【名盤再訪】VIENNA / ULTRAVOX | マノンのMUSIC LIFE

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ウルトラヴォックスご存じでしょうか?
1980年あたりに英国で「ニューロマンティックス」としてバズったバンド群の代表ですが、この辺の音は世界的にずっと評価が低く、ジャパンやデュラン・デュランのように大きく音楽性を変えてゆくこともなかったので、このジャンルの代表としてバカにされているような感じなのです。

誰もが認める名盤なら私がわざわざ取り上げるまでもないですが「あの頃はみんな大好きだったクセに日和見しやがって」という憤りを込めて、1stアルバム「VIENNA」の40周年記念ボックスが出たこの機会に再評価をしておきたいと思います。(あ、発売は去年ですが入荷量が少なかったのか予約したのに入手できず、今年の春にやっと聴けた次第)

今回はニューロマというくくりではなくて、パンクからニューウェーブへの流れに沿って、テクノポップを取り込みつつ、80年代前半のエレクトロニック・ポップ隆盛へ繋がる中で最もキーとなる存在であるこのバンドを、周辺のアーティストも絡めて位置付けてみたいと思います。

これが1980年という年だと憶えておいてください。


まずはDCブランド華やかなりし当時、三宅一生が出演したサントリー角瓶のテレビCMのBGMに採用されてシングル盤もヒットしたこの曲をどうぞ。絵はライブシーンですが音はスタジオヴァージョンです。
ULTRAVOX - New Europeans (1980)

なかなかキャッチーでしょ。
ニューウェーブ期はフランジャーというエフェクトが一般的になって、トレブルを強調した「ジャギッ」とか「シャキーン」みたいなギターの音が流行りだったんですが、この「ジャッチキ、ジャカチキ」というカッティングだけで「お!なに?」となってTV画面を見てしまうことを期待してCMに採用されたのでしょう。
アルバムの中でも一番ヒット性が高いのに日本だけのシングルカットなのは不思議。確かにギターが強すぎるぶん欧州色は薄いけど。

 

この40周年記念エディションと同時期にジャパンの3rd「QUIET LIFE」の記念ボックスも出たのですが、これも同じ頃シンセ中心のニューロマ的な音作りに大きく舵を切った一作。どれがどれをマネしたとか、どっちが先とかいう以前に、シーンの流れがその方向に大きな可能性を見出していたと言った方が当たっているでしょう。
JAPAN - Quiet Life (1980)


そもそもウルトラヴォックスはジョン・フォックスを中心に結成され、ブライアン・イーノをプロデューサーに据えて1977年に1stを発表したところから始まっているのですが、最初はまだパンクっぽいこんな音。

ULTRAVOX -  Rockwrok (1977)

同年の2ndアルバムでは早くもこんな感じの曲も。「QUIET LIFE」期のジャパンはこのあたりの路線を狙ったんじゃないかと思われます。

ULTRAVOX -  Hiroshima Mon Amour (1977)

徐々にエレクトロニクス成分が増えていって、ギタリストも脱けた'78年の3rd「SYSTEMS OF ROMANCE」を最後に解散状態になり、ジョン・フォックスは'80年早々に「METAMATIC:メタルビート」でソロデビューして硬質なテクノサウンドを展開。
JOHN FOXX - Underpass (1980)


一方、残りの3人のうちキーボードのビリー・カリーは「ニューロマンティック」の顔役とも言うべきスティーヴ・ストレンジのヴィサージに参加。ごらんの通りその名に違わぬストレンジなお方ですが、彼が立ち上げたクラブイベントからこのムーヴメントは育っていったのです。

VISAGE - Fade To Grey (1980)

ヴィサージのライブ動画を探したのですが、TV出演の口パク映像しか残っていないので、おそらくはスティーヴを盛り立てるためのレコーディングプロジェクトと考えた方がいいのでしょう。

ここで共働したミッジ・ユーロをビリーが引き入れて、中途半端に終わったウルトラヴォックスを再始動させようと目論んだわけですね。

 

ニューロマ勢はけっこう派手なメイクをしていたことから、アダム&ジ・アンツなんかとまとめて「ニューグラム」というくくりで日本には紹介されることもありましたが、今も日本にガラパゴス的に生き残っているヴィジュアル系の源流がジャパンをはじめとするこの辺の欧州ロマン派系バンド群でもあります。(まぶた全体にべったりアイシャドウを塗る美学の源流はよくわかりませんww)

 

ウルトラヴォックスも、そういうバッチリメイク写真を残してないかと探してみたのですが、最大限でこの程度↓、アー写としては普通かな。ミッジはチョビひげ生やし始めたし、ブームに乗るよりもダンディな欧州紳士路線で考えてたんでしょう。それは正解だったかも。

ミッジは80年代中期のチャリティブームに先鞭を付けたバンドエイドの「Do They Know It's Christmas?」を実質的に制作したのが、一般的には一番の功績なのでしょうが、実はこの人にもいろんな前史があったのでした。(ちなみに「ユーロ」は音楽性に合わせた芸名かと思いきや、本名James Ureのようです。)

1975~7年まではスリックというアイドルバンドで、かのベイ・シティ・ローラーズの「Saturday Night」を当てたビル・マーティン&フィル・コウルターというソングライターチームの曲を中心に歌っていて、この曲などは全英1位を取ったりもしているのです。知らんなぁ。。。
SLIK - Forever and ever (1976)

セックス・ピストルズの前身スワンカーズのヴォーカルが脱けた時には後釜に誘われたらしいんですが、ミッジが断ってくれたおかげで後にジョン・ライドンが入ることになったわけで、もし彼が入っていたらパンク・ムーブメントは起こらなかった・・・かも。
その後、ピストルズを脱けたグレン・マトロックのバンド、リッチ・キッズに入って作った1枚のアルバムは日本盤も出ています。
RICH KIDS - Rich Kids (1978)

こういう流れで見ると、当時はティーニーボッパーもパンクもさほど違うことをやってたわけじゃないのがよくわかりますね。みんな売れたかったってだけで。

とはいえ、歴史的な大掃除を終えて、誰もが次の新しい音楽を目指していたポストパンクの時代。ことに前期ウルトラヴォックスが3rdを出した78年はクラフトワーク「THE MAN-MACHINE:人間解体」やYMOの1stが発売され、シンセサイザー・ミュージックが実験音楽を抜け出て、よりポップな形で提示された「テクノポップ元年」と言ってもいい年。
細野晴臣がその「SYSTEMS OF ROMANCE」を聴いてYMOの2ndアルバムのベースラインを録音し直したという逸話もあるくらいで、地味に影響力はあったようです。

 

ULTRAVOX- Slow Motion (Live At Reading 1978) 

「SYSTEMS OF ROMANCE」の中のこの曲などは、ミッジ期を予感させもするし、その後のYMOっぽくもありますね。

 

翌79年にはゲイリー・ニューマンが、同様に初期のパンクっぽい音からシンセ中心の音づくりに変えてブレイク。「REPLICAS:幻想アンドロイド」「THE PLEASURE PRINCIPLE:エレクトリック・ショック!」の2枚で一躍、時の人に。

アンドロイド的な風貌でコミュニケーション不全を歌うってのも、透徹感のあるアナログシンセの非人間的な感触ともあいまって、時代の空気と恐ろしくマッチしていたのでしょう。
GARY NUMAN - Cars (1979)

まだパソコンのメモリーもKB単位だったわけで、当時想像されたアンドロイドの言語レベルを反映したかのようなたどたどしいミニマルな歌詞もよかったのかも。
 

彼も三日天下のような売れ方で、人力テクノから打ち込みサウンドに移行して落ち目になり、自主レーベルでゴリゴリの金太郎飴サウンドを作り続けました。90年代半ばに来日がアナウンスされたのでチケット取ったんですが、ライブをやれるほど売れなかったんでしょう、中止になってお金が戻ってきたことがありました。

そんな不遇の時代をベストやライブ・アルバムの乱発で乗り切った後、世紀が変わるあたりからそのゴリゴリサウンドがナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンなどの影響源として再評価されるようになり、ここ10年は新作も徐々に充実してきて、今年出た「INTRUDER」はまさかの30年ぶり全英トップ3入り!継続こそ力なり。生きてればイイこともある。


彼も当時からジョン・フォックスの影響を公言していましたが、79年に再起動したウルトラヴォックスも、3rdまでの流れを踏まえた上でニューマンの成功を目にして、確信を持ってその路線を推し進めたのだと思います。「VIENNA」のオープニング曲はインストナンバーですが「THE PLEASURE PRINCIPLE」のアルバムの構成を参考にしたようにも聴こえます。

ULTRAVOX - Astradyne (1980)


こうして'79年はバンドの再構築で忙しいはずのミッジ・ユーロさんですが、秋には全米ツアーの真っ最中に脱けたゲイリー・ムーアの穴埋め役としてシン・リジーでギターを弾いて、その流れで来日公演までやったらしい。

ジャパン解散後のミック・カーンを助けるかのように2人ユニットで1枚シングルも作ったこともあるし、頼まれるとイヤと言えない人なの?
 

ここからは「VIENNA」からの曲をいくつか聴いてもらって新生ウルトラヴォックスとしての独自性はどこにあるのかを探っていきましょう。まずはこういうテンポ早めのタテノリ曲が多いところでしょうか。
ULTRAVOX - Sleepwalk (Live in St Albans 1980)

これが新編成での1stシングルのライブ映像。こんな早いテンポで歩く夢遊病者がいるのか疑問ですが、ドドドドドドドドという8分音符連打のシンセベースはウルトラヴォックス印という感じです。

ベーシストのクリス・クロスはヤマハのCS40Mというシンセを愛用しているようですが、8分音符として打ち込んでいるのではなく、鍵盤を押してる状態でそういうリズムで鳴る音色設定にして手弾きしているんじゃないかと思います。

YMOはRolandのMC-8など数値入力のシーケンサーを導入していましたが、本体の記憶容量が小さく、その場で曲ごとにデータをロードしたりする専門オペレーターが必要で、ライブで手軽に使えるような打ち込み機材は登場していない、まだまだそういう人力テクノの時代。

 

シングルカットされた4曲のうち3つはこの手の直線的なタイプ。ノリのいい曲でヒットを狙ったんでしょうけど、デュラン・デュランの2ndシングルもこの路線でさほど売れませんでした。

バンドとして初めてUKチャート2位という大成功をもたらしたのはこちらの曲。欧州各国でも1位を記録しているし、時代がどういう音を求めていたかの証左でしょう。
ULTRAVOX - Vienna (1980)


演奏面では、ビリー・カリーのシンセ・ソロでのピッチベンドが特徴的。ベンド幅が大きくて揺らし方が早く、クォータートーンも多用しているので不安定な感覚の演出もある、けっこうトリッキーなタイプ。ギターソロに替わるもの、対抗できるものとして考えていたのかも。
ライブではポリフォニックシンセ(ヤマハCR80やオーバーハイム)でコード、モノシンセ(ARPオデッセイ)でソロ、たまに印象的なピアノを弾くかと思えば、ヴァイオリンやヴィオラの腕を披露したり、とかなり忙しい人です。そんなビリーの活躍ぶりが一番聴ける曲がこちら↓。

Private Lives (1980)

 

そして次はクラフトワーク直系、「Trans Europe Express」をアップデートしたような曲。アルバムのプロデューサー、コニー・プランクは「AUTOBAHN」までのクラフトワーク作品を作った人だしね。

ドラマーのウォーレン・カンのナレーションですが、ドイツ語版の「Herr X」というヴァージョンもあります。

Ultravox - Mr. X (1980)


基本的に生ドラムのバンドなんですが、この曲はRoland CR-78というデカい箱を使用。名前の通り'78年の発売で、CompuRhythmなどと書いてありますが「リズムボックス」という呼び名が似合います。

ワルツだのサンバだのジャンルごとのプリセットパターンを下部の色分けされたボタンでセレクトするわけですが、こういうのはエレクトーンやカシオトーン、YAMAHAのミキサーにも付いていました。録音時期がもう少しずれ込んでいたら'80年発売のご存じTR-808が使用されていたでしょうが、これはこれで味があります。


その後バンドは「RAGE IN EDEN」(1981年)「QUARTET」(1982年)「LAMENT」 (1984年)と順調にトップ10アルバムを連発して、シングルも全英10位台の中ヒットを記録していました。
メロディが明解でわかりやすいのはアイドルバンド上がりならではの美点かもしれませんが、のちのちまでバカにされる要因でもあるのかも、そこは裏表ですね。

音楽的な進化がさほど見られなかった分、安定して売れていたとも言えますが、'83年以降デジタル・シンセとドラムマシン、MIDI規格のおかげで、打ち込み中心のエレポップをやるのがとても容易になり、デペッシュ・モードからハワード・ジョーンズ等、続々と出てくる新しい才能に押されていた印象は否めません。
それに加えて、フェアライトCMIやシンクラヴィアなど今のDAWの基礎となるようなシステムが何千万円という価格にも関わらず、シンセ主体でないアーティストまでがこぞって使うようになり、プログラミングやサンプリングを利用した曲作りが一般的になって、エレポップはその中に取り込まれてしまったと言えるでしょう。

 

ウォーレン・カン脱退後の1986年作「U-VOX」はまさにそういう時期を反映していて、一聴して音楽的な迷いが見られ、これを最後に解散状態になりました。

その後ビリー・カリーがバンド名の権利を得たのか彼主導で90年代に2枚ほどアルバムを発表。21世紀に入ってノスタルジック再結成が当たり前になってからはミッジ時代の4人でツアーをしたり、2012年には「BRILLIANT」というオリジナルアルバムも出して今に至ります。

 

最後に「Vienna」以来久々のトップ3ヒットとなったこの曲をどうぞ。

ULTRAVOX - Dancing with Tears in My Eyes (1984)

キャッチーなメロディと伸びのある声、それを支える8分ビートと欧州風味を演出するシンセ、加えてたまに目立つディストーションギター、ここらがやっぱりこのバンドの持ち味でしょうかね。

DANCEという単語がキーワードでもあった、1980年代前半の時代感覚は現在から見るとかなり浅薄かもしれませんが、確かにこの時代の最先端ではあったのです。

 

 

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