仲間の皆様
沖縄は23日、1945年の第ニ次世界大戦末期の沖縄戦などで犠牲になった人を悼む「慰霊の日」を迎えた。23日は最後の激戦地となった沖縄健糸満市摩文仁の平和祈念公園で、県と県議会主催の沖縄全戦没者慰霊式が営まれ、玉城デニー知事や岸田文雄首相らが参列する。
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22日は公園内の沖縄平和祈念堂で公益財団法人「沖縄協会」主催の前夜祭があり、遺族ら約250人が参列。平和の願いが世界の「七つの海」を渡って届くようにと、「平和の鐘」が7回鳴らされ、犠牲者に黙祷をささげた。
協会の清水治会長は「戦場で最愛の肉親を失われたご遺族の深い悲しみや、悲惨な戦争体験を持つ人々の心の痛みは決して癒えることはありません」とあいさつし、平和を訴えた。
公園では日没後、犠牲者を悼み、サーチライトが「平和の光の柱」として上空に放たれた。
45年の沖縄戦では3月26日に米軍が沖縄本島西側の慶良間諸島に、4月1日に本島中部に上陸。6月23日に日本軍の司令官が自決して組織的戦闘が終わるまで約3カ月にわたる地上戦となった。住民9万4000人(推計)が戦闘に巻き込まれて命を落とすなど、日米合わせて約20万人の死者が出た。
【日向米華】
「毎日新聞」2024年6月23日付け朝刊 引用
(コメント)
昨夜のNHKEテレ午後11時からETV特集編「私と先生とピアノ」が放映されていた。
ひめゆり部隊で生き残った方は、学校での音楽・ピアノの先生から「死んではいけない」と言われ、「自分から自決してはいけないということだと理解した」と述べていた。
何故なら、彼女たちは捕虜になるなら自決すべし、と教えられていたからだ。
戦後彼女たちにそれを教えた部長は捕虜になり戦後大学教授になったとテロップが流れました。
現在も、「血を流す覚悟があるか?」などといっけん勇ましく叫んでいる政治家や評論家たちがいるが、「血を流せ」という政治家や評論家たちの言葉を信じてはならない、ということを肝に銘じるべきと言える。
何故なら自分たちは決して戦場には行かないからだ!
そして、戦争を始めたことについて責任を取らないからだ!