今日は音楽というものを専門性とは異なる視点で考えてみたい。
先生はある学会の「音楽が心身に障害を持つ子どもたちに有効な理由」という資料を元に、
知的障害児や自閉症・ダウン症を抱える生徒の指導法についてお話ししてくださった。
その内容の概略を次に示してみる。
1. 音や音楽を媒介として発達を促すことができる。
①音楽はもっとも受けとめやすい感覚へ訴えることができる。
②音楽は情緒に働きかけやすい。
③音楽は向き合う姿勢をつくりやすい。
④音楽はパターンをもち繰り返すので、予測しやすくわかりやすい。
⑤音楽は動的にも静的にも活用でき、情緒の安定に役立つ。
⑥楽器類は、初期的な手先操作で音を出すことができる。
さらに役割取得や、社会性の発達に関与できる。
⑦音楽は、合わせることによって自己調整力を高め、さらに自我を発達させる。
⑧音楽は、聴覚運動と視覚運動の協応性を増し、さらに認識する力や
発声する力を高める。
2. 音楽のいろいろな活動をとおして、表現の体験をさせることができる。
①自分で音を創り出す喜びの体験
②表現能力の成長
③自分を知り、自信をもつ
④自分を外に向けて表出する
3. 音楽のいろいろな活動に参加して、社会性の基礎を育てることができる。
①自然発生的な無意識の表現
②他の人を意識した表現となり、意志や思考が含まれる。
③他の人の表現を見聞きして、他の人の世界を知る機会となる。
④他の人とともにあることを知る。
⑤自分自身を知る。
※3.の①~⑤は上から下へ順番に育っていくもの
上記の内容に関して端的に述べるなら
音楽という媒体を1つの教育手段、
ないしは1個の道具と考える方法だと言える。
都内養護学校に赴任した当時、
このような考え方に対して先生自身、非常に抵抗があったという。
それは音楽大学という場所で、
音楽を専門的に追求してきた人間にとって、
非常に屈辱的だとさえ感じたそうだ。
「音楽は手段や道具なんかじゃない!
音楽は音楽だ!」
そう感じつつも現実問題として考えた時、
音楽を手段や道具として用いることは必須条件だった。
そして実際に行なう授業の中では、
音楽を手段や道具として利用している先生自身がいた。
そんな日々の中、養護学校での新採当時は、
音楽家としての自分、教員としての自分、
相反する2人の自分自身がいることに気付き、
その矛盾に疑問をいだき、葛藤と戦う日々が続いたという。
次に、このお話しの中で書き留めた自分のメモを、参考までに示してみる。
音楽を道具として用いる。
音楽という媒介を通して社会性の学習が可能。(役割分担)
・大人が伴奏し、子供が歌う。
・子供がリズムを打ち、大人がそれに合わせて演奏する。
知的障害・自閉症・ダウン症などにとっては音楽療法の側面が効果的。
生活性→創造性
小学生→高校生
音楽を通して、多種多様なことを学ぶことができる。
・準備と後片付け~ものは初めから用意されてはいない~
歌うこと、楽器を鳴らすことにより喜びを感じ、学習意欲を促進させる。
視覚と聴覚の協応性。
教える側の一方的な指示だけではなく、選択の機会を与えるべき。
・「今日はどの言葉で発声練習する?」
私のメモにもあるように、この考え方には音楽療法的側面もある。
先回の日記でも書いたように、私は最近、音楽療法という考え方に少し興味を持ち始めている。
その意味では非常に興味深い内容のお話しだったし、
大変参考になる資料である。
この経験は私の生涯を通して、かけがえのない宝物となるに違いない。2006-07-08 21:47:15