【禅】始隨芳草去又逐落花回 (1) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


始(はじめ)は芳草(ほうそう)に随(したが)って去り、又落花(またらっか)を逐(お)うて回(かえ)る (碧巌録第三十六則)



長沙景岑(ちょうしゃけいしん)禅師が、ある日、ブラッと散歩から帰って来られると、山門のところでバッタリ首座(しゅそ)に出会いました。


「和尚、什麼(いずれ)の処にか去来す」(どこに行って来られたのですか)


これはちょっとみると、普通世間並みのあいさつのようですが、なんといっても門下の第一座をつとめる主座のことですから、そんな通り一ぺんのことであろうはずはありません。


実は、長沙を一つためしてやろうという魂胆があるのです。


それに対して、

「遊山して来たる」(ちょっと遊山して来たんだよ)


長沙は無邪気に、いともあっさりと答えられました。



(つづく)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させていただきました。 





















主座のこの問いがどういう意味のものなのか、どのように試しておられるのか、まったく分かりません。

でも、このような日常的な会話の中にも、さまざまな問いがあり、試そうとされるのですから、禅の世界は油断ができませんね。