10時00分~11時00分は、やよい台幼稚園空手道教室の稽古でした。春休み期間と言う事で、この時間帯になりました。また園が休みなのに会場をお借り出来ました事を感謝申し上げます。

 

 17時00分~19時00分は、湘南台公民館ホールの稽古でした。「自主稽古」と「基本&形の基本の「き」」(こちらは18時00分開始 稲葉指導員)を行いました。

 

 19時00分~21時00分は、長後公民館ホール&第2談話室の稽古でした。組手中心で行いました。

 21時00分~21時45分は、同公民館ホールで「自主稽古」でした。

 

 さて、タイトルの件ですが、昨夜の「基本形講習会」で、久し振りなので喋りまくり質問しまくりました。が、勢い過ぎて間違いがありました。

 訂正したものを大人の参加者に、お詫びを込めつつメールで送りました。皆さんにも参考になると思いますので、転載します。

(転載開始)

皆さんへ

小林志光です。

いつもお世話になっております。

昨日の講習会参加ありがとうございます。

講義した内容で、修正ないし訂正したい事がありますので、ご連絡を致します。

 

1 空手道の定義

  「身体各部を合理的に運用して攻防の技を展開する体育的格技」と述べましたが、

  これは、私の先生(木村英勇先生)から指導されたものです。

  これが間違っているとは思いませんが、全空連『空手道教範』という本では、以下の通りとなっています。

 

  「身体各部位の直接活用による突き、打ち、当て、蹴り、受けの技術を主体として構成され、その理法に基づく合理的な修練を通して、運動能力を高め、且つ人格の養成を志向する道」

  解説しますと以下の通りです。(小林志光の見解)

  ① 剣道や弓道等と違い「身体各部位の直接活用」が特徴です。

  ② 柔道や合気道の様な投げ、関節への極技又は絞め技ではなくて「突き、打ち、当て、蹴り、受けの技術」が特徴です。

  ③ 「運動能力を高め」更に「人格の養成」をも目的とした道=武道 です。

 

2 沖縄県での学校教育への空手道の採用

(1)糸洲安恒先生(1832年~1916年)を「今でいう教育長」というのは完全な間違いでした。

   お詫びして撤回します。

(2)糸洲先生は、旧琉球王国及び沖縄県で「公務員」で祐筆(書記)として働いていました。

   退職後、1901年4月(69歳!)に首里尋常小学校で体操の正課として取り入れられた時に

   指導を行いました。

   また、1905年に沖縄県立中学校で空手道が正課として取り入れられた時に指導を行いました。

 

   また、別の文献では1908年には「糸洲10訓」と呼ばれるものを沖縄県学務課に提出して

   その翌年1909年に正式に空手道を授業として採用し、講師に糸洲先生を迎えた、

   というのもあります。

 

   ですので、以下の様に説明すべきでした。

   「1900年頃に沖縄県学校で空手道が授業として取り入れらましたが、

    糸洲先生が講師や県への提言をして、これに大きな役割を果たしました。

    平安の形も生徒が習う為に先生が新たに作りました。」

 

    以上については、次月の基本形講習会の時に訂正をします。

   なお、「糸洲安恒」や「糸洲十訓」は、ご自身で調べてください。

 

以上、宜しくお願い致します

(転載終了)

 

 なお、「糸洲十訓」はスペシャルサービスで転載します。現代語訳では、ありません。

(転載開始)

糸洲十訓(唐手心得十ヶ条)

糸洲十訓

前文

唐手は儒仏道より出候ものに非ず。往古、昭林流、昭霊流と云(ふ)二派、支那より伝来(し)たるも(の)にして、両派各々長ずる所あ(り)て、其儘(そのまま)保存して潤色を加ふ可らざるを要とす。仍而(よって)、心得の條々左記す。

 

<ここから十訓開始 小林志光>

唐手は体育を養成する而己(のみ)ならず、何れの時君親の為めには身命をも不惜(おしまず)、義勇公に奉ずるの旨意(しい)にして、決して一人の敵と戦ふ旨意に非ず。就(つい)ては、万一盗賊又は乱法人に逢ふ時は、成丈(なるた)け打ちはずし(す)べし。盟(ちかっ)て、拳足を以て人を傷ふ可らざるを要旨とすべき事。

 

唐手は専一に筋骨を強(く)し、体を鉄石の如く凝(り)堅め、又、手足を鎗鋒(そうほう)に代用する目的とするものなれば、自然と勇武の気象を発揮せしむ。就ては、小学校時代より練習致させ候はば、他日兵士に充るの時、他の諸芸に応用するの便利を得て、前途軍人社会の一助にも可相成と存候。最もウエルリントン侯がナポレオン一世に克(よ)(く)捷(しょう)せし時、曰(く)、今日の戦勝は我国各学校の遊戯場に於て勝てると云々。実に格言とも云ふ可き乎。

 

唐手は急速には熟練致し難く、所謂、牛の歩の寄りうす(遅)くとも、終に千里の外に達すと云ふ格言の如く、毎日一、二時間位、精入り練習致し候はば、三、四年の間には、通常の人と骨格異り、唐手の蘊奥を極める者、多数出来可致と存候事。

 

唐手は拳足を要目とするものなれば、常に巻藁にて充分練習し、肩を下げ、肺を開き、強くカを取り、又、足も強く踏み付け丹田に気を沈(め)て、練習すべき。最も度数も片手に一、二百回程も衝くべき事。

 

唐手の立様は、腰を真直に立て、肩を下げ、カを取り、足に力を入り踏立て、丹田に気を沈め、上下引合する様に凝(り)堅も(め)るを要とすべき事。

 

唐手表芸は数多く練習し、一々手数の旨意を聞き届け、是は如何なる場合に用ふべきかを確定して練習すべし。且、入受はずし、取手の法有レ之。是又口傳多し。

 

唐手表芸は、是れは体を養ふに適当するか、又、用を養ふに適当するかを予て確定して練習すべき事。

 

唐手練習の時は戦場に出る気勢にて、目をいからし、肩を下げ、体を堅め、又、受けたり突きたりする時も現実に敵手を受け、又、敵に突当る気勢の見へる様に常々練習すれば、自然と戦場に其妙(そのみょう)、相現(あいあら)はるものになり、克々(よくよく)注意すべき事。

 

唐手の練習は、体力不相応に余りカを取(り)過しければ、上部に気あがりて面をあかみ(め)、又、眼を赤み(め)、身体の害に成るものなれば、克々注意すべき事。

 

唐手熟練の人は、往古より多寿なるもの多し。其原因を尋るに、筋骨を発達せしめ、消化器を助け、血液循環を好くし、多寿なる者多し。就ては、自今以後、唐手は体育の土台として小学校時代より学課に編入り広く練習致させ候はば、追々致二熟練一一人にて十人勝つ輩も沢山可レ致二出来一と存候事。

<ここで十訓終わり 小林志光>

 

後文

右十ヶ條の旨意を以て、師範中学校に於て練習致させ、前途師範を卒業各地方学校へ教鞭を採るの際には、細敷御示論各地方小学校に於て精密教授致させ候はば、十年以内には全国一般へ流布致し、本県人民の為而己(のみ)ならず、軍人社会の一助にも相成可申哉と筆記して備二高覧一候也。

明治四十一年戊申十月 糸洲安恒

(転載終了)