今回は、水俣病相談センターの相思社さんの事業「水俣町案内」に参加しました。
センターの職員さんが水俣病の関連施設を案内してくれます。
まずは、チッソ水俣工場の正門前
原因企業のチッソは、水俣の街で会社が大きく成長し、街を大きく発展させていった会社
水俣病に最初に罹患したのは、豊かな漁場を求めて天草方面から移住してきた漁民達
水俣病は「水俣市民+チッソ」と「漁民」との闘いでもあって、少数派の漁民達は、病気で苦しんでいるにも関わらず、市民から疎外され、差別されていたということがありました。
「水俣病」から「メチル水銀中毒症」へ病名変更を求める動きもあるということも知りました。
ただ、これについては、「チッソが原因だった水俣病」という印象を薄めるだけだという反対の声もあるようで、簡単ではないと説明がありました。
この看板一つとっても、この会社は現在でも水俣の街に大きな影響を及ぼしているのだと実感しました。
チッソ正門前を見学後は、百閒口排水溝の見学
メチル水銀を含む工場廃液を流し続けていた場所です。
当時、水俣の漁師のあいだでは、「この場所に船をつなぐと、船底についたフジツボがいなくなる」という話が広まっていたそうです。
最終的には100トン近いメチル水銀が水俣湾に放出されたようで、ここには4m近いメチル水銀のヘドロが堆積していたそうです。
この他には、坪谷漁村や湯堂漁港などの患者多発地区や、相思社さんに併設されている歴史考証館を見学
当時や現在の状況やチッソと水俣市民との関係など、現地の生の声を聞けて大変有意義な一日を過ごすことができました。
翌日はエコパーク水俣を見学
水俣湾の海底に堆積したメチル水銀を閉じ込めるために埋め立てた場所です。
約60ヘクタール 東京ドーム13.5個分に、4面の野球場やサッカー場、道の駅などがあります。
ここに来たのは、水俣病慰霊の碑のため。
原発の街もそうですが、水俣市のような企業城下町が全国にあります。
同じような事件があった場合に、水俣の教訓を活かすことを誓ってお祈りしておきました。