「できて当たり前」
環境が変わったり、立場が変わったり、ポジションが変わったり、関わる人が変わったり・・・
そういった変化が起こると、今までやってきたことだけでは通用しなくなり、違うスキルや能力が必要になってきます。
そういった「現状の自分の能力ではできない」状況に直面した時に、自身の進化が問われます。
すべきことをせずに自分のやりたいことだけやって、できないことを放置して自分の限界を超えていかない人を見かけたりすると、単純に「もったいないな」と、感じてしまいます。
だって、できないことが見つかるって「成長するチャンス」じゃないですか?
できないことができるようになると嬉しくて、自分の成長を実感できるから自信が持てるようになる。
でも、できないことや、嫌なことと向き合うのって最初は結構億劫ですよね。
ここで、「できないこと」を全部「must=すべきこと」に置き換えてみます。
「must」を自分に課し続けて、できるようになるまでやり続けることで、必然的にcanの数は増えていきます。
①できないことが何かを明確にする
②どうやったら出来るようになるかを考える
③出来るようになるまでひたすらそれを実行し繰り返す
④無意識にできるようになる
mustを自分に課し続けるって、言い換えると「当たり前にできることの基準をあげること」なんです。
例えば、明らかに誰が見ても味方のパスが悪くて自分がコントロールミスをしてしまった。
味方のせいにするのではなく、こんなパスをも当たり前にコントロールできることを当たり前にしてしまえば良いじゃないか!という発想です。
ただ、プロの世界であれば当然パスの質の改善を味方に要求する、ということはもちろん必要だと思います。
「質の向上」を求めることは、プロとして当然のことであり、ここを放棄することは仕事を放棄するのと同じようなものだと思います。
もちろん、ミスが起こることは当然あります。
サッカーはミスがあって成り立つ競技。
その起きたミスへの対応も、もちろん重要です。そこを含めての組織力といえるからです。
ただ、コントロールが少しずれると次のプレーへの移行が遅くなり、正確にコントロールするという前提で次へのアクションを準備している味方の選手も動き直しを余儀なくされ、さらにはチャンスになるという場面で相手DFに守備陣形を整える時間を与えてしまうことにもなります。
ミスが少なく、正確にプレーできる確率が高く、再現性の高いプレーができたら、組織としてもっと質の高いものになっていくと思います。
そうやって考えると、毎日のトレーニングに対する意識、パス一本、トラップ一本、シュート一本に対して取り組む姿勢も変わってくると思います。
プレーが成功した時の感覚を言語化して論理化。
それを意識して再び練習。
一つでも新しい感覚を見つけたら、それを言語化して落とし込む。
そうやって細分化していくことによって、体系化されていきます。
私はヘタクソなので、そうやって技術を磨いています。まだまだ高められるところはたくさんあるので、やりがいを感じています。
やりたいことの中に目的を明確に持ち、リスク管理しながらリスクを冒し、目標を定め戦略的に挑んでいく。
これが「挑戦する」だと感じます。
すべきことが当たり前に出来て、出来ることを周りの人よりも増やすことによって、はじめて「望むこと」ができるようになると私は思います。
海外移籍して初っ端経験したのは、この「当たり前」の違い。
自分が培ってきた当たり前とは違う環境では、その環境における「当たり前=すべきこと」をできるようにならないと、自分の望むことを表現する権利すらもらえません。
プライドとか自分のスタイルとか言ってる場合じゃなくて、結果を出すためにはそういうことが現実的に必要でした。
must
↓
can
↓
will
先日ある方に良いヒントを頂き、今回のテーマに繋がりました。
組織において「must」が抜け落ちた行動は、成果に繋がりにくい。
そして、このmustの基準を個人としても、組織としても上げていくことにより、大きな成果に繋がっていく。
まずはmustから。
すべきことに自分で気付ける人は、must迷子にはならない。
mustの大事さと機会の提供があり、そこからcanが増えて、willが見えてくる。
must迷子を減らし、一人一人のcan項を増やし、will を高い次元で横に繋げていくことが必要なのかな。
当たり前の基準を上げ続けていくと、ある領域に到達するんですけど、またそこからは違った景色と道が見えてきます。
その話は、またの機会に。
ちなみに
10月3日は……ドイツ統一記念日!
祝日前はしっかり買い出し。
スーパーとか空いてないからね。
ciao
Yuki