19時00分~20時45分は、横浜道場(領家中学校体育館)の稽古でした。組手模擬試合をしました。
さて、タイトルの件ですが、かのジョージ・オウエル(注)は「真剣なスポーツとは・・・・戦争から銃撃を引き算したもの」と言いました。全文は「真剣なスポーツというのは、フェアプレーとは何の関係もないものだ。それは、憎悪、嫉妬、傲慢、あらゆるルールの無視、そして暴力を目の当たりにすることでのサディスティックな喜びと深く関わっている。 つまり換言すれば、戦争から銃撃を除いたもの、ということだ。」です。(『I Belong To The Left 1945 』)
彼、ジョージ・オウエルが、全てのスポーツについて述べたのか、ある特定の、例えばオリンピックを念頭に置いて述べたのか、ちょっと調べる事が出来ませんでした。ですので、以下はあくまでも、「仮定」の前提に基づく論になります。
この言葉に対して、私はそう思う点もありますが、全体としてはそうは思いません。
確かに、オリンピック等の国際大会では国威発揚という事で、メダルの数をいわゆる大国が争っています。更には、戦前のヒトラーによって開催されたベルリンオリンピックはナチスの宣伝の為に利用されました。これは、戦争に直接つながる様なものです。
しかし、スポーツ(仮に「真剣な」と形容詞を付けても)の全てが「戦争から銃撃を引き算したもの」であり、具体的には「憎悪、嫉妬、傲慢、あらゆるルールの無視、そして暴力を目の当たりにすることでのサディスティックな喜びと深く関わっている」訳ではありません。
単純に体を動かす、更にはあるルール(それぞれの競技の違いはルールの違いでもあります。)の下で勝敗を争うそういう事は人間として極めて自然な行動であるし感情でもあると思いますし、何ら否定されるものではありません。
それでも、過度の政治主導とか商業主義が蔓延れば、ジョージ・オウエルの発した警告の様な状況に陥る可能性も否定は出来ないと思います。しかし、それはスポーツの由来や本来の在り方を逸脱し、捻じ曲げたものだと思うのでです。
ですので、彼の警告を否定するのではなくて、いつも心に留めておく事が大切なのだと思います。
代表作である『カタロニア讃歌』、『動物農場』及び『1984年』は読んでいますし、後2作はブログで紹介しています。いずれもアメーバーブログにはアップしていませんので、転載しておきます。時間があればお読みください。
2020年 3月22日(日) 第6085回 「1984年」
2020年11月22日(日) 第6330回 『動物王国(アニマルファーム』)の掟の改悪
注:ジョージ・オーウェル ウイキペデイアより
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージ・オーウェル (George Orwell)
ペンネーム ジョージ・オーウェル 本名 ジョン・フリーマン
誕生 エリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair) 1903年6月25日
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国 ベンガル
死没 1950年1月21日(46歳)
職業 作家 国籍 イギリス
最終学歴 イートン・カレッジ
活動期間 1933年 - 1949年
ジャンル 文芸評論 ディストピア小説 モデル小説
主題 社会民主主義(民主社会主義) 反ファシズム 反スターリニズム 反共産主義 文学活動
ジャーナリズム ルポルタージュ
代表作
『カタロニア讃歌』(1938年)
『動物農場』(1945年)
『1984年』(1949年)
デビュー作 『パリ・ロンドン放浪記』
ジョージ・オーウェル(英: George Orwell、1903年6月25日 - 1950年1月21日こと本名エリック・アーサー・ブレア(英: Eric Arthur Blair)は、イギリス植民地時代のインド生まれのイギリスの作家、ジャーナリスト、民主社会主義者。ミドルネームを排してエリック・ブレアとも表記される。
社会主義者時代の1936年12月にスペイン内戦で無政府主義者らに感化されて、翌1937年初頭に民兵組織POUM(マルクス主義統一労働者党)という共和派の義勇兵に加わったものの、「トロツキー主義者」とレッテルを貼られたPOUMに対するスターリン指導下の共産党による粛清開始で危機一髪のところでフランスに脱出(『カタロニア讃歌』)。共通の敵だと思っていたファシスト(フランコ政権側)より味方であるはずのソ連・スターリニストの方が悪辣だったことを体感して、ソ連の「粛清」を嫌悪する民主社会主義者となっている。
これらの経験から反スターリニズム(反共産主義)・反ファシズムという反全体主義思想となった。1945年の戦時中に「報道の自由」とロシアのスターリン主義と共産主義への痛烈な批判である、人間の農場主へ革命を起こした動物たちが二人の指導者の片方により苛烈な支配をされる過程を描いた風刺小説『動物農場』を執筆し、この『動物農場』でベストセラー作家となる。
全体主義国家の本質や残酷さを細かく描いた近代文学の傑作『1984年』の作者である。『1984年』で描かれたような監視管理社会を「オーウェリアン」 (Orwellian) と呼ぶ。『1984年』は、1998年にランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」、2002年にノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」 に選ばれ、オーウェルは20世紀のイギリス文化における最高の記録保持者とみなされている。
2020年 3月22日(日) 第6085回 「1984年」
<転載開始>
さて、タイトルの件ですが、森友学年問題で文書改ざんに携わった(強制された)方の遺族が、政府等に対して民事訴訟を提起しました。それで、という訳ではなくて前々からこの本を読みたいと思っておりまして、稽古無し期間に色々と読書が出来るという事で、読んでみました。
なお、この森本学園文書書換え(改ざん)事件に付いては、この問題を追及している大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏(元NHK記者)の記事がありますので、どうぞご覧ください。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200322-00036772-bunshun-pol&p=1
2017年にトランプ政権が誕生した時、米国でジョージ・オーウェルのディストピア小説であるこの『1984年』が一時アマゾンの売り上げトップに躍り出たという事です。 ディストピア小説とは、ユートピア小説の反対語(対語)で、ユートピアならす絶望の未来であるディストピアを描いた小説です。
明白な事実を否定して、文書を廃棄するとか廃棄した様に装うとか、はたまた犯罪行為である公文書の改ざんをしたり、法の解釈を変えたとして政権に有利な人事を行う事等々、そしてそれらを少しも恥じない政府に対して、空恐ろしさを感じまして、そうだこの本を読んでみようと思いました。
図書館から借りたのが『1984年』ジョージ・オウエル(早川書房)で、ほぼ2日で読み終わりました。こんな内容がありました。「戦争は平和である/自由は屈従である/無知は力である。(P7)」、そして、主人公ウィンストン・スミスが日記をつけようとするのは「違法行為ではなかったが(何をやろうとも法に反していなかった、もはや法律等存在しなかったからである)、しかしそれが発覚したとすれば間違いなく死刑か最低25年の強制労働に処せられる筈だ。(P9)」
本の内容を要約するのは、ちょっと労力を要しますので、ウイキペデイアより転載を致します。
(ウイキペデイアより転載開始)
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
オセアニアに内属しているロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。ウィンストンは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店(ノートを買った古道具屋)を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタイン(小林注:反体制派の指導者と目されている人物)が書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。
(ウイキペデイアより転載終了)
真理省というのは、過去の資料を改ざんする事を任務とするところです。例えば、Aという人物が粛清されると、全て過去の資料からAに関する事が抹消されます。つまり、Aは存在しなかった事になります。計画経済の社会ですので、政府が年間の生産計画を発表します。それが年度末で数値に齟齬が出た場合には、その生産計画そのものの数値が改ざんされますーこれに関わる全ての記事が改ざんされるのです。まあ、年度末の数値自体が信用できないのですが。そういう事が毎日毎日繰り返されます。結局、権力のトップが行う事全てが、正しく真理となる様にするのが真理省の役割という事です。
更に、国民は大きく党員とプロレ階級に分かれています。プロレはプロレタリアの事で、労働者ですが、まあ最下層民です。これで、被支配者階級の分断を行います。党員内部でも、政権中枢とそうでない一般党員では貧富の差がありますし、一般党員には一切の政治的権利や人権がありません。また、党員同士の「反革命」という告発が奨励され、子供が親を告発する事が美徳とされています。自由な恋愛も日記を書く事すらも許されていない世界です。
実は、何かのニュースで、中国で新型コロナウイルスの感染拡大予防という事で、スマフォを使って個人を登録するとその全ての行動が捕捉&一覧出来るという仕組みがある事を聞きました。外出する時に警察官から質問を受けた時に、その履歴を示して自分はそういう感染源のある所に行っていないという事を示す様です。つまり、自分の全てが権力に依って監視されている事に、空恐ろしさを感じました。
『1984年』は、決して小説の世界ではなくて、現実の世界だと思いました。
(転載終了)
2020年11月22日(日) 第6330回 『動物王国(アニマルファーム』)の掟の改悪
(転載開始)
さて、タイトルの件ですが、ジョージオウエルのディストピア小説は『動物農場』と『1984年』ですが、私が興味を持ったのはいずれにも出て来ます「文書改竄(かいざん)」です。
明白な事実を否定して、文書を廃棄するとか廃棄した様に装うとか、はたまた犯罪行為である公文書の改竄(かいざん)をしたり、法の解釈を変えたとして政権に有利な人事を行う事等々、更に文書さえ作らない、そしてそれらの行為を少しも恥じない政府に対して、空恐ろしさを感じています。是非、皆さんで読んで欲しいです。
今日は、前者についてその「軌跡」を示します。後者については、明日以降に書きます。
(後者に『1984年』については、3月22日のブログに掲載していあります。)
農場主を追放し、動物の為に農場を勝ちとった動物たちの定めた掟は、以下の通りでした。
1. 2本足はすべて敵である。
2. 4本脚と翼を持つ者はすべて友人である。
3. 動物は服を着てはならない。
4. 動物はベッドで寝てはならない。
5. 動物はアルコールを飲んではならない。
6. 動物は他の動物を殺してはならない。
7. すべての動物は平等である。
後にナポレオンとその一派の豚が、農場の新たな「支配者」となって行きます。その豚達が、掟に違反しているという告発から自分たちが免れるために、掟の幾つかの密かに改悪しました。
改悪 (密かに改悪なので改竄でしょう。)
1.2本足はすべて敵である。
2.4本脚と翼を持つ者はすべて友人である。
3.動物は服を着てはならない。
4.動物はシーツのあるベッドで寝てはならない。 「シーツのある」を追加
* 「支配者たる」豚がベッドで眠る為
5.動物はアルコールを過剰に飲んではならない。 「過剰に」を追加
* 「支配者たる」豚が「適度に」酒を飲む為
6.動物は理由なく他の動物を殺してはならない。 「理由なく」を追加
* 「支配者たる」豚が「反逆者」である他の動物を処刑する為
7. すべての動物は平等である。
更に、ナポレオンを筆頭とする豚たちは自分たちの特権を正当化する為に、最後の改悪を行います。
再改悪
1. 2本足はすべて敵である。
2. 4本脚と翼を持つ者はすべて友人である。
3. 動物は服を着てはならない。
4.動物はシーツのあるベッドで寝てはならない。
5.動物はアルコールを過剰に飲んではならない。
6.動物は理由なく他の動物を殺してはならない。
7. すべての動物は平等だが、一部の動物はさらに平等 「一部の動物は更に平等」を追加
* 「支配者たる」豚が特権を行使し、贅沢な生活を送る事が出来る為
(転載終了)