実家の鶏の唐揚げといえば「手羽元」のほうが元々はベーシックだったのだが、その話は別の機会に譲るとして、結局段々と「モモ肉」へシフトしていった。
鶏の唐揚げは、少なくとも男子がいる家庭では、野球で例えると「もう、どうしようもない状態だから、送り出す最後の頼みの代打」という存在ではないか。「実力はあるのは認めるけど、起用法に難がある」みたいな。
分かりづらかったか。
つまり、「大量の油の後処理を考えると、揚げ物自体すすんで頻繁にはやりたくないけど、やったら絶対受ける」ということ。いやー、もう今日のおかずどうしようかな~!?あれはやったし、これはやったし、あぁー!もう!今日は唐揚げか!!
どうですか、ちがいますか?そうじゃないですか?お母さん達?
少なくとも「肉がないと飯(白米)が食えねえ」とガチギレする弟がいたウチではそうでした。
あと、子供のときに食卓に着いて「どれをどの配分で白米を食べるか」の作戦を立てましたよね?
「今日は唐揚げと春巻き、里芋の煮転がし、キャベツと人参の炒め卵とじか、肉は味が濃いから、これでご飯、卵で味の中和にご飯、その後里芋へ、これを2回で1杯かな、お代わりは……」
だから、孤独のグルメという漫画を知ったときは「やるやる、この独り言!」と歓喜したあまり、友達に強制的に貸してしまったぐらい。
ところが「全然おもしろくなかった」と言われ愕然となった。
「え!?」
「いや、おっさんが独り言呟きながらメシ食ってるだけの漫画だし……」
「や?やらない!?こういう独り言?色々考えない?」
「メシ食うときに考えたりせん」
な、なんだー!
それー!
おまえ、腹減った、メシ食った、腹膨れた、だけなのか。なんだその脊髄反射的な食事は。貧しいな!本当に貧しい!イマジネーションもクリエーションもまったくないな!動物じゃないんだから!!と、口には出さなかったが正直思った。
話を鶏の唐揚げに戻そう。
うちの唐揚げは昔から日清製粉の唐揚げ粉を使ってる。だから特別な唐揚げではない。でも、その肉に噛み付いた瞬間のスパイシーでジューシーな食感は、揚げ物自体あまり食べなくなった今でもよく覚えているほど美味しかった。
肉を口に入れつつ皮を箸でつかんで引き剥がす。はがした皮は取り分け皿に置き、ご飯を口の中に放り込み、肉との「口福」を味わう。
それを何回か繰り返し、皮がたまった所でご飯をお代わりするのだ。そして、皮を一枚つまんで、ご飯の上に乗せ、それを食べる。さながら昆布の角切り佃煮のように。
パリパリッとした食感と肉との接触面だった内側のジューシーさがまた、たまらない!!
そう、皮だけ取っておいてご飯と食べるのが好きな子供だったのだ。これが鳥皮唐揚げじゃダメなのだ。鳥皮唐揚げはカリカリすぎる。
先に他人を貧しいとか貶めておきながら、自分が一番はしたない食べ方をしてるって。
美味しかったんだから仕方がない。