立川市議会議員研修会 | 立川市議会議員/公明党 高口やすひこブログ

立川市議会議員研修会

22日、市議会委員会室で、『令和5年度 第2回 立川市議会議員研修会』が開催されました。

 

新しい市史を編さんしてわかってきた立川市の歴史と資料」と題して、立川市市史編さん委員会委員長で、筑波大学教授の白井哲哉氏の講義を受けました。

 

先の「立川市史」は市制施行25周年を記念して、上巻は1968(昭和43)年、下巻は1969(昭和44)年に刊行されています。以来、半世紀が経過しています。この間、立川市の街並みや市民生活は劇的な変化を遂げ、多摩地域の中心都市として大きく発展しています。

 

昨今、市内に残されている貴重な資料が急速に失われ、これらの資料を保存し、市民の財産として後世に伝えることが喫緊の課題になっています。

現在、立川市は新たに立川市史編さんを進めるための事業を行っていますが、目的を下記の通りとしています。
 1.立川市への理解と愛着を深め、もって市民文化の向上に寄与すること。
 2.立川市の歴史的変遷、及び古くから営まれてきた生活や民俗を明らかにし、将来のまちづくりや市民生活に役立てること。
 3.立川市の歴史的、文化的遺産を調査し、市民共有の財産として後世に継承すること。
 4.歴史的公文書等の保存・活用に向けた基盤整備を行うこと。

 

具体的な活動として、6つの専門部会(先史、古代・中世、近世、近代、現代、民俗・地誌)により進められています。

 

先史部会は、立川市は東京都下の区市町村で文化財保護行政の先進自治体であったことが解明されたとしています。

昭和25年:文化財保護法が施行

昭和28年:晋済寺の六面石幢が国宝指定

昭和29年:立川市文化財保護条例が施行

昭和30年:立川市指定文化財の初指定(晋済寺の板碑群、大和田遺跡、八幡神社大欅など)、立川市文化財保護専門委員会が発足

昭和39年:阿豆佐味天神社の蚕影神社後が文化財指定
 

戦後間もなくのことで、厳しい状況の中、立川市の文化財保護への高い意識があったとされます。

 

古代・中世部会は、六面石幢について、関東に少なくとも3つの似た形状をするものがあり、宗教的関係の調査を進められています。立川を”名字の地”とした武士団・立川氏 その子孫が伝えた立川文書(立川市指定文化財)を扱われています。
 

近世部会は、鈴木家文書の全容解明を進められています。柴崎村で名主・組頭を務められた家で、古文書が7,000点にのぼります。古文書から分かったこととして、天然理心流とのつながりがあります。柴崎村で稽古を行っていた文書が見つかり、近藤勇の名前が記載されています。とても興味深いです。

 

近代部会は、”軍都立川”の実態を進められています。飛行第五連隊、航空神社をはじめ飛行場周辺に、軍関係施設が多数あったことが確認されています。

 

現代部会は、対象とする時期を戦後の1945(昭和20)年以降、2020(令和2)年までとされます。前回発行された以降の出来事、コロナ禍のこと、コロナ禍の前後で、明らかに変わったこと等を扱っていかれるそうです。大事な視点と思います。

 

昭和56年10月付け、東京都都市計画局 多摩地域都市モノレール等基本計画調査(概要報告)があります。これには、壮大な多摩都市モノレールの路線計画が記載され、大規模開発プロジェクト予定地域として「立川基地跡地」があります。後世に残すべき記録でしょう。

 

その他、多くの貴重な知らなかったことを教えて頂きました。ありがとうございます。

 

将来がどのように変転していくのか、誰にもわかりません。50年後、100年後の方々から現在をみた時、どのように思われるのでしょうか。市史編さん事業は、後世の人々に今を伝える大事な取組みと、改めて思います。本日は大変にありがとうございます。