは、谷町線の30系冷房車の鉄コレが出たこと。当時はまだ北急の鉄コレはなく、ゲットした鉄コレは屋根を自作し、阪急キットのモニターを載せて非冷房仕様にしたわけ。そうすると冷房の屋根板が余る。

 この余ってる屋根から、クーラーだけを取ってくればよい。そのように考え、あとは近鉄8810系キットをベースに、勢いで一気に車体を箱にした。

 車体断面は、本当は上半分もやや傾斜しているのだが、まあいいことにする。問題は前面。これがけっこう面倒で、どうしようかいろいろ考えた末、手元に転がっていた東急9000系の前面をつけ、あとはひたすら削る。

右のようにつけて、左のようになるまでひたすら削る。うまく丸みを出すように、うまく下半分を傾斜させるように、これがまたけっこう難しい。それでもなんとかやってみましょう。床板は近鉄のものを短縮、床下機器は東急7000系キットについてるVVVF車のものを流用(ということは作例は7020系ということか)、塗装をしてSSタイプの台車(ほんとは第三軌条集電だが、集電靴の有無とかは度外視して、なんとなく似てるかもということでこれにした)をはめて、出来上がった。勢いだけで作ったにしては、まあまあいい感じなのではなかろうかね。

 動力は19m級の鉄コレのものを使用予定だが、まだ手元に届いていないので、その工作は後回し。行先シールはBトレの地下鉄のものを流用したのだが、側面の表示幕はLED仕様のものが最近付けられるまでは無かったらしく、実際は必要ないのだが、つけた。もっとも、ベースが近鉄8810系キットゆえ、どうしてもちょっと全長は長くなるが。

 長さはこんな感じ。手前にあるので大きく見えるが、実際は5mmほど奥の20系より長いかな。ちなみに連結面間隔が地下鉄より短いので、4両で並べたら編成長はほぼ同じだった。それでも京成に比べれば、まだこんなのは許容範囲だと思う。阪神キットベースの車両と京急1000系キットベースだと、同じ京成赤電でもびっくりするくらい長さが違うからな。

 

 とまあこんな感じに、久しぶりにちょっと工作らしいことをしてみましたが、どうだったでしょうか。こういう工作は最近は流行らないかもしれないが、たまには手を動かして、今製品化されていない車両をお手軽に作ってみるという楽しみ方も悪くないものである。

 

 

 

  ひさしぶりの更新。工作はぼちぼちやっているが、他の人がやっていたものの真似だったり、工作とも言えないようなものだったり、すでに完成品が存在するのに余りパーツを成仏させるためのものだったりと、大したことをやっていない。

 

 そんな中、先日キックミットさんとこで運転会を執り行った。三重県のJRがテーマ。近鉄王国の三重県であるが、そこを敢えてJR(それも非電化限定)という、ちょっと変わったテーマの運転会である。三重県のJRと言えば紀勢本線、参宮線、名松線くらいか(関西線は電化されているから)。単線非電化路線を、私の所有車両では極めて少数派のディーゼル機関車と旧型客車が走る。

 

 

 普通列車とブルートレインのすれ違い。町並みもどこか昭和。たまにはこういうのも悪くない。

 

 やはり三重県となると、伊勢あたりではこういう「近鉄との並走」がよく見られる。昔は近鉄が圧倒的だったが、JRも快速を走らせたり、巻き返しにかかる。津と松阪を移動するなら、確か定期代はJRのほうが安いんだったかな。しかも田丸とかは近鉄から離れてるし、目的地や時間帯、状況によってはJRを利用するのもアリではなかろうか。

 

 三重県のJRと密接な関係にあるのが伊勢鉄道。複線非電化高架という、不思議な区間すらも存在する伊勢鉄道だが、線内各駅停車はこのような軽快気動車単行のみ。名古屋から津まで、JRでショートカットするにはこの伊勢鉄道を通らねばならない。そんな重要な路線の車両であるのに、動力がゲットできず今回は車庫でお昼寝。

 

 もう一つ残念なのがこれ。

 

運転会前に、一度売ってた中古屋の「前を通ったはずなのに店に気づかず中に入って見なかった」せいでゲットしそこねたキハ75。三重県エリアでは特急南紀とともに、花形列車なキハ75であるが、結局私がゲットしたのは三重県運転会の数日後、JAMの帰り。この車両が単線区間を高速でぶっとばすシーンは、ついに再現できなかったのであった....。自分の不注意で間に合わなかっただけに、残念感が非常に大きい。家に帰ってから、何度もため息をつきながらベンチレーターやアンテナ類を装着...。

 

 とまあこんな感じに、いくつか残念な事項がありながらも、今回も無事に運転会は終了。私の家ではほとんど出番のなかったキハ80系(しかも10両編成)や、旧型客車やDF50が大活躍できて、本当によかった。キックミットさんの家から宿へ帰る途中、台風がいよいよ接近。この台風については特段問題はなかったが、その次の台風のせいで、家へ帰るための船便が欠航。急きょ休暇が3日ほど伸び、JAMにも行くことができた。

 

 JAMには久しぶりに行ったが、熱気がすごかった。面白いものが売ってたりもしたが、大部分がボードに線路を敷いたり、レイアウトをつくったりしてるグループだった。すげえなって思わず言ってしまうくらいにレベルの高いものから、ただボードに線路を敷いただけ、架線柱もない路線で小田急ロマンスカーを大爆走させるグループもいた。いろいろ思うところはあったが、ああいうイベントは、離島にいるとなかなか行けないので貴重なのである。次回上京も、うまくイベントにあたればよいのだが。

 ひさびさの上京。離島暮らしゆえ、周囲に自分の趣味を分かり合える人間などいるはずもなく、私の唯一の楽しみがこの上京、要するにキックミットさん宅での運転会というわけである。最近の工作は、運転会のための工作になったりしてるし、運転会に投入するのを理由に家に眠ってる車両の整備などをしていたりもするので、私にとっては大事な行事なのどである。

 さて、今回のテーマは東武。大手私鉄はいろいろと祭りをやってきたが、私にとっては比較的なじみの薄い東武である。東上線は乗ったことあったのだが、伊勢崎線を初めて利用したのはものの数年前。その割には意外と特急を利用していたりもする。東武車両を駅に並べてみた。




 特急車から8000系から機関車から、さまざまな車両が集う。今回特に注目すべきは、特急車の多さ。日ごろ有料特急というのを目の敵にしていた、貧乏根性丸だしな私なので、近鉄祭りでも名鉄祭りでも小田急祭りでも、特急車はほとんど登場しなかった。そこへきて今回は、私も特急りょうもうを持ってきた。りょうもうは二度ほど利用したことあるし、便利だったので気に入り、中古で車両を揃えていたのであった。特急車が揃うと、やはり華があることは認めざるを得ない。

 自分とこの東武車両といえば、いつぞの両毛祭りのときのような、8000系や3000系などの通勤車とキット組み立て6050系と、そして特急りょうもうくらいだったのだが、今回はだいぶ前に作った営団とかも持ってきた。




 踏切を行きかう東武2000系と営団3000系。両方とも「昭和の地下鉄」みたいな感じで、最近のメタル色の電車などと見比べると、かえって新鮮に感じる。実はこの2編成のベースは、両方とも東急7000系キットだったりもする。踏切にいるトラックも合わせ、まさに昭和なのであった。

 


 終端駅には、旧特急と6050系。旧特急は、確か岩槻城跡に展示されていた(当日は見れなかった)。いいなーとか思ったけれど、導入は結局キックミットさんの鉄道とあいなった。新しい特急もいいが、こういう保守的な特急車もまたいいものである。一度乗車してみたかった。一方手前の6050系は私が作った車両。車番は実際に日光行くときに乗った車両にしてあったりと、妙に手が込んでいる...。奥には金属の東武8000系も。先の2000系を作ったときに思ったのだが、東武はクリーム色に比べれば、やっぱ今の白に青い帯のほうがすっきりしてていいよな。クリーム色だと塗装は楽だが、どうも地味というか、単調で垢ぬけない感じがしてしまうのである。

 こんな感じで、あっという間に東武運転会は終了。今回もまた楽しかった。次回に向けて、車両整備をがんばらないとな。毎度のことながら、キックミットさんありがとうございました。