入院中、時間があるからとはじめた

過去の病歴の記載


退院後はなかなかゆっくりと時間が取れずに

期間が空いてしまいました。


私の病歴④からの続きです。

私の病歴④


頚部リンパ節郭清の手術後、
放射線治療をすることになりました。


何個のリンパに転移していたのか?
抗がん剤は必要なかったのか?
その辺りどんな説明を受けたのかは
記憶にありません。


放射線治療は
週4回~5回、計28回でした!
自宅にちゃんと資料が残っていました。


自宅から病院までは高速を使っても1時間半ほどかかるし、電車は1時間に1本しかなかったので、実家に泊まり、父に毎日送迎をしてもらいました。実家から病院は車で25分ほどでした。



まずは顔を固定するための型作りをしました。


検索したら出てきました!
たしかにこんなやつでした!!

治療が終わるときに
持って帰りますか?と聞かれ
がんばった証を残したいなぁ~と
よぎったものの…さすがに大きいので処分をお願いしました  笑




副作用として最も辛かったのは
口内炎です。

とんでとない口内炎ができて、
放射線治療期間ずっと治ることはありませんでした。
痛み止めも全然ききませんでした。
本当に辛かったえーん

治療中、実家住まいで
母は少しでも食べられるように
お粥にしたり、スープにしたり
工夫してくれました。

少しでも食べた方がいいと
支えてくれました。 


でも、本当は何も食べたくなかった。
病院から出されたドリンクの栄養剤だけ
飲んでいたかった。

でも、がんばってくれる母には
伝えることができず
ただただ食べました。


噛めない、飲めないで
毎食1時間以上かかりました。
 

食事が終わったら
もうすぐ次の食事時間…
食事は苦痛でした。

味覚障害もあり味もほとんど感じず
酸味は異常に強く感じ
この経験から今でも酸っぱいものは苦手です。


そして、口内炎の痛みで会話も辛く
寝たり起きたりの生活で
ろくに会話もせずに過ごす私に
父は何かしたらどうか?
と言ってくれていましたが
とてもそんな気分にはなれず…

そんな毎日に
少しずつ両親との関係も
ギクシャクしていきました。



私が楽に過ごせたのは
夫の待つ自宅に帰ったときでした。
毎週金曜日の夜に自宅に帰り
夫と過ごし
日曜日の夜に実家に帰る。


夫は
辛いなら
何もしなくていい
何も食べなくていい
栄養剤だけ飲んで栄養をとったていい
と言ってくれることが
ありがたかった。

私が進んで食べた唯一のものは
近所のパン屋さんのクロワッサンでした。
痛みで食べるのは辛いですが、
小さくちぎって口に入れ
溶かすように食べました。
味はしなくても、バターの風味は感じたんです!

自宅に帰り
調子の良いときに
ちびちびクロワッサンをつまんで
何もしない。
それが安心できる時間でした。


でも、両親が私のためにしてくれた全てのことにもちろん感謝しています。
治療が終わればギクシャクは解消されましたよ!


その他の副作用では、
首の皮膚の赤みや放射線があたる右の後頭部のみ脱毛しました。

今でも、脱毛したところは髪が少ないです。
そして、産後の脱毛時には美容師さんに驚かれるほどその箇所が脱毛しました。


次は肺への転移です