カルピスは薄めでお願いします。 | ゲームと料理と趣味の話

ゲームと料理と趣味の話

すごい語りたくなったら更新されるブログ。

富の象徴といえば「カルピス濃い目」である。
カルピスソーダは既にあった時代とはいえ、まだまだ「お中元の子供達の大スター」として濃縮「瓶」カルピスが幅を利かせていた頃に子供だった世代にとって、それは現実をまざまざと見せ付けられるものであった。庶民にあるにもかかわらず、不相応に大量消費しようとする輩に対して非難が集中し、社会における我が家の立ち位置を否が応にも思い知らされる悪魔の飲み物。
と、言われるのだが、うちは自分が薄め大好き、かつ、弟が濃い目大好き、結果どう転んでも兄弟で二人分以上にならずに、常に適正量の消費がなされていた為、頭に書いておきながら何だが、そこまでカルピスに対して富の象徴を感じたことがない。

実は子供のときは甘いものが大の苦手だった。
多分、「5歳までは甘いものを食べさせない」という教育方針で育てられ、「チョコレートは辛いもの」と教え込まれていたからかもしれない。
その教育方針だが、5歳になる直前に父親がパチンコで取ってきたチョコボールを子供達に与えてしまい、破られ、母親が大激怒離婚危機という大事件が起こる。
その時に「チョコレートは辛くない」と覚えたのだが、それでも甘いものは口にせず、洋菓子は少し食べるが、和菓子に至っては一切口にしなかった。そのせいか、26歳になるまで歯医者に行ったことがなかった。ちなみにその時に甘いものを覚えてしまった弟は、子供時代は虫歯で何度も歯医者に通っていた。

話をカルピスに戻そう。
1990年、平成で言えば二年。衝撃的な商品が、満を持して登場する。そう、「カルピスウォーター」である。企業史的に言えば大ヒットした商品であるが、小六だったか中一だったかの自分の周りではすこぶる不評だった。
「薄い」
他の乳飲料級のとろりとした味わいを王様である「カルピス」で夢見て恋焦がれる子供達にとっては「すっきり飲みやすい」は「ケチ臭い」ものであった。対して自分はどうかというと
「まだ濃い」
と、これまた不評だった。
甘いものが得意じゃないとはいえ、何をそこまで一般の逆ベクトルを求めていたのか。

大人になってその頃を思い出し、薄めに作ったカルピスを飲んだことがある。
そこで思い出した、自分は「カルピスは、どこまで薄めてもカルピスを感じることが出来るのか」という「利きカルピス」を常に行っていたのだ。
口の中に広がった冷たい水の中に、カルピスの乳酸味を探し出す。それは、清流に一匹の鮎を探し出すような、竹林の木陰で風の香りをかぐようなイメージで行われ、これが不思議と清涼感を生み出していたのだ。それが好きだったのだ。その世界に行く鍵がカルピスだった。
子供は大人には言わないが、自分で想像の小さくて大きな世界を膨らませている時がある。せめて子供のうちは浸らせてあげてほしい。