昭和59年8月7日

聞き取れないしゃべりの父が
介護認定の認定員さんの質問に答えた回答




緊急事態宣言解除もあって
面会の制限も戻りつつあり
母は何度か逢いに行けるようになって

4月初めから入っていた施設から
引き揚げた時の状態のままには変わりなく

筋肉が固まって歩けずほぼ寝たきり
言葉も聞き取れず
認知の進行もあってかこちらの問いかけにもまばら
浮き沈みもあって


何より見えない
父の世界は朝も昼間も暗いまま


肺炎を起こした原因も
熱が続く原因も
鼻からの栄養チューブ?ってことで
胃ろうの手術をして



頭蓋咽頭種の腫瘍と
開頭手術と
放射線治療と
高ナトリウム血症と
脳へのダメージは膨大で

戻らないって確定印を渡されて



介護認定の認定員さんの質問
名前  聞き取れた‼️
誕生日 昭和59年8月7日 聞き取れた‼️
と、聞き取れたのはここまで
立ち会った看護師さんに
だいぶサバ読んでるって言われるくらい
みんな聞き取れた

もちろん父の誕生日は違う
でもこの答えには家族にとって
スペシャルな意味があって

そんな父を思い
ノンアルだけど好きだったアサヒビールを開けてみる



昭和59年生まれのわたし
8月7日生まれの弟
父の2人の子どもの誕生日


年中の息子さんはもっぱら登園自粛中

『去年は幼稚園で母の日作ってくれたけど
今年はないんだなぁ』
なんて呟いてたら
買い物に出てる間にダンナ氏が作ってくれました(笑)




息子さんが書いてくれた似顔絵つき

母ちゃん冥利につきますなぁウインク





あたしの母は2回目の抗がん剤治療を終えました
正しくは1クール目の2回目


24日に受けたPET
27日に結果を受けてステージⅢb
痛みの出たリンパ以外に転移なし
抗がん剤第1クールは週イチ

そして抗がん剤の1回目は先週
4月29日から2泊3日で入院


コロナ禍の中
最初の受診から1ヶ月足らずで
ここまでくるなんて ねぇ

リンパ以外に転移なくて
抗がん剤治療の後摘出手術とのこと


小林麻央って言われて
もうダメってみんな思ってたから
『えっ❓手術⁉️』
って感じで本当にびっくり




退院した翌日5月2日
父の病院から朝イチ電話で
2日くらい前から肺炎を起こしてて
呼吸が苦しくなってる
気管切開か人工呼吸器か・・・

母は病院に飛んで行き
入院して初めて父に会って
問いかけには応じず
投薬だけで、の判断して
抗がん剤治療で抵抗力落ちてるし
このコロナ時世だし
看取りしない、ってとこまで決めて
むしろそこまで悪くなって

みんな覚悟の中いまして


母の2回目の抗がん剤の日
一般病棟に移ったとの連絡

むしろ1ヶ月弱動いてなかった父が
ベットから落ちるっていう回復?ぶり

高ナトリウム血症が一転
回復した模様
視覚障害者施設に入る前に戻ってるといいなぁなんて


目まぐるしい1ヶ月
コロナ以外で医療機関でお世話になってて
本当にありがたいところです
母が乳がんになりまして

その名も
トリプルネガティブ乳がん


2週間前の2020年4月11日
痛みが伴って急遽クリニック受診
頭蓋咽頭種で目が見えなくなった父を
視覚障害者施設にお試し入所させて間もなくのこと

見えないのにベットの上で飛び跳ねる異常行動
トイレは間に合わない
対処勧告寸前の父
ロレツが回らなくなる



4月14日母の病理検査
4月15日父が意識朦朧 緊急入院

視覚障害者施設は家から3時間弱の広島市の北
かかりつけ脳外科は福山市
母は朝イチ連絡を受け
父をピックアップして脳外科に運び
その後自分の検査結果を聞くという大移動

高ナトリウム血症
意識なし


そして母は悪性新生物の判定
その1週間後
4月20日転院先で
トリプルネガティブ乳がんグレード3以上の判定
既にリンパ節には転移の自覚症状あって
PET検査で最終診断の予定

で現在

父の状態は回復して
会話できる らしい

なにせ このご時世
コロナ対策で面会できず



母は
小林麻央
の病気なんだそう
しかも転移ありあり

60歳を前にしても
ここ数ヶ月で急遽に進行したがんで
手術はせず抗がん剤治療の方針だそう




それから毎日がトリプルネガティブに支配されて
数年後父も母もいないかも知れない恐怖と
自分もがんリスクを持っているという事実
毎日が当たり前ではないと思い知らされる毎日


コロナじゃなければ帰省してる
こんなにも実家から遠く離れたことを後悔するとは思わなかった