北さんのブログ

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 現在、兵庫県が推進する地域医療構想は、大きな転換点を迎えている。ターゲットは「2025年(団塊の世代が75歳以上)」から「2040年(団塊ジュニア世代が85歳以上)」へとシフトし、課題は医療需要の総量対応から、生産年齢人口の急減に伴う「働き手不足」と「医療リソースの最適化」へと深化している。その象徴的な事例が、令和8年7月に開院を控えた「兵庫県立西宮総合医療センター」による、県立西宮病院と西宮市立中央病院の統合であり、この統合事例を通じて、公立病院が抱える財政問題と、現場に生じる「歪み」について考察したい。

 西宮市は尼崎市、伊丹市、宝塚市、神戸市、芦屋市に隣接する人口約48万人の中核市で、人口約180万人の阪神医療圏域の中にある。県立西宮病院および西宮市立中央病院は、いずれも年間約10億円規模の慢性的な赤字を計上している。県立病院全体では約133億円(令和6年度)に及ぶ巨額の赤字構造があり、これを一般会計からの繰入金で補填し続けることは、自治体経営において限界に近い。今回の統合において、西宮市側は初期投資を150億円に限定し、運営責任を地方独立行政法人「兵庫県立病院機構」に移譲することで、将来的な赤字補填義務と老朽化に伴う建て替えリスクを回避した。これは一見、合理的な「財政スキーム」に見えるが、医療の質と地域連携の観点からは、別の課題が浮き彫りとなる。

 新病院は、552床(一般544床・精神8床)を有し、救命救急センターや重度四肢外傷センターを備えた「高度急性期」への特化を旗印に掲げている。しかし、ここに「機能分化の罠」が潜んでいる。第一に、2次救急の負担増である。高度急性期への特化は、不採算部門や低回転部門の切り離しを意味する。西宮市立中央病院が担っていた地域密着型の機能が喪失し、輪番体制に空白が生じれば、周辺の民間病院や地域病院に過度な負担がのしかかる。第二に、「出口閉塞」のリスクだ。回復期機能を地域へ完全に委ねる設計となっているが、地域側の受け皿が十分でなければ、新病院の病床はたちまち逼迫する。かつて「尼崎の失敗(尼崎総合医療センターの統合直後)」で見られたように、軽症・中等症の高齢患者が高度急性期病床を占有し、本来の重症患者の受け入れが困難になる事態は、容易に予測される。

 統合後の事業費は、資材高騰等により当初の386億円から560億円へと大幅に膨らんだ。このコストを回収するためには、高い病床稼働率と収益性の維持が至上命令となる。ここで危惧されるのが、機能分化の理念に反する「患者の囲い込み」である。収益確保を優先するあまり、地域へ逆紹介すべき患者を自院で抱え込むような事態になれば、地域医療連携は形骸化する。

 病院の統合・再編は、単なるハコモノの整理や赤字の付け替えであってはならない。 新しい地域医療構想が目指す「治す医療から、治し支える医療へ」の転換には、高度急性期病院の独り勝ちではなく、回復期・在宅を担う地域医療機関との血の通った連携が不可欠である。我々医師会は、これら公立病院の動向を注視し、高度急性期機能が真に有効に機能しているか、そして地域全体の救急バランスが維持されているかを厳しく検証し続けなければならない。県民の医療と福祉を守るため、機能分化という言葉の裏にある「歪み」を正していくことこそ、今、我々に求められている使命である。

 現在、伊丹市の公立学校共済組合・近畿中央病院が進めている「診療休止(休診)」と、それに伴う国の「病床数適正化緊急支援事業」の活用は、今後の地域医療構想のあり方に極めて深刻な課題を突きつけています。新病院への統合という確実な「出口」が決まっているなかで、実質的な廃院を「休止」という法的なオブラートに包み、約8億円もの公金を受け取ろうとするこの手法は、果たして制度の趣旨に沿ったものと言えるのでしょうか。

 本件の最大の問題点は、医療法上の「休止」手続きと、補助金事業の要件である「病床削減」の整合性です。まず、通常、「休止」は開設許可を維持したまま一時的に診療を止める行為ですが、本事業は病床設置許可の抹消(削減)を前提としています。次に、この削減が「将来的な再開の権利」を放棄した確定的なものなのか、それとも新病院へのリソース移管に向けた「一時的な返上」に過ぎないのか、その境界は極めて曖昧です。最後に、「休止」の名の下に、廃止に等しい給付金(1床あたり205.2万円の休床単価適用で約8.2億円)を受領し、かつ将来の統合先へ資産を引き継ぐことは、補助金の目的外利用や制度の潜脱とみなされるリスクを孕んでいます。

 本事業の本来の目的は、地域医療のために苦渋の決断で病床を削減する医療機関の救済です。しかし、本件は「老朽化と赤字で維持不能となった病院」が、統合という解決策を得た上で、さらなる「店じまい費用」を公金に求めている構図に他なりません。ところが、新病院建設には多額の地方債や公費が投入されます。その傍らで、既存病院の整理に「緊急支援事業」という別の財布から巨額の資金を引き出すことは、国民から見れば「公金の二重取り」との批判を免れないでしょう。同時に、経営努力を重ね、地域に踏みとどまる民間の中小病院が受けるべき支援枠を、公的性格を持つ大規模病院が「駆け込み」的に占有することの影響は無視できません。

なにより、2026年3月の突如とした診療休止により、地域の二次救急や特定の患者層への診療機能が損なわれるなか、運営主体の国家公務員共済組合連合会(KKR)の姿勢が問われます。この状況下で、受領予定の約8億円が、単にKKR本部の負債解消などの「赤字補填」に消えることは断じて許されません。この原資は本来、地域医療構想の実現、例えば不足する回復期機能への転換支援など、兵庫県内の地域医療の質向上に全額が直接還元されるべきです。

 この問題は、単一病院の経営問題ではなく、公的病院は赤字を公金で清算して去ることができる一方で、民間病院にはその出口がないという不公平な構造を露呈させました。 我々医師会は、県に対し、給付金受領の条件としてその使途を地域医療に限定させる附帯決議を求めるなど、厳格な監視を続ける必要があります。これが「悪しき前例」となり、地域医療の信頼を崩壊させることがあってはなりません。兵庫県には、「社会保障財源の持続可能性」や「地域医療構想」の観点から、法的なグレーゾーンと政策上の矛盾点を、県民に説明すべきです。

    昨年の総裁選時、我々医師会が抱いた淡い期待は、今や深い失望へと変わりつつある。かつて高額療養費制度の負担上限引き上げに「反対」を明言していたはずの高市首相は、政権の座に就くや否や、財務省主導の「改悪」へと舵を切った。その変節の免罪符として使われているのが、患者団体をも“アリバイ”に利用する不誠実な議論の積み重ねである。

政府が進める高額療養費制度の見直しは、一見、多数回該当の据え置きや「年間上限」の新設といった配慮を見せているが、その実態は制度利用者の約8割にとっての「純増」に他ならない 。年収650万~770万円層の月額上限が11万円超へと跳ね上がる現実は、がんや難病などの長期療養患者から経済的余力を奪い、治療断念を突きつけるものである 。さらに看過し難いのは、維新との連立合意によって推進される「OTC類似薬」の保険給付外しである 。解熱鎮痛剤や抗アレルギー薬など広範な薬剤費の25%を追加徴収するこの試みは、将来的な「全額自己負担化」への入り口であり、国民皆保険制度の根幹を揺るがす暴挙と言わざるを得ない 。驚くべきは、これほどのリスクを国民に強いて得られる「保険料軽減効果」の低さだ。政府の答弁によれば、その額は合計しても月額わずか150円程度。まさに「ペットボトル1本分」のスズメの涙である 。一方で、徴収が始まる「子ども・子育て支援金」によって月額500円程度の負担増が確定しており、「手取りを増やすための社会保障改革」という首相の主張は、完全に破綻している 。厚労省は本改悪により約3,000億円の給付費削減を見込んでいるが、そのうち患者への改善分として還元されるのはわずか1.8%(540億円)に過ぎない 。これは「機能強化」などではなく、公的医療保険の「機能弱体化」そのものである 。   

    我々医師会は、現場で患者の悲鳴を最も近くで聞く立場として、この「アリバイ作り」の議論を断じて許してはならない。「病気をしたら終わり」という社会にさせないために、国は安心を提供するのが本来の務めではないか 。高市政権に対し、我々は医療現場の峻烈な現実を突きつけ、断固としてこの改悪の撤回を求めていくべきである

世界を見渡せば、理性よりも感情、対話よりも暴力が支配する「衆愚」の極みに達していると言わざるを得ない。大国におけるリーダー(誰とは言わないが)の質の著しい低下は目を覆うばかりであり、民主主義そのものが制度疲労を起こし、自壊しつつあるようにすら映る。

翻って、日本の惨状はどうか。与野党ともに政治とカネを巡るあさましい醜聞の嵐。国民が物価高や将来不安に喘ぐ中、永田町の住人たちが演じているのは、国家百年の計なき「保身」という三文芝居に過ぎない。かつて政治家に求められた「経世済民」の矜持は地に落ち、ただ目先の選挙に勝つための迎合と、その場しのぎの弥縫策、まさに「ポピュリズム政治」が繰り返されるのみだ。

我々が医療の現場で直面している社会保障の持続可能性という危機は、待ったなしの現実である。それにもかかわらず、問題を先送りし続ける政治の不作為は、もはや犯罪的ですらある。この混沌を抜本的に刷新されなければ、日本は静かに、しかし確実に世界の表舞台から消えていくことになるだろう。

 兵庫県の地域医療構想において、急性期医療の再編・効率化を目指した病院統合の動きが進められています。しかし、その過程では様々な課題が浮き彫りになっており、特に病院統合に関して多くの問題を生じています。

まず、「市立伊丹病院と近畿中央病院の統合」です。この統合の背景には、兵庫県阪神北医療圏域における医療機能の偏りが存在します。具体的には、地域医療構想において、高度急性期と回復期病床が不足しており、一方で急性期と慢性期の病床が過剰であると指摘されています。また、この地域は高度急性期医療を提供する救命救急センターがなく、救急医療の圏内充足率が低いという課題も抱えています。そのため、統合の目的としては、両病院が受け入れている高度急性期および急性期患者の受け入れ体制を維持しつつ、平均在院日数の短縮や将来の医療需要に基づいた病床数の整備を図ることが挙げられています。当初、令和7年を目標に統合が計画されていましたが、建築費用の高騰や新病院予定地の土壌汚染などで令和9年に延期になりました。そのため、経営困難を理由に近畿中央病院が令和7年度末をもって早期に閉院することが決定されました。これにより、新病院開院までの間の地域医療提供体制、特に救急医療や周産期医療など、近畿中央病院が担ってきた機能の維持が大きな課題となっています。住民からは、医療機能の低下やアクセス悪化を懸念する声が上がっています。同時に、急な廃院に伴う職員の処遇、配置転換や労働条件の変更は、医療従事者のモチベーションに影響を与える可能性があり、適切な対応が望まれます。

次は「三田市民病院と済生会兵庫県病院の統合」です。三田市民病院と済生会兵庫県病院の統合は、医師不足、施設の老朽化、人口減少と高齢化の進行といった地域医療を取り巻く課題への対応として議論されてきました。済生会兵庫県病院側も、単独での急性期医療提供の継続が困難であるとの認識から、神戸市の協力を得て三田市民病院との統合を目指し、令和10年度の開院を目標とされていました。令和5年、病院統合の白紙撤回を公約とした新市長が当選したため一時凍結され、その後に市長が公約を撤回し、再編統合を再開する、という迷走が起きてしまい、開院が令和12年へと延期になってしまいました。この問題の根底には、済生会兵庫県病院(神戸市北区)と三田市民病院という異なる医療圏の病院が統合することに対する懸念や、三田市が所有者となる土地の取得に神戸市の税金が使われることへの疑問、統合による既存病院の縮小や再編によるアクセス低下、かかりつけ医機能の変化への懸念などがあります。

兵庫県の地域医療構想における病院統合は、医療資源の効率的な活用と医療の質の向上を目指す上で重要な取り組みです。しかし、伊丹市や三田市の事例が示すように、その実現には多くの困難が伴います。今後、これらの課題を克服し、真に地域住民のためになる医療提供体制を構築するためには、地域の実情に即した柔軟な計画、丁寧な情報公開と双方向のコミュニケーション、医療従事者の確保と働きがいのある環境整備、そして財政的な裏付けと持続可能な運営モデルの構築することが必要です。これらの課題に真摯に向き合い、関係者が一体となって取り組むことで、兵庫県の地域医療構想が目指す「質の高い効率的な医療提供体制の構築」が実現されます。