以下は「13歳からの日本外交」(孫崎享)p34~37の抜粋です。

『(第二次大戦後)植民地が次第に消えていったのには、二つの理由があります。一つは植民地の人々の抵抗です。今一つは、植民地経営はコストが高すぎ、経済的に略奪するよりはるかに高くつくのです。どの国民であれ、外国人に支配されるのを好みません。何年かかるか分かりませんが、人々は外国支配に抵抗します。フランスは1830年以降、アルジェリアを支配します。第二次大戦後、世界中に各民族が自分の国は自分で決定するという民族自決運動が広がります。アジアではフィリピンはアメリカの植民地でしたが、日本軍の支配の下、独立が認められ、日本軍撤退後、米軍の支援を得て1946年に独立します。インドネシアは1949年オランダから独立します。マレーシアは1957年英国より独立します。民族自決は世界的に広がっていたのです。しかし、フランスはアルジェリアの独立を認めません。アルジェリア人は1954年から抵抗運動を強めます。テロはフランス全土で起こります。この収拾のためド・ゴールが大統領として登場し、1962年にフランスは独立を認めます。・・・・

一旦、植民地の住民が覚醒し、武器を持って戦い始めると、その制圧には膨大な軍事的、財政的負担を強いられます。他方財政面をみてみます。植民地を経営する宗主国は、反乱が起きないように、植民地の社会を安定させるために大変な投資をします。

私は1993年から駐ウズベキスタン大使でしたが、旧ソ連時代、ソ連はウズベキスタンに膨大な社会投資をしました。教育、通信、運輸、住宅等ソ連が行った投資は莫大なものです。地下鉄は3本の路線がありました。当時一緒にいたロシア大使は「我々がモスクワに持ち帰った財はわずかだ。投資の額と比較したら圧倒的に投資の方が多い」と嘆いていました。英国には、植民地全盛時代においても「小英国主義」と称して、英国の財政負担が大きくなることから、植民地に反対する人々がいました。財政負担が大きくなれば、結局税という形で負担を強いられるのです。これに経済界が反対したのです。・・・

先に述べましたように、私は駐ウズベキスタン大使でした。ウズベキスタンは1991年9月に独立しました。この国は独立してすぐに、これまで駐留していたロシア軍(ソ連軍)の完全・即時撤退を求め、ロシア側もそれに応じました。ウズベキスタンは金の主要生産国ですし、綿花の生産国でもあります。資源があるのです。また、その周辺にはウズベキスタンよりもはるかに強い国がいるのです。カザフスタンやキルギスタンを越えて中国がいます。トルクメニスタンを越えてイランがいます。アフガニスタンを越えてインド、パキスタンがいます。しかし、「ロシア軍がいなくなったら、中国、イラン、インド、パキスタンが攻めてくる。だからロシア軍にいてもらおう」と主張する人々は皆無でした。彼らは、植民地の試みは軍事的、財政的に多大な負担を与えることを知っているのです。同じことは中国についても言えます。中国は隣国のモンゴルをなぜ併合しないのでしょう。昔、モンゴルは中国帝国の一部でした。昔のようになぜ、版図を広げないのでしょうか。モンゴルは米国と軍事同盟を結んでいるわけではありません。強大な軍隊を持っているわけではありません。平地が主体ですから、戦車を投入すればすぐに支配できます。「モンゴルは資源がないから」という人もいるかも知れません。では中国はなぜカザフスタンを取りに行かないのでしょう。カザフスタンは石油・天然ガスの主要生産国です。中国はエネルギーを必要としています。取ったらいいじゃないですか。取ろうとしても、米国やロシアがカザフスタンのために戦争するとは思えません。

中国という国には様々な選択があります。カザフスタンやモンゴルを併合するのも選択の一つです。しかし、その選択を実施していないのです。「カザフスタンやモンゴルを併合するという選択をしない」ことを決めているのです。「選択がある」ということと「実施する」ことの間には大きな開きがあります。「カザフスタンやモンゴルを併合するという選択をしない」、それを考えてみる必要があります。・・・』

 

ところで、在日米軍がいなくなれば日本は中国に占領されるのでしょうか?これについても考えてみる必要があります。