先日GETした「Jealousy」バンドスコアに
アルバムが完成するまでの壮絶っぷりが記載されてありましたので
年表っぽくご紹介
1990年6月
2ndアルバムに向けてⅩは隠居生活に入る
1990年7月
「自分で自分の曲が怖くなった」と、YOSHIKI、突如関西方面に失踪
失踪はともかく、なんで関西方面だったんでしょう?
1990年8月
レコーディングに向けて五輪選手と一緒に行っていたトレーニングで
飛ばし過ぎて、YOSHIKI腰を痛めて、2週間のリタイア
五輪の選手ってバルセロナオリンピックで活躍した選手でしょうか?
誰とトレーニングしてたんでしょうね?
この時、病床に臥せりながらもディレクターにピアノを弾かせ
指示を出して生まれた曲が「Say Anything」
こうして7月下旬に予定していた渡米の予定はじわじわ遅延し始める
1990年9月
YOSHIKIの腰は回復してきたが
今度はPATAが持病の喘息をこじらせ1ヵ月のリタイア
一度は肺炎とまで言われるほど大変だったらしい
1990年12月24日
ようやくⅩはLAへ発つ
1990年12月3日
YOSHIKIの首を、突如「人生最大の痛み」が襲う
遂にレコーディングは完全に暗礁に乗り上げる
「人生最大の痛み」が襲ってきた時のことをYOSHIKIはこう語ります
首の後ろが最初痛みだして、「何だこれは?」と思って
何か味わった事の無い痛みがどんどん酷くなってきて
腕は痺れて上がらなくなるし、しまいには頭まで痛みが来ちゃって
すぐにローディー呼んで氷で冷やしたんだけど
どんどん酷くなるばっかりで、だんだん発狂状態になってきて
「救急車呼べ!」って叫んでるうちにあまりに痛いから
「腕を切れ!」と叫び始めて
―腕を切り落としちゃえば首の痛みが分散すると考えたんですよ―
もう「とりあえず体どっか切れぇー!」と発狂して
部屋の中でローディーぶん殴り始めて
そのまま4,5人に押さえつけられて病院に運ばれて
…麻酔2本射っても3本射っても全然効かないで、ずーっと発狂してるんですよ
「手ェ切れー!」「ブっ殺せー!」とか、「殺してくれー!」とか
結局身体中に4本射たれて、そのまま一瞬眠りについちゃって
気がついた時は「あれ、俺生きてんのかな?」とか思って
何か俺が寝てる時に「あれ、何かTAIJIの声が聞こえた気がするな」とか
「HIDEの声を聞いたような気がするな」とそんな次元で
俺はもうほとんど意識無い状態だったから
きゃー!!! 壮絶
痛かったら大人しくしましょうよぅ
ローディーぶん殴るって!?!?!?
Ⅹのっていうか、YOSHIKIのローディーってホントに大変そう
YOSHIKIをこんなにまで苦しめた病名は、頚椎症候群
――頚椎の2と5と6の骨が変形してしまったそうです
YOSHIKIの首って椎間板ヘルニアじゃないの?って思って
ちょこっとググってみたら、分かりやすく解説してるのがありました
頚椎症と頚椎椎間板ヘルニアは、よく似た病気です
いずれも、頚部の脊椎のところで、手や腕に行く神経が圧迫されることにより、
手のしびれや痛みの症状が出現する病気です
二つの違いは、
頚椎症では、首の骨や椎間板が年齢による変化で長い年月をかけて少しずつ変形し、
神経を圧迫するのに対し、
椎間板ヘルニアでは、椎間板の中心部の髄核と呼ばれる部分が、
椎間板の亀裂を通って、突然外側に突出し、それが神経を圧迫することによって起こる点です
1990年の時点では頚椎症ってゆーやつで
1996年に倒れた時は頚椎椎間板ヘルニアってことでしょうか
こうしてYOSHIKIは2ヵ月間の療養生活を余儀なくされ
レコーディングは加速度的に遅れる結果となってしまった
その時の様子や心情を語るメンバー達
HIDE
あのYOSHIKIの半狂乱状態を見てると、レコードは出せたとしても
その後のライヴとかツアーとか、出来るわけないと思っちゃった
何の保証もないもん
だけど本人は倒れようと思って倒れてるわけじゃないからね
だけど当時は……1ヵ月先すら想像できないと、怖かったよね(笑)
だから4人で話し合った時、日本に帰るって話にもなった
でも「治るに違いない」っていうよりも、「治るまで待とう」って事になって
皆もう頭抱えちゃったんだけど
―ツアーの事とかYOSHIKIのドラマー生命とか―
俺たちの事だから「待とう!!」ただそれだけ(笑) 雪崩れ込むだけだもん
でリハーサルだけは、自分達が出来る事だけは演ろう!
みたいな感じで自分のアレンジとかね
先が見えない状況なのに「待とう!!」って決断するのって大変ですよね
TAIJI
俺一人が焦ってもしょうがないからね
バンドは5人で演るもんだからね
慌てたってしょうがないから
まぁゆっくりと見て自分の事をちょっと演ろうか(笑)、って感じだったよね
シンプルだけど、こうやってどーんと待っててくれるのがいいのかも
PATA
まあ言っちゃ悪いけど、YOSHIKIが倒れてくれたお陰っつーのもあって
多少落ち着く事は出来た
自分が倒れて日本で満足に新曲のリハが出来なかったのが不安だったから
解消されたもんね
不幸中の幸いは俺だけだったかな、みたいな
皆の曲に対して考える時間も出来たし
だけど倒れてすぐの頃は、YOSHIKIが治んなかったらどうしようか
ぐらいは考えましたけどね
YOSHIKIの代わりなんて居ないから深刻じゃない?
Ⅹ無くなったら酒屋の店員ぐらいしかなれないし、俺(笑)
ま、祈るしかなかったよね(笑)
俺の身体じゃねえし、俺が作業して治るもんじゃねえから
酒屋の店員のPATAもちょっと見てみたい
お客さんが来たら一緒に試飲して、来ない時はギター弾いたりして…
似合いそう
TOSHI
結構ヤバいと思いましたけど、でもまた得意のメンバー団結が出て
「4人でここは固まんなきゃいけない!」
「こうなったら焦って演る事はない!」
「ヤメちゃってもいい!」
「いいよいいよ、これでレコード会社に捨てられたらそれでもいいよ!」
「またインディーズで演っていこう!」みたいな
「固まんなきゃ」とか「焦る事はない」って言っておきながら
「ヤメてもいい」「捨てられてもいい」「またインディーズで」って
だんだんネガティブっぽい発言になってるぅ
YOSHIKIが体が弱いってのは有名な話だし
なんとなーく人より疲れやすい体で、首に爆弾抱えてるって思ってたけど
こうやって詳しく書いてあるのは初めて読みました
大変だったんですねぇ
つい忘れがちになってしまうのですが
こうしてYOSHIKIとTOSHIがイチャイチャしてるって
奇跡なんですよねぇ
早くアルバム出してー!早くLIVEしてぇー!って
わがままばっかり言ってゴメンナサイ
続く…