あなたの愛情や思いやりは自己満足かもしれない
旭川 夫婦問題・離婚カウンセラー 山咲みき
誰かのために骨を折ったり、時間を費やしたりする事は美徳と受け取られるけど、あえて手を出さず相手を見守り、相手のペースに合わせ、求められた時には相手の望む事を的確に提供する事は本当に難しい。
手を差し出せば大事には至らないで済むかも知れない。
でも、相手は人の助けを借りたくないかも知れない。
「相手のため」と考えるのはこちら側の判断であり、手助けする事が実は相手の負担になってしまうこともあるかもしれません。
相手は助けてもらえば感謝してくれるかも知れないけれど、でも、それが本心とは限らないかもしれない。
むしろありがた迷惑だったとしたら、自分の心配や親切は「余計なお世話」へとすり替わってしまいます。
また、裏を返せば「自己満足」になり「人の行為を素直に受け取らない」と憤慨するのは完全なエゴになり、ひいては「自分が満たされたいがため」の反動にもなり得ます。
「見返りなんて求めていない。私はやってあげたくてやったことだから」
でも、相手がそれを必要としていなければ、やはり自己満足ということになるのです。
「人のために労力をいとわない」事より、「人の気持ちを尊重する」事の方がずっと難しい。
みすみす困る事になるのがわかっていても、あえて手を出さずに見守り、けれど決して無関心ではなく、常に状況を観察する事は相当の忍耐が必要になります。
だからそのもどかしさに耐え切れず、人はどうしてもついつい手を出してしまうのだと思います。
その点については私も反省することばかりです。
この問題は、夫婦でも親子でも、また友人や同僚など、身近な人すべてに同じ事が言えるのではないでしょうか。
夫婦や親子のように密接な関係ほど「相手のため」という幻想を抱きやすいと思います。
本当に相手を思うなら、安易に手を出さずにまずは見守る事が大切であり、本当の意味の優しさや思いやりは、とても難しいものなのです。
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