鳶職人の頭の中 -3ページ目

からっぽ

HHが来たのをきっかけに、
毎日の気づきをブログに書いてみようと。
しかし、今日はなーんも書く事がない。
なんかあるやろーと自分でも思うけど、ない。

何にも気づきが無い一日って、ホンマやばいよなwww
まぁ無い事はないけど、
書いてたら、グチみたいになったから辞めた。
内容は、スマホのながら歩きしてる無神経な人たちのこと。

で、スマホ関連と言う事で、今日もラインのお話。
最近知り合った人とは、ラインで連絡先を交換することがおおい。

そこで、メールとの違いに一つ気づいた事が。
ラインのメールはとにかく短文&スタンプ。

ちょーウケル。

とか一言送られてきても。。。。
ま、それは人によるんかもやけどな。

なんしか、携帯のメールとは使い方が違うような気がする。
そのうち分析できたら、また書こかな。

ブログも、アメブロと顔本とミクでは、
同じ内容を書いても全然反応が変わってくる。

顔本なんかは、イイネやシェアされることがステイタスみたいになって、
やたらと、プラス思考記事や感動ネタ書いてる人が多い。
完全に吊りやんけ。。。。

わしは基本的に鬱日記ばっかりやから、
顔本では、総スカン(笑
ミクでは閉鎖的ということもあり、
言いたい放題やりたい放題、なんでもあり。

このアメブロは、ただのメモ帳程度に使ってたんやけど。
アクセス解析みたらめっさ読んでくれてる人が多くて、驚き。
読まれてる意識、必要やな。

あ、そういえば、このペタ制度もうっとおしいな。
自動ペタツールな。
ホンマうざい。

これって自動やから、ペタしてる本人は
誰をペタってるとかしらんねんやろな。
アンタやで、アンタ。アンタのことやで、そのペタツール。
ITヲタクをなめんなよ。

あれ、なんかグチばっかになってもうたなw
もうええわwww

今日の気づきは無いわ。
ホンマのおっさんの愚痴日記になってしもた。
読んでくれてた人、
時間を無駄にしてごめんなさい。

誰が作ったかを知っていると、料理から愛情を読み取れる。

ここ数日は、HHが晩飯をつくってくれてたので、
今日はわしがつくるわ~と。
チンジャヲオースを作る。

黙っていても、料理がでてくる。
こんな有り難い事はないな。
誰かに作ってもらう時に、そう思って、心から感謝する。

お店で高いお金払って食べる時とは、全く違う感覚。
どんな人が、どんな思いで自分の為に料理をつくってくれたか。
これを知って食べるのと、知らずに食べるのとでは、明らかに味が違う。

美味しいか美味しくないか。
ではなく
食して楽しいか楽しくないか。

美味しくて楽しいのは最高やけどw
誰と食べるかによって楽しさも増すし、
作ってくれた人と、一緒に食べれる喜びは、また格別。
それが、愛する恋人や家族なら、なおさら。
たとえ味が合わなくても、それすらも笑いになり、
狂おしい程、愛しく思える。

HHが料理のウデをあげて、
家族につくったる~ってハリキッてる様子から、
嫁と子供が喜ぶ姿が目に浮かぶ。

料理を作るってことは、愛情表現の一つにもなり、
一緒に食べるってことも、愛情表現の一つである。

わしも家族から、お父さんの料理がたべたい~と
甘えられるような、素敵な家庭と料理を作れるようになるで。

最初の壁を乗り越えた時が進化の瞬間。

最近、ラインというのが流行っていて、
ガラケーをメインに使ってるわしは無縁のアプリ達。
しかし、あまりに話題性もあるので、
サブ機のアイホンに入れてみた。

そもそも、新しい事に挑戦する時は決まって思考がとまる。
面倒やとか、わからんとか、別にええわとか。
とにかく、なんだかんだ理由を付けては、
考える事を止めようとする。
それは、自分が気づいていない時でも、
脳はそうするもんやねん。

しかし、この壁を乗り越えなければ、
時代に取り残されてしまう。
今時、携帯持っていない人は珍しいし、
そんな人は、コミュニケーションの機会を確実に失っている。
それがいいか、悪いかは別やけど。
機会を失っているという事実は、まぎれも無い。

で、ラインもしかり。
この壁を乗り越えれないと、時代の進化にとりのこされてしまうwww
なんて笑って冗談で言ってられへんくらいに、
爆発的なシェア率になっている。
それもそのはず、このご時世、メールが遅れたり、届かないなんて、もやは致命的。
そんな致命的な、遅延不達の事故を平気でやってくれる通信キャリア。

今の若者は、コミュニケーションの機会を失う事を極端に恐れる。
そないビビらんでもって思うけど、
時代を作って行くのは、我々老人ではなく、若者なのである。
そうして出来た市場では、中身のないコミュニケーションばかりが飛び交い、
しかし、なぜかそこに感情を移入し、意思を託す。

こうした小さい壁を越える事でも、
時代に乗って行くなら進化せざるをえなくなる。

日々、小さな変化を自分に起こし、挑戦し続けることが、
自分自身を進化させ続けることになり、
その挑戦こそが、老うことなく、時代を作る若者であり続けることになる。

少し角度が変わるだけで、世界がひっくり返る。

休日に職場の仲間と呑みのイベントに参加。
普段働いている姿とはまったく違う視点で見る事になるが、
これがまた、まったくの別人でおもしろい!

いかに普段が、相手の本質をみていないかと多々反省させられる。
表面的な仕事の動きで、ついつい人間性まで判断してしまいがち。

仕事終わりからの~現場呑みの~二次会三次会~
なんてのは、もう話にならんくらいにグダグダになる。
仕事のグチやクダまいて、若い子に説教たれはじめたり。

さすがに説教されるような歳や立場ではなくなったけど、
そんなことを横で見てみぬふりはできへん。
仕事は仕事。
ちゃんと区別できるのが、かっこいいと思う。

今日みたいに、休みの日に改めて会うのは新鮮だ。
完全にオフモードやと、普段の考えや、信念、センスなど。
様々なその個人の持ち味と言える人間性が浮き彫りになる。
仕事の延長や、仕事中にみるその人間性とは全く違ってみえる。

それはわしの眼力があまいのか、ホンマにその本質が変わっているのか。
環境による解釈がなくなり、新たな解釈が加わるだけで、
その人間そのものの本質も違って見えるなら、
それは明らかに、自分自身が作り出した世界と人間像で構築されていると言える。

結局は、自分の見ている世界は、
自分の解釈で作り出している世界。
そこに関わる人間も、自分自身の解釈が生み出した、人間像なのだ。

結局、何が言いたいのかというと、
自分をとりまく環境は、自分自身がすべて作り出しているってこと。
周りの人との関係性はもちろん、自分の生き様すら、自分がそうしている。

すべては自分の『解釈』が作り出した虚像の世界。
その幾重もの解釈の中に、事実は一つ。
そして、その事実に意味はない。
後から勝手な理由付けをしているだけであって、そこには何の意味もない。
ただ、起こるべくして起こった出来事があるだけ。
幸せを手放す思考は、解釈と共に生み出される。

惰眠を貪るのは、贅沢の極。

今週末は土日休みと連休。
この先、正月まで連休がないくらいに忙しいと思うと、
今から気が重くなるわ。。。。

朝は平日と同じように起き、ゆったりと過ごす。
基本、休みは日曜だけ。
まぁ身体が資本やから、調子が悪い時には仕事を休むけど。
自主的に休みを取らへん限りは、日曜以外休みはない。

それだけに、休みの日はとても貴重な時間や。
ほな、何か特別なことしてんのかちゅーたら、そうでもない。
何も考えずにダラダラしてたら、一日が終わってる。
そんな使い方はしたくないから、意識的にのんびり過ごす。

という訳で、いつものように、グツグツと煮詰まった一日ではなく、
朝から日差しを浴びながら、ベランダに水まいたり、
ゆったりコーヒー入れたり、散歩したり。

なんやかんやで、
『何にも考えずに、ゆったり過ごせる時間をもてることが一番幸せ』
と思える。

真っ昼間に窓をあけ、涼しい小風が部屋を抜ける。
心地よい、暖かさに包まれて、ゴロゴロすると子供の頃を思い出す。

ダラダラではない、無駄な時間程、美しい物はない。
建築も同じで、無駄な空間程、美しいものはない。

その無駄こそに意味があり、意味にこだわることに無駄がある。






相対性理論

仕事が忙しい時って、時間があっちゅうまに過ぎてる。
逆に、ゆとりのあるときは、十分が一時間にも感じる。

鳶の仕事をはじめてから、集中力が持続するようになった。
学生時代は、まったく勉強もできず、
本を読む事すらしなかった。
活字読んだら、眠たくなるとか、頭痛くなるとか
クソみたいなことほざいて、嫌悪感すらもってたな(笑

とにかくじっとしてられないし、
じっくり物事を考える事ができなかった。
幼児と一緒。
感情に任せて、反応だけで生きてた。

この歳になってようやく、
物事を考えながら話をしたりすることが少し出来るようになり、
ゆっくり落ち着いて、活字を読む事も出来るようになった。

一言でいうと
『自分から幸せを手放す思考回路』に気づいたのだ。

アインシュタインはその昔、
相対性理論とは何なのか?と聞かれた時に、
熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。
まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、
一分間ぐらいにしか感じられない。
それが相対性というものです。

と答えたそうだ。

これこそまさに、マインドブロックの破壊。
『自分から幸せを手放す思考回路』からの離脱である。

ワシはピーンときたんや。
うん。これが正解!

これもすべて鳶の仕事のおかげやわ。
分かる人だけわかればいい。
幸せに満ち満ちてる人は、みんな気づいてます。

何かの縁でこのブログを読んでるあなたにも幸せあれ!
よい週末を!


$鳶職人の頭の中

人は歩みを止めた時に、そして、 挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

鳶デビューの当時からお世話になっている作業服のブランド、カセヤマ。
今日はそこの押上店にお邪魔してきた。

作業服についての詳しい事は
ダボダボズボンの秘密についてで語ってるから、ここでは省略。

そこで、偶然にも、今モニターで使用させて頂いている、
『超硬強度・旋盤ボール芯』の、椿モデルさんと初対面。
以前からカセヤマさんを通じて話を聞いていただけやったが、
実際にお会いして、お話をさせてもらって、
ドン引き。。。あ、いや、ビックリしたわ(笑)
ウワサ以上に道具に関してのこだわりがハンパない。

1mm,2mmは当たり前、
Rに関しても1度の妥協も許さない。
そして、エンゲル係数を完全シカトの道具へのこだわり。
これは、もう、仕事の域を超え、趣味。
いや、趣味の域も超え、愛やで。愛。

当然のように、こんな人が集まるお店なんやから、
カセヤマさんも、作業服に対するこだわりも常軌を逸脱している。

ちょっwww
この人たち。。。。。引くわ、引く(笑)

冗談はさておき、
作業服にしろ、道具にしろ、
ここまでこだわって作って頂いてるが、
使っている職人の意識のレベルは、
それに応えることが出来ているのか疑問。

実際に使用する職人が、こんな人たちにもっとふれあう事で、
作業服や道具、そしてなにより仕事に対しての深い情熱が湧いてくると思う。

帰りに、
俺たちも道具に対して、もっと意識せなアカンな。
とHHがポツリとつぶやいた。

椿モデルさんのサイトには、この使わせてもらっているボール芯について
『選ばれた者が 選ぶ逸品になって欲しいなぁ』
と綴っている。

このボール芯、たまたまネットで見つけたんやけど、
サイトを見てたら、どうしてもこのボール芯が使いたくて、
ぜひ売ってほしいと連絡してみようとしてん。

ほんならその矢先。
偶然にも、カセヤマさんを通じて、このボール芯のモニターを探してるんやけど、
ぜひ使ってほしいという話を頂いた。
もちろん、このボール芯をわし欲しがっていたことは、カセヤマさんは知らん。

なんちゅー偶然や、どないなっとんねん。
まさに、わしが『選ばれた者』になってしまったわけや。

仕事に対して、ここまでこだわりと愛情を持った人がいるからこそ、
日本の技術が進化し、日本が活性化する。
歩み続け、挑戦し続けることこそが、
超一流と呼ばれるにふさわしい。

$鳶職人の頭の中-鳶悴山

今を積み重ねて、未来に紡ぐ。

共同生活が始まって9日。
わしはすっかり慣れてしもた。。。
というか、HHが来ただけで、状況はなにもかわってないから、
そない変化も感じる事無く、すっかり慣れた。

一方、HHはどうやろう?
かなりホームシックな時期ちゃうかな(笑)
職場も生活環境もここまでかわってしまうと、
慣れるというより、軽いショックもあるんちゃうかと思うけど。。。。

それに、一人暮らしが長い大人のわしでも、
人肌恋しくて寂しくなる時があるのに、
子供はかなり寂しいやろうな。。。。

わしは子供が好きやけど、公共の場であばれたり、
思い通りにいかないと金切り声をあげるような
しつけのなってない子供をみたら、
腹のそこからわき起こるドス黒い感情が我慢できなくなる。

もうこれって人間的に、愛情が欠けてるとか、
子育てとか向いてないのかなとか思ったり。
子供との接し方も怖くてよくわからんし。

常に穏やかな気持ちで、愛情たっぷりで接したいとは思うけど、
ただ、優しく言うだけが、愛情表現とは思わない。
叱る時は思いっきり叱ってやろうと。
ま、実際は思ったようにできるのかは、
子供が出来てみなわからへんけどな(笑)

言ってもきかへんから、言わへんって親が多いけど、
できへんくても、注意し続けてやるのが愛情と思う。
言わへんかったら、ええ大人になっても本人が気づくことができへん。
言い続けてたら、ある日突然、
そういえば、親がいつもうるさく言ってたな。
と、気づく日が来るやろう。

電車に乗ってても、公共の場でも
まったく注意しない親の神経がわしには理解できへん。
厳しく言うのは、世間的に良くないのかと思い始めたこのごろやったけど
ふとアメーバニュースで、「叱り方で子供の将来が変化」というのを見た。
内容は、


2~4歳の子供を2つのグループに分け、
1つのグループの子供達には、攻撃的な言動をした時に、
「どうしてそんなことをしたの?」等、愛情深く優しく接し、
もう1つのグループの子供達には、攻撃的な言動をすると有無を言わさず、
「懲罰ボックス」に閉じ込めるという実験をしたところ、
愛情深く優しく接したグループの子供達には
その後も攻撃的な言動が目立ち、遊ぶときには1人か2人。
逆に懲罰ボックスに閉じ込められたグループの子供達は
その後攻撃的な言動がほとんどなくなり、
3人以上で仲良く遊んだという研究者達にとっても意外な結果が出たのです。
今ではこの実験結果に脳科学的な根拠も見つかり実証されているのです。


ふむふむ。なるほど。
わしの感覚もまんざらでもなかった訳やな。

しかし、厳しく叱るにしても、
普段からの絶対の信頼と愛情があってのことやと思うから、
離れていると、満足に叱る事すらできへんし、
子供は多少なりとも距離を感じるようになってしまうんかな。。。

HHはヒマがあれば、家族とメールして電話して。
どんな内容の話したりしてんのかはしらんけど、
「今」というわずかな時間を、繋ぎ合わせている。

昨日、突然、HHの嫁さんから宅急便が届き、
中には「父の日のプレゼント」が入っていたそうだ。
日々の積み重ねは、ちゃんと距離を超えて伝わり、繋がってるねんな。

無知と思考停止は罪。

今の現場は都内の超高層ビル。
6階~35階がオフィス。
37階~46階がマンション。
47階~52階にアンダーズ東京というホテルが入り、
屋上にはチャペルもある。

高層の39階から吹き抜けの部分があり、
通路や廊下から、展望できる空間にするとおもっていたが、
どうやらデッドスペースになるようだ。
すでに、壁が覆われて、吹き抜け部分には
人がまったく入れないようになる。

そこで、なんでこんな構造にしたんろうか?
という話が持ち上がり、
これだけの吹き抜けにするくらいやから
何か意味があるんちゃうかと。

そういえば、大阪で話題の阿倍野ハルカスも
高層の住宅部分は吹き抜けだらけやったな。

建物の外側は、居住空間として使うのは当然だが、
その内側部分は、窓もないので、居住空間としては適さない。
だったら、共用スペースとして、何か使い用があるのでは?
なんでわざわざ吹き抜けにする必要があるのか?

ここで、建築士、施工管理の有資格者の知識が問われるとこや。
建ぺい率や容積率とか、なんかそんな風なもんとか、
床面積が建築基準法にからんでいるから、
わざと吹き抜けにすることで、調整してるんちゃうんか?
あとは、床面積を少なくして、ビル全体の重量を軽くする為とか。

他に思いつく選択肢がない。
それは、わしの知識や発想が貧しいからしょうがない。
しかし、知りうる知識や経験を振り絞って、
この仮説を立てて、なんやかんやで話は盛り上がっていた。

そこで、一人のおっさんは
そんなわけないじゃん。
あるわけないよ。


何を根拠に、無いっていうの?
と聞くと、


なんだかよくわかんないけど、
それは絶対にないよ。
そんなの聞いた事もないし、知らないよ。


ふーん。
じゃあ、今、知ってよかったやん。
法律的な理由もあるってこと。


だから、それはありえないって。
なんだかよくわかんないけど、それは絶対にないよ。
タコさんは言ってる事がちんぷんかんぷんで
会話にならないよね。

と最後は切り捨てられました(笑)

こんな風に、人の話がまったく聞けない、とか、
自分の知らない事は、認めない。とか。

今までわしが出会った人に限ってやけど、
「人の話が聞けない人」や、
「本を読んだりしない人」は
「なんでも人のせいや環境のせいにする」傾向が多い。

自分の知識や経験がなくて、相手と会話が成りたたへんことを、
話や考え方が合わないとか言って、相手や周りのせいにする。
しかし、残念ながら、その状況は、
『自分が作り出している』ということに気づけていない。

こんな人が人の親であり、子供が育てられるとおもうと、
その子供が可哀相になるわ。

自分で気づける人間は、無限に成長ができる。
もうエエ歳こいたおっさんなら別に成長はいらんのかもしれんけど、
そんな無知で思考停止してるおっさんが、
子供達の成長を妨げるのは、もはや罪の域。

『知らないことすら、気づいていなかった』世界は、
我々を無限の宇宙に導いてくれる。

せめて、人の話をきけて、
頭を使える人間にはなりたいと思う。

真理とは誰の足元にも転がっていて見つける事はできるが、
それをしゃがんで拾う事が難しいそうだ。

まだまだ、真理へはほど遠い。

状況を知り、理解する事が安心に繋がると思っていたが。

今年もまもなく半年が経過する。
この時期になると、盆休みをどうすごそうかと、
ワクワクしてくるのだが。。。。

ここ数年、仕事が忙しく、そんなものは無い。
五月の連休と、盆休みはロクに休みがない。
ま、自主的に休んだりはしてるけど、
嬉しい事に、仕事が忙しすぎて、五月、八月、九月の連休は皆無。
ついでに、正月休みも少ない。

かといって、一年中アホみたいに忙しい訳ではなく、
終わり間際の現場は比較的に仕事がうすくなり、
少しだけ気持ちに、ゆとりが持てるようになる。

で、今年の盆休みだが、またもや仕事の予定。
予定は未定だが、期待はできへんな。。。。

夏休み、嫁と子供を東京に呼んであげたら~?
どっかで休みもらって、ディズニーとか行ってきたらええやん。

とHHに提案すると。

嫁はこーへんのちゃうか?
俺が大阪帰るわ。

そーなん??
旦那がどんな環境でどんな生活してるとか、気にならへんのかな??
毎日電話してるから、余計な心配はしてへんやろうけど、
こっちの状況を知ったらもっと安心できると思うんやけど。。。

ま、人それぞれの感覚あるやろうから
そんなところは、興味がないんかな。
それでも、一つでも多くの事を共有して、共感して、
絆を深めていって欲しいと思うわ。


わしは、仕事は大事やと思うけど、家族あっての仕事やと思うねん。
自分や家族を犠牲にしてまで働くのは日本の国民性やろうけど、
わしはそないしてまで働かんでもええとおもうけどな。

忙しい時はみんなと共にがんばって、
休める時には多いに休んで、家族と過ごしてほしいと思う。