19時00分~20時45分は、横浜道場(領家中学校体育館)の稽古でした。組手中心で行いました。私は、例によって不参加でした。

 さて、タイトルの件ですが、今年の5月11日19時40分の出来事です。JR線小田原駅(神奈川県)の電車の中で男性の遺体が発見されました。駅員が119番通報をし、小田原市消防本部やJR関係者などによりますと、その場で死亡が確認され警察に事件性がないと判断されました。
 朝、JR渋谷駅(東京都)から男性を乗せたとみられる電車は終日折り返し運転を続け、駅員が男性を発見したのは、乗車から約12時間後でした。その間、異変に気付く人はなく、車内で病死したとみられるという事です。
 JR東日本横浜支社によりますと、駅員はホームに到着した15両編成の電車が回送になることから、車内を点検し、普通車両の14号車内の窓を背にした2人がけの席で、男性を発見しました。動く様子がなく、声かけにも反応がないため、119番通報し、AED(自動体外式除細動器)を使って心臓マッサージをしましたが不帰の人となりました。

 電車の定員は約2千人で、渋谷、新宿、池袋駅などを通る「湘南新宿ライン」、宇都宮駅で折り返した後は上野、東京、品川駅などを通る「上野東京ライン」として運行していました。私も、新宿駅や渋谷駅を経由して、利用する事が多いです。
 この日は、神奈川県内の駅と宇都宮駅の間を3回折り返して、計652.7キロ走行しました。遺体が見つかった小田原駅は、この日の運行の終点だったのです。

 乗車から何時間後に心肺停止になったかは明らかではありませんが、多くの乗客が接していたはずです。心臓麻痺で静かに眠る様に亡くなったので、「異変」に気が付かなかったのでしょうか?他人に対する「無関心」なのでしょうか?
 それと、折り返しの時には乗務員や駅員が車内を点検し、眠っている人に声を掛けていた記憶がありますが、今は「人員削減」でその様な事は行われていないのでしょうか?
どちらにしろ、何か切ない気持ちになります。

 ここで思い出したのが萩原朔太郎です。「都会の憂鬱」というタイトルの詩が有ったと思い、インターネットで検索しましたら、「群集の中を求めて歩く」 (『感情』1917年6月号)という詩がありました。
(転載開始)
 私はいつも都会をもとめる/都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる/群集はおほきな感情をもつたひとつの浪のやうなものだ/どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛慾とのぐるうぶだ/ああ ものがなしき春のたそがれどき/都会の入り込みたる建築と建築との日影をもとめ/おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか/みよ/この群のながれてゆくありさまを/ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり/浪はかずかぎりなき日影をつくり、日影はゆるぎつつひろがりすすむ/ひとのひとりひとりにもつ憂ひと悲しみはみなそこの日影に消えてあとかたもなし/ああ なんといふやすらかな心で私はこの道をも歩みすぎ行くことか/ああ このおほひなる愛と無心のたのしき日影/たのしき浪のあなたにつれられてゆく心もちは涙ぐましくなるやうだ/うらがなしい春の日のたそがれどき/このひとびとの群は建築と建築との軒をおよぎて/どこへどうして流れゆかふとするのか/私のかなしい憂愁をつつんでゐるひとつの大きな地上の日かげ/ただよふ無心の浪のながれ/ああ どこまでも、どこまでも、この群集の浪の中をもまれて行きたい/波の行方は地平にけぶる/ただひとつの悲しい方角をもとめるために
(転載終了)
 そして、「群衆」との関係を、『四季』1935年2月号の「群集の中に居て」 の中で書いています。私が何となく記憶にあるのはこの文章なのかも知れません。
(転載開始)
 都市生活の自由さは、人と人との間に、何の煩琑な交渉もなく、その上にまた人々が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。/ ( 中略 ) /げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。
しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為し、味ひ、人々と共に楽んで居る。心のいたく疲れた人、重い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人にとつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。/——都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも何処までも、都会の空を徘徊しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方は地平に消える、群集の中を流れて行かう。群集の中を流れて行かう
(転載終了)
 この事件「病死」なのでしょうが、「事故死」とも言える事案ではないかと思いました。

* 毎月1日に「三つの心」、「道場訓」及び「子供倫理スローガン」を掲載します。これらには、当会の生徒への指導方針が凝縮されています。心を毎月新たにするために、継続して掲載して行きます。
「三つの心」
 (1)ひとつ 「はい」という素直(すなお)なこころ
 (2)ひとつ 「ありがとうございました」という感謝(かんしゃ)のこころ
 (3)ひとつ 「もうしわけありませんでした」という反省(はんせい)のこころ
「道場訓」
 (1)ひとつ 心を磨き体を鍛えます。 
       「こころ を みがき からだ を きたえます。」
 (2)ひとつ 正義感、克己及び勇気を身に付けます。 
       「せいぎかん こっき および ゆうき を みにつけます。」
 (3)ひとつ 稽古した心技体の成果を出し切ります。
       「けいこした しんぎたい の せいか を だしきります。」
 (4)ひとつ 礼儀作法を守り、規律を保ちます。
       「れいぎさほう を まもり きりつ を たもちます。」
 (5)ひとつ 仲間を大切にし、励まし合いながら稽古します。 
       「なかま を たいせつにし はげましあいながら けいこ します。」
「子供倫理スローガン」
 (1)空手のわざはみせません
 (2)ケンカをしてはいけません
 (3)いじめをしてはいけません まずは大人に相談します