無功徳 (五灯会元一・達磨章)
達磨大師が印度から中国に来られるのに、海路をどう通られたものか明らかではありませんが、ともかく三年の日数を費やし、途中幾たびか難船のうきめをみ、艱難辛苦をなめつくして、やっと広州(広東省)へ着かれました。
渡来の年代については異説があり一定していませんが、その中で普通元年(520)とするのと、普通八年(527)とするのとが有力な二つの説となっています。
このとき達磨は百三十歳、または百四十歳であったということです。
「異僧達磨来たる‥‥」の評判が広州一帯にパッと立ちました。
広州の刺史(しし)蕭昂(しょうこう)は梁(りょう)の武帝(蕭衍(しょうえん)、464~549)の従弟でしたので、礼を厚くしてこの遠来の高僧を迎えるとともに、直ちにこのことを武帝に奏上しました。
(つづく)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
達磨大師の年齢が百三十歳とか百四十歳とかいうのは史実なのでしょうか。
それとも単なる伝説なのでしょうか。
歴史上の宗教的偉人にはこの手のことがよく言われているようですが、それは学者ではない私にはどうでもいいことです。
達磨大師のような高僧は、はじめから優れている人物であろうから、我々のような苦労はしてないだろうと思いがちですが、中国に行くために艱難辛苦をなめつくしていることを聞くと、我々も苦労するのが当たり前だと分かりますね。