この日は日本全国天気が思わしくなく、鹿児島も予報は雨・・・・
雨ということで、室内の祈念館とかしか廻れない![]()

館のつく所で巡りたい処は、3箇所・・・・
またもや強引な事をしちゃおう!ってな 意味わかんない わからな過ぎる日程を立ててしまった
行きたい戦跡が多すぎるのに、4泊5日で巡っちゃおうって無理難題なんだけどね
まず・・絶対行きたい萬世に行くことに、本当は、萬世行って知覧の町への予定だったけど、
トメさんの旅館は最後の宿だし・・・
今日行かなきゃ、日程的に無理かもしれないっ
だってね、オイラ・・・
靖国神社と遊就館毎年行ってるけど丸1日居れちゃうんだもの・・・
ここ萬世でも絶対時間掛けて居ちゃうと思うのね・・・祈念館がどの位の大きさかにもよるんだけど・・・
そんななので初めて行く祈念館とかあると日程立てるのもチョット頭使う
朝8時30ごろホテル出発して、旧陸軍萬世飛行場跡に建てられた万世特攻平和祈念館へ道中も雨はポツポツ・・・
着いたら着いたでポツポツ雨は止んでくれました
今も残る営門
旧萬世飛行場跡地に建てられた萬世特攻平和祈念館への入り口は今も残る営門から入っていきました
飛行場跡ほとんどが今は吹上浜海浜公園という大きな公園や(毎年、吹上浜砂の祭典で盛り上がってるみたいです)住宅や畑になっていて、当然当時を思わせるものが残って居ない・・・
でも、この営門は在りし日のまま・・・
陸軍飛行場跡は、本土内の鹿児島にあるのは3か所
海軍は航空基地跡だけでも9か所
これは
海軍が特別攻撃による本土防衛を重視していたのに対して、陸軍は本土決戦を重視し、兵力温存の為特別攻撃に消極的だったという・・・
陸軍は陸上を海軍は海上を・・・。航空隊が出来た目的が違う事もひとつかもしれません
萬世飛行場は、
1942年(昭和17年)大刀洗陸軍飛行学校の分教校として建設計画が持ち上がり(知覧の分教場)
翌年1943年昭和18年7月着工
機械不足のため人海戦術での工事では地域住民中学生による(当時)勤労奉仕隊と
朝鮮人労働者、中国人捕虜約700人が働きました。
1944年昭和19年末に滑走路完成
しかし当初はセメントもなく山土等を敷き詰めていた様です。良い状態の滑走路では無かったんですね・・・・
難工事が進む中、戦局悪化がさらに進み、実際配備されたのは本土決戦にむけての米軍艦隊近くに
急降下攻撃する実戦部隊・飛行66戦隊
飛行55戦隊
そして・・・250K爆弾を搭載した特攻隊・振武隊でした
分教場は知覧とともに激戦地沖縄海域に向けて飛び立つ陸軍特攻隊の前線基地に変わってしまいました
平和祈念館の外観は搭乗員が生まれて初めて飛んだ憧れの練習機複葉機 通称「赤とんぼ」をイメージ
また、屋上のとんがったモニュメントは平和を祈る合掌とのこと
祈念館に入ると、知覧は、特攻作戦に参加した英霊全てを慰霊しておりますが、萬世はここ、萬世飛行場から特攻作戦で散華した英霊のみを慰霊している祈念館となっていますと館の職員の方が話してくれ、丁寧に入口にある「よろずよに」の慰霊碑について説明してくれた
「よろづよに」
慰霊碑は南の方角特攻をした沖縄の海を向いています
石碑の隊員の顔が横を向いていますが、方向は東・・・それには3つの理由が
1.ここ、萬世から飛び立った隊員の故郷を
2「靖国で会おう」と約束して飛び立った靖国を
3天皇がいる皇居を
見ています
何処から来たのか聞かれ、神奈川と答えると、使用感たっぷりのファイルを広げ神奈川出身の搭乗員の資料を見せてくれた
有名なこの写真の中に居る後方右側の高橋峯好伍長(17歳4か月)も神奈川出身だった
出撃前の2時間前真ん中で子犬を抱いている荒木幸雄伍長
整備員が拾った子犬をみて実家の犬を思い出し、ためしにその犬の名前を呼んだところ、荒木伍長の方へきたため、抱き上げ撫でていたところ、一緒にいた内4人が可愛いと寄ってきた所、新聞記者の方が偶然パシャリ撮った写真なんだそうです
当日、天候悪化の為出撃せず、翌日昭和20年5月27日この萬世飛行場から沖縄へ出撃、散華されました
平成5年吹上浜沖から引き揚げられた実際の偵察機
機体の修繕などは行っておらずそのままの状態で展示保存してあります
2Fからは撮影禁止の為、ゆっくりと拝見してきました。また、私が行った時が、たまたま少ないかったのか私たちより先に来ていた人と、館を出ようとしていた時に来ていたお二人だけで、本当にじっくり、拝見できた
そして、ここの館の方は、親切丁寧に当時の話や、展示物の遺品について説明してくれる・・・
また、鹿児島に行ったら是非行きたい平和祈念館でした
~其の弐へ~
って・・何時になるやら・・・![]()


