レアな京都を求めて⑥ | ニュアンスで生きてます

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y-style 浅森 夕紀子

【レアな京都を求めて⑥】 

2024年12月29日に、京都府木津市の「銭司聖天(ぜずしょうてん)」に行きました。





 ここは「和同開珎(わどうかいちん)」という日本最古の貨幣を製造していた場所で、お金にご利益があると言われています札束


そして御朱印が ゾウガネーシャゾウ



私は御朱印を集めていないけど、ガネーシャは欲しいラブ乙女のトキメキと向かったのですが…


ぬあ、ぬあ、ぬあんと!!


閉まってました🤣


12/28〜/31 22時まで閉館。 





え?閉まるの?この時期に?とビックリ!!

駐車場には私の車しかないし、ちょっとヤバイかな?と思いつつ向かったら…笑い泣き


あちゃまあせる

後から来た男性と「閉まってますね…真顔笑い泣き」なんて話し、(この人が歩きでありませんように…)と思いました。 



というのも、ここは最寄りの「加茂駅」からタクシーで5分。このド田舎の「車で5分」は、普通の5分の距離じゃないです驚き



車に戻り「さて、どうしようか?」と友達と近くを検索し、向かったのが 


【海住山寺】かいじゅうせんじ





向かってる途中で先程の男性が歩いてるのを見つけて、「歩きや!歩きやったんか!」と乗せてあげたい気持ちになりましたが、休みの日に歩いて神社仏閣を廻る素敵な趣味だねふんわりリボンと友達と話してましたおねがい 




 海住山寺はけっこう山を登っていく場所にあり、車がスッテンコロリンするんじゃないかとヒヤヒヤする傾斜でしたびっくり





この海住山は小倉百人一首にも掲載されている「瓶原 みかのはら」を一望できる場所。(兼輔 作) 


※知らないおじさんカメラをカシャ









741年(天平十三年)。 

元日 聖武天皇が群臣の朝賀(一般参賀みたいな)をうけたまい、同年8月に平城の都をここに移し、鹿背山を境に東を左京、西を右京と定め、その後 都を近江の紫香津宮に移したので造営は途中で止まってしまいました。 



この年の6年前。735年(天平七年)

聖武天皇が都の建設の平安を祈るため、十一面観音を安置して「藤尾観音寺」と名付け創設させ、創設したのが東大寺の初代住職「良弁」(インド出身の四聖の1人)でした。



しかし1137年(保延三年)、跡形もなく焼けてしまいますメラメラ


その70年後、1208年(承元二年)11月

笠置寺の解脱上人貞慶(じょうけい)が思うところあり、ここに移り住み再建。

ここでとてつもなく厳しい戒律を作り、守り、教え、伝えました。そしてすぐれた高僧を輩出。




貞慶の衣鉢をついだのは慈心上人覚真。

彼は後鳥羽上皇の側近だったけれど当山で出家し、師匠の意志を継いで、もっともっと戒律を厳しくしました(笑) 



国宝五重塔は師匠の一周忌に東寺の仏舎利七粒を納めるために造られました。建立当初の姿が見れるのは珍しく、心柱を初重天井上で止めた技法は現存の五重塔では最古。





江戸〜明治に造られた五重塔26基の内、2番目に小さく一番上まで見える、貴重な国宝です。


★重要文化財は 6つ 

★京都府指定文化財は 7つ 

★京都府暫定登録文化財は 24つ


と、沢山の重要文化財が展示されていて、参拝者もけっこう来てました花火



境内も美しく整備されていて、お掃除されてたおじさんが色々親切に教えてくれました。







銭司聖天が閉まってなければ訪れなかったであろう海住山寺。 


こちらの方が歴史が深く、思わぬラッキーでしたラブ


簡単に行けない場所ですが、建築にご興味ある方など是非お越しくださいませひらめきハート




巨大なナスビがありました

多分、回した分だけお経を唱えたことになる…とかそういうやつです。

「もちあげ大師」
悩み事を思い浮かべて持ち上げる。
軽かったらすぐ解決する。重いと時間がかかるってやつ。
軽々持ち上げりました歩く立ち上がる