高校時代にADHDと診断された私。


現在無職中。



今回は私の自殺企図の経験から、生きるということについて考えました。



突然ですが…


「なぜ死んではいけないのですか。」


私はこの問いに適切な答えを見つけることができません。




私は本気で死のうと思ったことがあります。



3社目をクビになった時です。


私が3社目をクビになった理由は…


暴言・暴力を繰り返し行ったためです。




絶対にしてはいけないことをしてしまった自分を責めて…


何度もクビになってしまう自分を悲観して…


「何でこうなるの」と。


毎日泣いていました。


自分でしてしまったことなのに…


傷つけてしまった人には死んで詫びるしかないと思いました。


自分が死ぬことで責任を取れると思っていました。


何度も同じ失敗を繰り返してしまう自分は、生きる価値がないと思いました。



遺書を書き、遺影を選び…

遺された家族が困らないように、色々準備をしました。


スーパーでは「どうせ死ぬし。」と普段手を出せないものを買い、


死に方を考え、死ぬ場所を探しました。


後はいつ死ぬか…

そんなことを考えながら過ごしていました。




けど私は死にませんでした。


私が死ななかった理由。


それは、たった1通のLINEでした。


友達にお別れのLINEを送った時の返事です。


「死んだら余計に迷惑がかかるんじゃない?」


そんな冷静なLINEの返事に納得をして。



けどそれは、死ななくていい理由を聞き、生きていて良いという理由に置き換えただけではないでしょうか。




最初の問いに戻ります。

「なぜ死んではいけないのですか。」


日本には死刑制度があります。


死んで償う。


その割には命の大切さを習う。


矛盾している。




では、私が死なない理由。


それは怖いから。


では、生きる理由。


それは


「生きていたいから。」


私はいつ死んでも良いと思っています。


でも死なない。


正確に言うと「死ねない」


怖くて…


そして、生きていたいから。


事故に遭って死んでも、殺されても良い。けど、自ら命を絶つのは怖い。


生きていたいから。


けど、死んではいけない理由はわからないなぁ…




自殺を思い留まった私は、次は「私は人を不幸にしてしまったから、私は幸せになってはいけない。」そう思っていました。


けど今は…

小さな幸せを感じながら生きています。


あの日あの時私が犯した罪。


絶対に忘れてはいけないこと。


でも結局私は生きることを選び、生きる限り幸せを求める。


自分勝手。




生きる限り、私にはやることがある。


例え死んでも、何をしても傷付けた人の傷は癒えません。


だから、暴言や暴力は絶対にしてはいけない。


死んではいけない理由はわからないけれど、暴言や暴力をしてはいけない理由はわかる。


私が生きることを選ぶ限り、そのことは絶対忘れずに生きていきたい。