7.郵政民営化

 郵政民営化は、小泉純一郎氏自身が1994年以前から唱えていました。ただ、その後米国、経団連も要求するようになりました。

によると、米政府は1995年から年次改革要望書の中で郵政民営化を要求しています。一方、経団連は郵政民営化の要求を1996年に打ち出します。しかし、自民党・郵政省の巻き返しと、世論の反対で一旦、挫折します。これを再度レールに乗せる上で、大きな意味をもったと考えられるのが、小泉政権が発足した年に出された2001年版の米国の年次改革要望書の一節です。「米国政府は、郵政金融機関が日本の金融市場における事業の効率に与える影響に関して、経団連やその他の組織が表明している懸念を共有する」と。つまり経団連や、銀行・保険業界が求めていた郵政民営化方針に対し、米国側も利益を共有する、賛成だというメッセージを送ることで、息を吹き返したのです。

 http://www.daimon-mikishi.jp/ronbun/data/roudou0602.htm(現在メインテナンス中)によると、小泉政権時代、米国と経団連の要求を実現する総司令部は、「経済財政諮問会議」でした。この「会議」は、民間議員(国会議員ではない)の活動もふくめ、米国と財界の要求を、ただの要求に終わらせず、具体的に政策に押し込む役割を果たしていました。首相に諮問することが役目であるにもかかわらず、首相自身が議長をつとめるトップダウン式の会議で、ここで決まったことが閣議決定されることで、各省庁の法改正や予算編成を拘束するという政策決定の強い権限を持っていました。郵政民営化法案も、この会議の決定事項をもとにして、関係省庁でつくられたと考えられます。

 しかしこの法案は、国会提出後、否決されました。すると小泉首相はすぐに衆議院を解散して、選挙を行いました。いわゆる”郵政選挙”と呼ばれる選挙です。結果は小泉氏が大勝し、その後郵政民営化法案は国会で可決されました。選挙で民意が示されて国の方向性が決められる、日本が民主主義国家であることが証明された、万歳と叫びたいところですが、実はこの選挙(郵政選挙)に米国が関わっていたのです。