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もう少し

検査結果、だいぶ前に出ていたのですが、いろいろあって書き忘れておりました。

すみません。

案の定、見つかりませんでした……。

ただ、病気の進行が遅いのは相変わらずのようなので、今度の検査もだいぶ先になったので良かったです。


もう少し突っ込んだ検査もあるのですが、今のところは焦っていないでも良いようです。


もうそろそろ復帰でできます。

大道芸からは外れてはいませんが、他の活動もいろいろ。



そう言えば入院中、別の病室にいた叔父が訪ねてきて、

「痛むか?」

と聞かれ、

「うん、ちょっと痛い」

と言うと、

「痛いのは生きている証拠だ」

と言っていました。


後日、そんな叔父が痛み止めをごっそり手に持っていて面白かったです。



もう少し、もう少しです。

ペット

先日、PETという検査を受けてきました。

ブドウ糖に似た成分の注射を打ち、しばらくしてからCTに入る検査です。


がん細胞は普通の細胞たちよりブドウ糖を必要とするらしく、打った注射の成分がどこかに集中していることが確認できれば、そこに腫瘍があるかも!というものです。

ただ、僕の場合は幸い腫瘍の進行が遅いからあまりブドウ糖を必要としてなく、この検査じゃ分からないかも、とのことです。

でも、やってみないと分からないですもんね。

ということで結果は後日。



PETで思ったんですが、ペット用ドライフードって、基本的にみんな「カリカリ」って呼びますよね。

「カリカリ買わなきゃ」とか。

もう誰にでも通じる。

すごい言葉だなと思う。

他にもカリカリするものがたくさんあるのに。



不思議なものです。

例えば、お腹がシクシク痛いとかキリキリ痛いって難しいですよね。

体を交換して体感したことじゃないから正直その表現で合っているのか分からない。


感覚の表現ならまだしも、何かが落ちた音とかでも人によって「ゴン!」とか「ドサ!」とか、言い方はいろいろ違うのに、カリカリだけは変わらない。

もはや国境を越えても通じるのではないかと思うくらいです。


……、でも、「コケコッコー」が「クックドゥードゥルドゥー」みたいなことになってることもあるしなあ。

最初聞いた時は耳を疑いました。

クックまでは分かります。

でも、ドゥードゥルドゥーはちょっともう分からないっす。

ドゥルって。巻き舌じゃないと発声できない気がします。

そういえば、外国には擬音語や擬態語がない国もある、と聞いたことがあります。

どんな感じなんでしょうかね。

気になる。



いろいろ書いてしまいました。

検査結果出たらまた書きます。



それはそれとして、あともう少しで復帰できそうです。

今やってることが何とか形になれば……。

がんばります。

2013年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


ここからです。

今年

髭がわけの分からないところから生えてくる……。

昔からの地味~な悩み。

ほっぺたというより、もはや目の下じゃないのか?!というところからも生えてきたりする。

アゴや口よりも目の方が最寄りだ。

目から徒歩5分。

英会話学校のような距離感だ。


オシャレ髭を生やしている友人にどうスタイリングしているのかを聞くと、

「自然とこうなった」

という運命的なことを言われる。

要は、無精髭らしい。

髭剃りをサボることで日に日にオシャレ度がアップしていく。

そんな素敵なことが……。

僕がそんなことをしようものなら、イエティのようになってしまうかもしれない。

月刊ムーが取材に来てしまう。

そして研究材料にされること請け合い。

NASAまっしぐら。



そんなこんなで、今年も残り僅かですね。

来年、寒いうちには復帰しようと思います。

今年を振り返るという言葉がよく聞かれますが、自分は振り返るまでもなく、ちょっと横目で見るだけで入院していた毎日が想い起こされます。

同じ病棟で一緒になった、名前も知らないおじいちゃんは、

「俺はまだ生きていたいんだよ」

と言っていた。

「あんたもそうだろ?」

と言われ、

「はい」

と言った。

奇遇にも僕と一緒の退院日だった。

何だか忘れられない。

元気にしているだろうか。


今年は今まで生きてきて、間違いなく一番つらい一年でした。

痛かったし、怖かったし、きつかったし、つらかった。

けど、悪い年だったかと聞かれると不思議とそうは思えない。

来年こそは、できれば入院はないようにしたいところです。

が、検査で親玉が見つかれば早く取ってしまった方が良いのも当然。

揺れる男心ですね。


神経内分泌腫瘍。

聞いたこともない名前だったが、いまやパソコンでも打ち慣れてしまった。

初めて聞いた時は自分も、同席していた母も全く分からなかった。

あとで聞いたら看護師さんすら「聞いたことないです」、と言っていた。

個室に呼ばれ、その病名が書かれた紙を出され、先生が紙に「手術」と書き込み、即座に×を付けた。

そして、手術ができないこと(←あくまでもその病院のその時の見解では)を告げ、そのすぐ下に「抗がん剤」と書いた。

頭が真っ白になった。


その後、友人の何気ない情報(西尾くん、ありがとう)で、腫瘍を切るのにかけてはこの人だろ!という先生の元へ。

世界的な権威なので、こちらとしてはダメ元だったが意外にすんなりと診察してもらえた。

先生の、

「君はどうしたいの?」

というなかなかヘビーな質問に、

「切除してもらいたいです」

と答えると、すぐに秘書の方々が転院の手続きに。

他の病院の意見というか見解も聞きに行きたいことを告げると、「そんな余裕はない」と言われた。

で、入院して1週間もしないうちに手術。

医療ってすごいなあと思った。

こうやって細かく思い出しながら書くと、前にも書いたようなことをまた書いてますね。

やめます。



年明け早々に検査です。

それで見つからなければ、また違う方法で検査です。

主治医の先生は、

「早く見つけましょう」

と言ってくれているが、見つかりづらいのも事実。

現に8回くらい手術している人もいるらしい。

長い付き合いになるなあ。

先生方&看護師さん達、よろしくお願いします。



日常生活には特に問題ないけど、なかなか体力が元に戻らず、歯がゆい毎日ですが、少しずつがんばります。

ではでは、良いお年を~。

エピソードオブおじさん

僕の手術日の前日。

叔父も入院しました。

同じ病院に。

肝臓がん。

僕とほぼ同じですね。

奇遇にも、主治医の先生方も一緒でした。

術後の傷も同じ。


なもんで、お互い入院していた時はたまにお見舞いに行ってました。

点滴している人が点滴している人をふらふらとお見舞いに行く。

「大丈夫?」

「おう、そっちはどうだ?」という。

他の人から見たらどっちも大丈夫じゃないんですけどね。


そんな叔父も今や退院して割と元気にしております。

よかったよかった。