14時00分~15時00分は、富士塚幼稚園空手道教室の稽古でした。「体験入門会」を開催しました。が、参加者は1名でした。

 

 19時00分~20時45分は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。「新規入門者紹介」(2名)をしました。また、当道場の保護者会が開催されました。

 

 さて、タイトルの件ですが、 今日は1954年3月1日、マグロ漁船「第五福竜丸」が太平洋のビキニ環礁周辺で米国の水爆実験に遭遇し、乗組員23人が被ばくした事件から70年を迎えます。妻が初めて、かながわ医療生協の関係でこのビキニデー集会に参加をしました。

 

 

 2023年、平和集会などで核の恐ろしさを伝えてきた池田正穂(まさほ)さんが87歳で他界しました。言わば「ビキニ事件=第五福竜丸事件の語り部」という存命の元乗組員は3人になりました。

第五福竜丸は、東京都江東区の埋め立て地の夢の島の展示館に保存されているます。黒く焦げたような140トンの漁船に動力を与える心臓部であるエンジンもあります。ビキニ事件の象徴ですし「物的証拠」です。

 乗組員は、「西から太陽が昇るようだった」当時の光景をそう証言しています。夜明け前、爆心地から160キロ離れた海上で操業中、乗組員たちは西の空に閃光(せんこう)を目にしました。辺りは焼けただれたように赤く染まっていました。冷静さを取り戻した頃、「ピカドン」かも、と気づいたと言います。

 「ブラボー」と呼ばれた米水爆実験は広島の原爆の1000倍の威力と言われています。第五福龍丸の船上に、船員の頭上に粉雪のような灰が降り、甲板は真っ白になりました。これは「死の杯」でした。この放射性物質を含んだサンゴ片です。被ばく後に表れた諸症状は「うつる」とデマが流され、乗組員たちは偏見に生涯苦しむ事になりました。

 

 昔、私は生協の職員で、そこの労働組合の役員でした。その労働組合で「ビキニデー」の取り組みとして、「第五福龍丸の母港へ」というのがありました。それで、動員という事で静岡県焼津駅から焼津港へのデモに参加し、被害者の久保山愛吉さんのお墓を、参加者と共にお参りしました。

 戦争然り、広島・長崎然り、東日本大震災然り、第五福竜丸然り、私達は語り継がなけれならないと思います。

 

<3月1日で忘れてはいけないこと(大辞泉より)

 1919年3月1日、ソウルで日本支配からの解放を望む朝鮮民族が起こした反日独立運動。独立宣言を発し、朝鮮独立万歳を叫ぶ示威運動は全国各地に波及したが、日本の軍・警察は武力でこれを鎮圧した。万歳事件。三・一運動。三・一事件。>

 

* 毎月1日に「三つの心」、「道場訓」及び「子供倫理スローガン」を掲載します。これらには、当会の生徒への指導方針が凝縮されています。心を毎月新たにするために、継続して掲載して行きます。

「三つの心」

(1)ひとつ 「はい」という素直(すなお)なこころ

(2)ひとつ 「ありがとうございました」という感謝(かんしゃ)のこころ

(3)ひとつ 「もうしわけありませんでした」という反省(はんせい)のこころ

「道場訓」

(1)ひとつ 心を磨き体を鍛えます。 

       「こころ を みがき からだ を きたえます。」

(2)ひとつ 正義感、克己及び勇気を身に付けます。 

       「せいぎかん こっき および ゆうき を みにつけます。」

(3)ひとつ 稽古した心技体の成果を出し切ります。

       「けいこした しんぎたい の せいか を だしきります。」

(4)ひとつ 礼儀作法を守り、規律を保ちます。

       「れいぎさほう を まもり きりつ を たもちます。」

(5)ひとつ 仲間を大切にし、励まし合いながら稽古します。 

       「なかま を たいせつにし はげましあいながら けいこ します。」

「子供倫理スローガン」

(1)空手のわざはみせません

(2)ケンカをしてはいけませ

(3)いじめをしてはいけません まずは大人に相談します