狩猟について(苦手な人は読まないでください) | 女将 YUKA

女将 YUKA

銀座の小料理屋【花りん】女将。
料理教室【月華庵】主宰。

四季を彩る家庭料理が健康の源である。
日本の食、文化、おもてなしの心を継承させていく。

『狩猟に行ってこようと思うんだ。』


そう私が話すと、皆が一瞬声を詰まらせたのがわかった。


予想はしていた。だって私も逆の立場だったらそうしたと思う。




鳥を狩るってこと?


『そうだよ!』


えー。なんかかわいそう。


私もその感情がよぎらなかったといったら嘘になるけど


じゃあ、なんでそう思うのか?というところに着目しようと思った。

私たちは、スーパーで鶏肉を買い

霜降り牛を見ては、美味しそう!と感嘆の声を上げ

魚釣りを趣味として行い、

自らの手で捌き、食す。


これが、狩猟ともなると

なぜか違う感情が沸き起こってくるのが多数派なのではないでしょうか。


私も自分自身について考えた。

狩猟に行く人の話を聞き、
写真を見せてもらった時

雉(キジ)と鴨を狩り、いつも美味しく食べるんだ。と。


なかなか聞いたことない、いや。初めて聞いた話だったので色々と衝撃だった。


かつての昔から
狩猟があったからこそ、私たちは今も安全な部位を安全に食べることができる。


しかし今は、スーパーに行けばいつでも食べられる。

手軽に食べ物を手に入れることが出来るようになった今

目を背けてはいけない問題の話をしたい。

それは、『フードロス』

食品廃棄のことである。

まだ食べられる食材を、私たちは年間60,000円程捨てていることになっているらしい。




様々なマーケットは、私たちを食料困難には絶対にさせない。

このあいだの節分には、やはり恵方巻きがずらりと並ぶ。

売り切れです、ごめんなさい。

ということは許されないのだろう。



売れ残った恵方巻きが大量に処分されているニュース番組を見たときは衝撃だった。


そう、2月4日になったら買う人はいないからだ。

恵方巻きに限らず



食べ物が、生き物であったことを自分の目で
耳でしっかりと心に焼き付けたい。

私はそう思ったので、ハンターのおじさんたちに狩猟に連れて行ってもらうことにした。



朝4時半。


車で群馬県へ出発。

狩猟は、2月後半から11月までは禁止になるそうなので

私が今年に行けるのはこれが最後なのだろう。


まだ暗がりだったので、ハンターのおじさんは
、ケータイのライトで自分の顔を照らしながら自己紹介をしてくれた。

自分の過去のお仕事などについて話してくれた。

ちょっとわくわくさせてくれる。


今日の獲物で
狙うは雉と鴨。


雉は、日本の国鳥でありマーケットには流通ができない鳥。

飲食店で食べられるものは、輸入の雉なのだそうだ。

国産の雉が見られるのかと思うとわくわくしてきた。


鴨は、私の大好きな食べ物であったが

お店に流通しているものは合鴨がほとんどで

これはほぼアヒルなんだと教えられた。


人間が食べやすいように調整された動物で、真鴨とアヒルの掛け合わせなのである。


好きだった鴨は本物の鴨じゃなかったのか。。



しかも本物の鴨はあまり売られていないほか、とても高級だと。



通常のマーケットでは流通していないものがここではいただけるかもしれない、、。

そんな気持ちでかなりわくわくしてきているのがわかった。


しかし到着から6時間経過。

一度雉を見つけたものの弾は当たらなかった。

現地のものを食べたり、野菜を買ったりして

観光を普通に楽しんでしまっていた。



そしてその後、雉の糞をみつけた。

そこが雌の住処で、オスがその周りを回遊しているかもしれないということで

近くを探したが見つからなかった。



こんなにも困難だとは思わなかった。


もっとすぐに見つかるものかと思っていた。


私はなにもしていないのに後部座席でおにぎりやパンを貪ることしかできなかった。


ハンターのおじさんたちに、なにも食べないんですか??と聞くと


『お腹いっぱいだと、獲りたいと思わなくなっちゃうから』と言われた。


こ、これぞハンターの真髄か!!


そんなことを思い車を走らせると

道路を横断している雉を見つけた。


え?!普通に横断してる!!

車を止め、息を潜め、散弾銃を抱えハンターは忍び寄る。

私は息を飲む音さえ神経を配り

気配を消すよう心がけた。

慣れてないので近くには寄らず、車の中でハンターたちを見ていた。


草むらの中に逃げた雉は行方をくらました。


しかし、この中にいることは間違いないのだ。見つけるしかない、


そんな気持ちでワクワクドキドキしていた。

地面を歩いている状態では、撃ってはいけないそうなので

音を出して飛んだところを撃つのだ。


バサッと雉が飛んだその瞬間に、弾が飛ぶ音がした。


やった!!!


と思った。



そのあとはどうするのかというと、

その場で毛を剥いで下処理をする。

腸を抜いて血抜きをする。

それらを終えた雉がこちらにきた。




ま、まじか。。


さっきまではワクワクしていたのだけど衝撃の映像だった。


まだ温かい雉を触ってそう思った。



昔から田舎のおばあちゃんの家でこういった状況を目の当たりにしていたのなら

驚いたりしないのだろうけど、


私はそうでなかったので驚いてしまった。


すぐにビニール袋にしまい、


車を発車させた。


その次に鴨を捕ったときのほうがより衝撃だった。


また袋にしまい

動きが止まったと思った後に、また動き始めたからだ。

びっくりして、動いてます!!

って叫んでしまった。


捕っちゃったら、もうそれは食べ物なんだよ〜。



と言われた。



なるほど。


なんだか奥深く私の心に刺さった。



ハンターのおじさんたちは、雉と鴨の両方を全部私にくれた。


せっかく来てくれたから、お客さんだから。

と言ってくれた。


そのほかにも、クレソンをとったり

のびるを収穫したりして


野菜もたくさんお土産になった。


帰ってからすぐ捌いた方がいいよ〜と言われたのだけど


すぐに出来なかった。


youtubeで動画を何回も見たりしたけど

ビニール袋を開ける勇気が出てこなかったのだ。

でも、新鮮なうちに食べてみたいし

何よりこのまま腐らせてしまったらそれこそ命を無駄にする。

そう思って勇気が出たのは翌朝だった。


いざ包丁を持ったら夢中になれて

ささみ、胸肉、もも肉、

レバー、砂肝、ハツ

をきれいに取れた。


残った骨は、2時間煮込んで出汁をとってスープにした。





黒皿には雉と鴨のレバー、砂肝、ハツを並べた。


お蕎麦は鴨でとっただし、鴨、埼玉の深谷ねぎを。



そしてクレソンも黄梅も群馬県でとってきたものだ。


私の口に入るまで、どのような経緯で来たのかを知っている。


私はそのストーリーも含め全ていただくことが出来たのだ。

こんなご馳走があるだろうか。




狩猟はやはり賛否両論あるようで

ハンターたちはとても気を使って活動をしている。

増えすぎて畑を荒らし街にやってくる獣を狩ることもあれば

歴史が積み重なるひとつの文化としての考え方もあると思う。

事情はいくらでもある。


その反面、命をとるな。という声だったり

禁止させる声もある。






しかし生きるためには食べることが課せられている。


いただくのであれば、中途半端な気持ちではなく

手を合わせて

有り難くいただくのが筋。


スーパーに並んでいるお肉だって、今もどこかで誰かが屠殺(とさつ)をしているから私たちは食べることができるのだ。





命を

『いただきます』


走り回って得ることができた食べ物へ

『ご馳走さまでした』



私達はこれを忘れてはいけない。