北さんのブログ

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 兵庫県の地域医療構想において、急性期医療の再編・効率化を目指した病院統合の動きが進められています。しかし、その過程では様々な課題が浮き彫りになっており、特に病院統合に関して多くの問題を生じています。

まず、「市立伊丹病院と近畿中央病院の統合」です。この統合の背景には、兵庫県阪神北医療圏域における医療機能の偏りが存在します。具体的には、地域医療構想において、高度急性期と回復期病床が不足しており、一方で急性期と慢性期の病床が過剰であると指摘されています。また、この地域は高度急性期医療を提供する救命救急センターがなく、救急医療の圏内充足率が低いという課題も抱えています。そのため、統合の目的としては、両病院が受け入れている高度急性期および急性期患者の受け入れ体制を維持しつつ、平均在院日数の短縮や将来の医療需要に基づいた病床数の整備を図ることが挙げられています。当初、令和7年を目標に統合が計画されていましたが、建築費用の高騰や新病院予定地の土壌汚染などで令和9年に延期になりました。そのため、経営困難を理由に近畿中央病院が令和7年度末をもって早期に閉院することが決定されました。これにより、新病院開院までの間の地域医療提供体制、特に救急医療や周産期医療など、近畿中央病院が担ってきた機能の維持が大きな課題となっています。住民からは、医療機能の低下やアクセス悪化を懸念する声が上がっています。同時に、急な廃院に伴う職員の処遇、配置転換や労働条件の変更は、医療従事者のモチベーションに影響を与える可能性があり、適切な対応が望まれます。

次は「三田市民病院と済生会兵庫県病院の統合」です。三田市民病院と済生会兵庫県病院の統合は、医師不足、施設の老朽化、人口減少と高齢化の進行といった地域医療を取り巻く課題への対応として議論されてきました。済生会兵庫県病院側も、単独での急性期医療提供の継続が困難であるとの認識から、神戸市の協力を得て三田市民病院との統合を目指し、令和10年度の開院を目標とされていました。令和5年、病院統合の白紙撤回を公約とした新市長が当選したため一時凍結され、その後に市長が公約を撤回し、再編統合を再開する、という迷走が起きてしまい、開院が令和12年へと延期になってしまいました。この問題の根底には、済生会兵庫県病院(神戸市北区)と三田市民病院という異なる医療圏の病院が統合することに対する懸念や、三田市が所有者となる土地の取得に神戸市の税金が使われることへの疑問、統合による既存病院の縮小や再編によるアクセス低下、かかりつけ医機能の変化への懸念などがあります。

兵庫県の地域医療構想における病院統合は、医療資源の効率的な活用と医療の質の向上を目指す上で重要な取り組みです。しかし、伊丹市や三田市の事例が示すように、その実現には多くの困難が伴います。今後、これらの課題を克服し、真に地域住民のためになる医療提供体制を構築するためには、地域の実情に即した柔軟な計画、丁寧な情報公開と双方向のコミュニケーション、医療従事者の確保と働きがいのある環境整備、そして財政的な裏付けと持続可能な運営モデルの構築することが必要です。これらの課題に真摯に向き合い、関係者が一体となって取り組むことで、兵庫県の地域医療構想が目指す「質の高い効率的な医療提供体制の構築」が実現されます。

 現代社会に広がる潮流の一つに、ポピュリズムがあります。「大衆迎合主義」と訳されることが多く、一般大衆の利益や意見を代弁すると掲げ、既存の権力構造やエリート層を既得権益として批判します。また、エビデンスに基づく冷静な議論よりも、感情的な訴えで大衆の支持を集め、感情に直接訴えかける政治的な思想や運動を指します。ポピュリズムは複雑な問題を単純化し、目先の利益だけを取り上げ、熟慮のプロセスを軽視する傾向があります。

 特に近年、私たちが注視すべきは財政ポピュリズムの台頭です。これは、経済的な合理性や国家財政の持続可能性を軽視し、短期的な国民や有権者の支持を得るために、財政支出の拡大や減税を主張・実行しようとする政治的な姿勢やイデオロギーを指します。

その一例が、「身を切る改革」という名のもとに行われた大阪の行財政改革です。「二重行政のムダ」といった分かりやすい敵を設定し、「抵抗勢力」との対立構造を煽りながら、議員報酬削減といった「身を切る」姿勢をアピールすることで、有権者の支持を獲得しました。しかし、その裏で断行されたのは、保健所や公立病院の人員・予算削減、文化や福祉といった、すぐに経済的価値を生み出さない公共サービスの切り捨てでした。その成果として、確かに一時的な財政収支は改善したかもしれません。しかし、その代償がいかに大きかったかを、私たちはコロナ禍という未曽有の国難において痛感させられました。平時に「ムダ」として切り捨てられた医療・公衆衛生の基盤は、有事の際に国民の命を守る防波堤として機能不全に陥り、その再構築には削減を遥かに上回るコストと時間を要します。これは、もはや特定の地域の出来事ではなく、日本のどこででも起こりうる未来への警鐘です。

 このような耳障りの良い政策が声高に叫ばれる風潮は、国民の生命と健康を預かる医療分野にも、今まさに深刻な影を落としています。それは、「国民の負担軽減」というスローガンの下で進められる、安易な社会保障費や医療費の抑制です。財政ポピュリズムにおいて医療は、社会の安定を支える不可欠な基盤としてではなく、単なるコストとして削減の対象とされます。私たち医療従事者による医療現場の実態を踏まえた提言は、「既得権益を守るエリートの抵抗」として退けられ、複雑であるべき医療制度の問題が単純化されてしまいます。その結果もたらされるのは、診療報酬の不合理な抑制、地域医療の崩壊、そして国民が享受できる医療の質の低下です。

 財政ポピュリズムは、短期的な人気取りを優先し、社会保障という国家の根幹を揺るがしてしまいます。私たち医療従事者は、こうした風潮に断固として立ち向かう責務があります。国民の健康を守り、世界に冠たる国民皆保険制度を未来へと引き継いでいくために、私たちがなすべきは、目先の利益や感情論に流されることなく、科学的根拠と長期的視点に基づいた冷静な議論を主導することです。国民皆保険制度の担い手として、財政ポピュリズムの危険性を社会に訴え続け、医療の価値と専門性を社会に丁寧に説き、持続可能な医療制度設計のために努めることが、私たちに課せられた使命ではないでしょうか。国民の健康と日本の医療の未来を守る防波堤として、共に確固たる信念を持って歩んでまいりたいと存じます。

 令和6年度の診療報酬改定は、「診療所を狙い撃ちにした」と揶揄されるような過去に例を見ない改定でした。ことの始まりは、作年11月に財政制度審議会(財政審)によって出された「診療報酬は本体のマイナス改定が適当」との「秋の建議」です。コロナ禍での特例処置を無視して、経常利益が前年度比8.8%上昇しているとの財政審の作為的な操作によるもので、日本医師会は極めて強く反論しました。その後、厚生労働省と財務省の大臣折衝で本体部分の0.88%のプラス改定になりましたが、実質は「特定疾患療養管理料」から糖尿病、脂質異常症、高血圧が除外されたのに加え、「ベースアップ評価料」も計算上では医療機関の持ち出しになるなど、大幅なマイナス改定になってしまいました。当初の財務省のマイナス1%の主張に対して0.88%のプラス改定へと押し返したとはいえ、中央社会保険医療協議会(中医協)で押し切られた形になってしまった日本医師会の中医協委員並びに日本医師会執行部に対しては全国の医師会員から非常に激しい不満、叱責の声が上がりました。しかしながら本来責められるべきなのは単純に中医協委員並びに日本医師会執行部なのでしょうか?実は強まる外圧によって以前より中医協は弱体化してきており、今や中医協で診療報酬の改定率を決定しているのではないのです。以前は自由民主党議員や厚生労働省、大臣、日本医師会の折衝により、中医協で診療報酬の改定率が決められていました。しかしながら現在は、改定率の決定は内閣と財務省に委ねられ、非常に強い影響を持つ財政審と、厚生労働省、財務省の大臣折衝において実質の改定率や診療報酬の細部まで決められているのです。このように医療報酬の配分に対して政治が非常に大きく介入してきている現実において、対抗するための政治、政策を動かす力とは国政に送り出す組織内候補者の得票数なのです。日本の医療に対して適切な財源を確保するためには、その決定の過程において重要な場である国政の場に多くの得票数を得た組織内候補者を送り込む必要があります。過去には日本医師会の候補者を超えて票を獲得した他の医療系団体に対して非常に有益な政策が行われた事実があります。今年の11月までには必ず第50回衆議院総選挙が、来年の7月には医師会の組織内候補が立候補する第27回参議院通常選挙が実施されます。選挙のたびに囁かれる有名な政治経済学の言葉に「合理的無知」があります。投票で候補者や政党を選択をするためには政策や情報を収集、精察しなければならないのですが、たかだか自分が1票を投じても選挙結果には影響せず便益を損じるだけなので政治、政策の勉強をすることも投票も行わない、ということです。どうか日本の今後のより良い医療のためにも「合理的無知」から抜け出してください。

 新年早々に発生した能登半島地震のニュースに対し、東日本大震災と熊本地震に兵庫JAMTとして出動した経験もあり、今回も早期にJMATとして出務しました。今回、兵庫JAMTの現地での役割は避難所訪問(支援JMAT)ではなく統括業務で、私が参加した第4班の活動について簡単に報告させていただきます。メンバーは医師:北垣(西宮市)、越智(須磨区)、事務:曽谷(兵庫県医師会)、看護師:横山(兵庫県立がんセンター)、荒木(西神戸医療センター)と薬剤師:宮森(テイエス調剤薬局)の6名です。以下、タイムスケジュールを簡単に記載します。

 1月15日(月)

20時54分、大阪発、サンダーバード49号。

23時29分、金沢到着。

24時:インターゲートホテルチェックイン。

 1月16日(火)

4時15分:降雪のなか金沢を出発。

6時:第3班と七尾市、ルートインホテルで合流後、穴水町に向けて出発。

8時:穴水町保健医療福祉本部(穴水保健センター)に到着。

8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティングに参加。

 統括業務の引き継ぎとともに第3班、妹尾医師(兵庫区医師会)の統括にて、6チームのJAMTを各避難所に派遣。

16時:七尾保健医療福祉調整本部(公立能登総合病院)に移動し、荒木医師(西区医師会)より業務引き継ぎの後、リーダーミーティングに参加(北垣)。

17時:穴水町保健医療福祉本部にて夕刻ミーティングに参加(越智)。

17時15分:七尾保健医療福祉調整本部にて能登中央医療圏医療調整福祉会議に参加(北垣)。

18時30分:七尾保健医療福祉調整本部にて日医JAMT本部(石川県庁)会議に参加(北垣)。越智医師は穴水から帰途の車中よりWEB参加。

21時:七尾市のホテル着。

 1月17日(水)

6時15分:穴水町に向けて出発。

8時:穴水町保健医療福祉本部に到着。

8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティング。

 6チームのJAMTを各避難所に派遣。

13時:穴水町保健医療福祉協議会にて地元の医療機関(3クリニック、1病院)と現在の被災状況、医療ニーズに関して意見交換。徐々に診療を再開しており、医療ニーズはなし。

13時30分:JAMT兵庫派遣調整本部(兵庫県医師会)とWEBでミーティング(北垣、越智)。

16時40分:七尾本部にてリーダーミーティング(北垣)。

17時:穴水本部にて夕刻ミーティング(越智)。

18時30分:七尾保健医療福祉調整本部にて日医JAMT本部会議に佐原日医常任理事と参加(北垣)。越智医師は穴水本部よりWEB参加。

19時30分:報道ステーションTV取材。

20時30分:七尾市のホテル着。

 1月18日(木)

6時15分:穴水町に向けて出発。

8時:穴水町保健医療福祉本部に到着。

8時30分:穴水町保健医療福祉本部、定時ミーティング。

 8チームのJAMT(1チームは重装JMAT)を各避難所(JMAT2チームを能登町、重装JMATを珠洲市)に派遣。

13時:JAMT兵庫派遣調整本部とWEBでミーティング。

13時30分:第5班(三浦医師(西宮市)、新藤医師(尼崎市))が到着。引き継ぎの後、帰途につく。

 今回の能登半島震災は過去の震災に比して被災者の高齢化率が高く(穴水町46%、奥能登50%に対して阪神・淡路13%、東北23%、熊本28%)医療、介護の必要度が高いうえ、広域避難を望まない傾向にありました。また、穴水町、人口8400人中、1700人が約40箇所に分散かつ点在避難しているのに加え、陥没や、がけ崩れのため道路状況が非常に悪く(金沢〜穴水が4時間、七尾〜穴水が2時間、その他通行止め多数)、JMATチームが避難所を回るのに時間を要しました。

 更に問題であったのは石川県庁の日医JAMT本部とわれわれ、現場の統括との情報、意見の齟齬でした。本来は前日の夕方までに日医JAMT本部より翌日到着するJMATチームの情報(チーム編成、能力、到着時刻)が届くはずでしたが全く無く、当日の朝になってわれわれが情報収集してやっと判明するような状況でした。また、本部からは穴水より奥能登(珠洲、輪島、能登)へJAMTを派遣するように再三要請があったのですが、穴水統括であるJMAT兵庫には奥能登の情報(医療機関の被災状況、道路状況、移動の危険性等)が全く届いておらず、この危険な状況ではJMATの安易な派遣は無理、危険である旨、伝え紛糾しました。この件を含め、日医JAMT本部との会議では本部に対してCommand&Control(指揮命令・統括)、Communication(意思疎通、情報収集、情報伝達)が上手く機能していないので改善を、と連日のように協議を行いました。

 元来、医療、介護資源が乏しい能登半島において、震災直後の初期対応よりも今後、1.5次避難所、2次避難所から被災者が戻ってこられる慢性期に医療需要や災害関連死が増える危険性があるので全国のJMATによる長期に渡る支援の継続が必要で、兵庫JMATもその一翼を担う必要があります。

 最後に七尾市で開業され、自らも被災された日医常任理事の佐原先生には現場のJMAT兵庫と日医JAMT本部の間に入っていただき、色々な問題点改善に動いていただいたことに心より御礼申し上げます。

「長寿社会が文化国家である」、という認識の崩壊とともに、我が国においては死に対する概念が 著しく変化し、ある種、潔い死生観を持ち、自ら が社会にその死生観を発することがまるで一種の教養であるかのような涵養が徐々に進んできています。元来、日本人は社会や家族、その他の人々 の負担にならずに生き、逝くことを非常に重視する気質が強いため、安易な健康寿命重視が高齢者 の長寿に対する強いプレッシャーに繋がり、結果として「適正寿命(不健康な長寿は社会にとって は無意味な生であり、健康なうちに社会に迷惑を かけずに逝くこと)」という危うい概念がなし崩し 的に受け入れられようとしています。このような「適正寿命」のプロパガンダによって、日本人の人 生に対する視点が「いかに生きるべきか」から「い かに潔く逝くべきか」に変わるとともに治癒、延命医療より「安らか、かつ無駄のない死を与えるのが最善の医療」という流れに知らず知らずに進 んできています。「尊厳死」や「平穏死」という一 見すると崇高な死生観の衣の下からは「無意味な 医療」と「無意味な生」に執着せずに早く若い世代にその座を受け渡せ、という鎧が見えており、国が進めているACP(アドバンス・ケア・プラ ンニング、人生会議)もそのための政策ではないかとさえ勘ぐってしまいます。それ以上に心配な のは負担がかかることで現役世代の高齢者に対する不満が鬱積し、社会から高齢者を早期に排除しようとする流れが助長されるのではないか、とい う点です。すでに「孫のお年玉を取り上げるよう な高齢者が日本の社会制度では生じている」という自立できない高齢者に対する社会からの退場論 (逆シルバーシート論)や、不必要な医療かどうか、 本人、家族の意思確認の議論もなく「高齢者に最後の1ヶ月の延命治療はやめませんか?と提案すれば」、「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、高齢者は老害化する前に集団自決、(社会的な)集団切腹みたいなことをすればいい」というような暴論、極論。現役の官僚でさえも「人生 最後の1ヶ月で生涯医療費の50%を使う」と、自 らを知識人と称する人達の誤った過激な情報発信が高齢者へ「適正寿命」を強制的に押し付け、社 会から早期排除する流れに拍車をかけているからです。 本来は少子高齢化の現代社会において高齢者と現役世代が対立することなく、また高齢者が現役世代に負担をかけるとして肩身の狭い思いを持ち ながら人生を送ることのないようにすべきであり、 誤った「適正寿命」の考えを正す必要があります。