昨日のブログで能登半島地震に関して「抽象的な感想ですが、災害対策のトップとしての、岸田首相の顔が見えませんし、声が聞こえません。」と書きました。更に、「極めて情緒的で感情的な書き方かも知れませんが、今回の能登半島地震で感じた事です。」とも書きました。

 「災害対策のトップとしての・・・顔が見えませんし、声が聞こえません」という事について、少しだけ追加します。

 1月4日(木)の午後に岸田文雄首相の年頭記者会見が行われました。能登半島大震災に触れたのは冒頭の「1月1日に最大震度7の令和6年能登半島地震が発生しました。まず、お亡くなりになられた方々に心からお悔やみを申し上げますとともに、被災された全ての方々にお見舞いを申し上げます。」だけです。発災3日後で被害の状況や支援の現状を把握している訳ですから、今後どの様に取り組んで行くのか報告があってしかるべきです。

 報告後の記者との質疑応答で、能登半島地震や「政治とカネ」問題などについて答えたのですが、一通りの(予定された)質問が終了近くなりますと、政府の進行役が 「この後も地震関係の公務がございますので、(質問は)あと2問とさせていただきます」と幕引きを図りました。その後に、産經新聞と時事通信の記者が質問しました。その後で、ある記者が追加の質問をしましたが、司会者は強引に会見を打ち切りました。確かにその後に15分程度、災害対応に当たる官房長官らと面談を行っています。しかし、テレビ出演のため官邸を出発する午後7時半頃まで特に予定は入っていなかったのです。

 更にそのテレビでも震災対応の話がメインではありません。安否不明者の捜索や救助活動が進むま最中の出演に加え、災害対応以外の党総裁選の再選に向けた展望を語っていたのです。全くもってどうしよもありません。

 翌日5日には、経済三団体の新年会と連合の旗開きで挨拶をしています。そんなことをしている時ではないと思います。また、連合もこんな時に岸田首相を呼ぶなんて、とも思ってしまいます。

 なお、1月4日の首相記者会見についてはリンクを張っておきます。

 https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0104kaiken2.html

 

 19時00分~20時45分は、横浜道場(泉スポーツセンター体育室半面)の稽古でした。「基本形の日」という事で、桐越指導員を講師にして、平安四段をしました。

 今日は流石に寒かったのでチャリは諦めて電車で行きました。

 

 さて、タイトルの件ですが、本日、寒中見舞いを出し終わりました。

  寒中見舞いを送る時期は以下の通りらしいです。

   松の内(1月1日~1月7日。地域によっては15日まで)・・・年賀状

   小寒(1月5日頃~1月19日頃):「寒中」・・・寒中見舞い

   大寒(1月20日頃~2月3日頃):「寒中」・・・寒中見舞い

   立春(2月4日頃~2月18日頃):暦の上では春 ・・・余寒見舞い

 だいたい、松の内過ぎてから立春前の間という事になります。

 <松の内:関東や東北、九州地方は1月7日まで、関西地方は1月15日までとしている場合が多いようです。>

 

 

 2023年身内に不幸があり年賀状は出しませんでした。ただ、喪中はがきを出していませんでしたので、先様から年賀状が届きました。その返信という事で、寒中見舞いを出しました。その数39枚です。例年、年賀状は60枚前後出しています。

 

 次年度より、今年年賀状が届いた方にだけ出す様にします。そうそう、年賀状を送って頂いた1名の方のものに「年賀状仕舞い」という記載がありました。私もそろそろ考えた方が良いかも知れません。