今日で、あれから10年。
 

 

お亡くなりになられた方、まだ遺体が見つかっていない方、被災された方、心や身体に傷を追った全ての皆さんに安らぎと平和が訪れるよう、ここアメリカ・ルイビルより祈らさせていただければと思います。

 

 

実際に震災があった日に日本にいなかった私にとって、実体験があまりないので感覚としてはこうして発信することにためらいをもったりもします。

 

 

わたしなんかが・・・・

 

っていう想いは正直あったりします。

 

 

当時はドイツ・ポツダムに住んでいましたし、肌感覚としてそれを実感できなかったので、想像の世界でしか何も書けないからです。

 

 

それでも出来る限り想いをはせました。

そうすると心が締め付けられ、涙が溢れ出しました。

 

 

 

あれから10年。

 

 

私は、私たちは10年前と何が変わっただろう?

 

 

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この写真は、女川小・中学校の校庭。

昨年12月末に訪れたときの写真です。

 

 

校庭は人工芝、後者はスタイリッシュなデザインでかっこよく、よりクリエイティブさが育つような校舎でした。

 

 

目に見える形ではこのようにして変わっていっています。

 

特に女川町は私が毎年訪れているので、こういった変化を継続的に見てくることができました。

 

 

ただ、女川町が変えずに残しているものもありました。

 

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これは、町にあった交番です。

 

震災が起きたあともそのまま残していて、最近モニュメントとして外装が舗装され、女川町が震災後に歩んだ歴史とともに振り返られるようになっています。

 

 

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目に見える形として変わっていくもの、変わらずに残されているもの。

 

 

じゃあ、心の中はどう変わっただろうか?あの当時のままなのだろうか?

 

 

立場によって当然異なると思います。

 

 

実際に被災した人と、そうでない人、物理的な影響を受けた人、受けなかった人。

 

 

大切な人をなくした人、家族をなくした人。

 

 

 

私たちはこの出来事から何を学んだのだろうか?

 

 

何を学び、何を伝えていけるのだろうか?

 

 

できることは何だろうか?

 

 

 

その答えは、一人ひとりの心の中にある。

 

 

 

この出来事を忘れないように、毎年年末に女川を訪れるときと震災が起きた日に、意識的にしっかりといろんなことやいろんな人の心に想いを馳せる。

 

 

 

そして、こうやってブログに書くことで、改めて自分でも考えるし、意識する。

 

 

 

そして、私は私にできることをやり続けていく。

 

 

それがたとえどんなに小さなことだったとしても、その行動を起こしたことに意味があると思っているから。

 

 

 

 

 

日本は地震大国。

 

 

地震や台風といった災害と共に先祖の人たちも生き抜いてきて、こうして今の私たちがいる。

 

 

こうして繋いでくれている遺伝子のバトンを、私たちが後世へと伝えていく。

 

 

日本人として日本に生まれて本当によかったと思う。

 

 

私、こう見えて日本が大好きなんですよ。

 

 

長いこと海外にいるからそうじゃないと思っている人もいるかもしれないんですけど。

 

 

 

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今日も私は変わらずボールと共に働きます。

 

 

サッカーを通して今できることを、やり抜きます。

 

 

 

Yuki