与える愛が必ずしも幸せなパートナーシップを築くとは限らないのです。
旭川 夫婦問題 離婚カウンセラー 山咲みき
以前、離婚経験のある職場の先輩が「私はいっぱい愛したい、そのうちの少しだけ返してくれたらそれで満足」と言っていたのを思い出した。
彼女は姉御肌でサバサバしていて、仕事もできるし誰とでもすぐに仲良くなれる女性でした。
私もよく食事に誘われたり、仕事上の相談に乗ってもらったものです。
そんな彼女が何故離婚に至ったのか、その時は私もこの仕事に就くとは考えていなかったし、詳しくは聞けませんでした。
今、私の勝手な解釈で語れば、お互いの想いのバランスが崩れた事が原因だったのではないかと感じます。
彼女は愛されることよりも愛する事に重きを置いていた。
でも、一方的に愛するだけで満足していたわけではなくて、たまにその少しでも愛されている事が確認できれば満足だったのでしょう。
愛され尽くされる事が当たり前になってしまった側にとっては、尽くされる事が標準欲求となり、その欲求はどんどんエスカレートしていきます。
離婚してからしばらくの間、元ご主人のストーカー行為に悩まされたと聞いて、多分、元御主人は尽くされる事に依存して妻の心が離れていった理由が理解できずにいたのではないでしょうか。
元ご主人は愛される事に依存して、愛するとはどういう事なのかがわからないまま失ったものを取り戻すことだけに固執していったのでしょう。
愛されるということは何でも自分の思い通りになるということでありません。
彼女の愛情にほんの少しだけ応えてあげることもできずに、すべてを失ったことすら彼女のせいにして追いかけ回さずにはいられないのは、元御主人が依存体質だった可能性があります。
自分の欲求より相手を想う気持ちを優先するのはとても素敵な考え方ですが、それはともすると相手を依存させてしまう危険性を孕んでいます。
不思議なもので、奔放で愛され上手な人の周りに依存体質の人は寄って来ません。
もともと依存体質でなくても、奉仕精神旺盛の自分を顧みない人が相手を依存させてしまう事が多々あるのです。
愛情の需要と供給はバランスが大切で、どちらか一方が過剰であっても上手く行かないものなのです。
見返りをも求めないのが本当の愛と言うけれど、男と女の関係ではそれは依存という必要悪を生み出す要因になり得るのです。
愛する事、尽くす事に執拗になることもまた、相手を想っているようでいて自分を満たすための依存なのかもしれません。
依存体質、ダメンズばかりに出会ってしまうと悩んでる人は、もしかしたら自分がそれを呼び寄せているのかも知れないと考えてみてほしいのです。
その先輩女性は「もう結婚はこりごり。男性と付き合うことも考えたくない」といっていました。
彼女は頭のいい人だったので、おそらく自分が招いた結果に気づいたのでしょう。
彼女ほどの人でもそんな過去があったんだと、人は分からないものだとつくづく感じた昔の話です。
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