何年ぶり?
子供の頃の林間学校とか…
え?そんなぶり?
いや、林間学校でやったか?
あれはキャンプファイヤーじゃないか?
てくらいのBBQをしてきました
火って見てると落ち着くね
〜京都府宇治市にある萬福寺(まんぷくじ)〜
静かな住宅街の中に壮大に広がる中国明朝様式のお寺さんです。黄檗駅と言えば地元民しか降りないような場所←失礼w
江戸幕府により禅宗は「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」の三宗に分類され、萬福寺は黄檗宗の大本山です。
萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初の姿は日本では他に例が無く、国の重要文化財に指定されています。
開山した「隠元隆琦(いんげん りゅうき)」さんは中国の黄檗山萬福寺のご住職でした。
とても高名な僧でその名前は日本にも届いていました。
隠元さんが日本に来たのは63歳の時。
当時日本は鎖国中だったけど長崎の港は開かれていて、そこに中国出身の「逸然性融」さん達が中国式のお寺を開いてました。
逸然さんが隠元さんの弟子を日本に招いたけれど、その僧が乗った船が遭難し帰らぬ人に…そこで逸然さんは師匠であり日本でも名前が知られていた隠元さんを招きました。
すでに高齢だった隠元さんは断ったけれど、何度も何度も招かれて…亡くなった弟子の遺志も果たしたい!と「ちょっとだけなら…」と とうとう来日されました。
それが…運のつき?です。
30人の弟子達と来日した隠元さん(めっちゃ多!) 。
初めは長崎のお寺に住んでました。
中国に残した弟子達には「3年だけ行ってきま〜す♫」と言って来たので、約束の3年目になると弟子や支援者から「いつになったら帰ってくるんじゃーい!」と多数の手紙が届き、隠元さんも「そろそろ…お暇します…」と言ったけど、
日本の信者達は「ヤダー!ダメー!無理ー!」と拒否。
とうとう江戸幕府に働きかけて、隠元さん江戸城に呼ばれちゃいます
長崎の信者さん意志強ー!!
第4代将軍 徳川家綱に拝謁した隠元さん。
家綱までが「ヤダー!ダメー!無理ー!」と言って、京都宇治の後水尾天皇の生母の御殿があった土地を隠元に与えます。
こわぁ〜
「隠元 絶対帰さない作戦」
江戸幕府や諸大名の援助を受けて、この広大な地に中国式の馬鹿でかい寺院が完成したのは たったの18年!しかも中国様式!江戸時代!!
隠元さんの故郷「黄檗山萬福寺」と名付けられ、隠元さんはここで人生最後まで過ごすこととなります。
ん〜。中国に残してきた人達は可哀想
63歳で来日して、3年後に家綱に拝謁して、萬福寺完成まで18年…
完成した時は最短でも隠元さん84歳…。
人望がここまで厚い隠元さんってとっても素晴らしい人なんだろう
でも、故郷に帰れぬままってちょっと可哀想だなぁ…
1679年完成。
345年前に大工さん達の手で作られた建造物を直接触れる数少ない機会だと思います。
是非お立ち寄りください
隠元さんは(いんげん豆、スイカ、レンコン、孟宗竹(もうそうちく)竹の種類 等々)を日本に伝えたと言われてます
斎堂(食堂)前の回廊に吊されている開梛(かいぱん・魚梆(ぎょほう))は、時を報ずるための魚板。
木魚の原形となったもので、現在も使用されています。
私の夏休みは終わり
東京に帰ります。
帰りの電車で、隣の席に座ったトロピカルカントリーの団体さん。
タイ?ネパール?フィリピン?ベトナム?
どの国の方か分からないけど、隣のお父さんはゴールドの指輪をいっぱいはめてリッチメンな感じでした
隣に座って、シャツで汗を拭き拭き。
その時にぷわ〜んとあの匂い。
フィリピンへ語学留学に行った時のあの匂い…
少しだけ甘い。
なんの匂いだろう…
一瞬でセブ島のことを思い出す。
空は真っ白のにょきにょき入道雲
あぁ…暑い日も嫌いじゃないな。
少し長めの帰省をして、故郷を離れるこの瞬間に
あの暑い日のことも思い出す。
あの日々は私の宝物
あの匂い…また嗅ぎたいなぁ…
そして今は新幹線の中。
お隣にはバスケ選手かにゃ?という大きな男の子。この子も違う国の言葉を話してる。
席めちゃ狭い…
東京まで寝てしまおう…
※ボホール島でニシキヘビを首に巻いた写真。
爬虫類好きの私は、ヘビちゃんにめっちゃ話しかけ、ヘビちゃんが瞬間に振り向いた時はちょっちビビった