鳶職人の頭の中
このブログはうだつのあがらない男のつまらない日常を
だらだらと記録している備忘録です。

その一方、建築現場を、様々な視野・角度からとらえ、
鳶職人という視点でその仕事を写真と文章で表現。
という活動を細々と続けています。

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重版出来

今日は嬉しいお知らせがあります。
このたび、2014.8.19付で
書籍「鳶」が重版出来されました!!
本当に、本当にありがとうございます!
いいね!やシェアで応援、支持してくれた皆様や
書籍をお買い上げくださった一人一人のおチカラのお陰です!

そして、
「鳶」の販売ページも、第2版バージョンに更新されています!
http://tobisyoku.net/tobi/

書店でも売り切れが続出し、
アマゾンでも入荷未定の品切れ状態で
お待たせしている状態で、ご迷惑をおかけしています。

そこで、お詫びと、重版出来記念を兼ねて、
書籍「鳶」に直筆のお礼のメッセージを書いて、
プレゼントしたいと思います!
一人でも多くの方のご参加をおまちしています!!

書籍「鳶」プレゼントキャンペーン参加の詳細はこちらへ
http://on.fb.me/1uRJkcd


重版出来

松岡正剛事務所でトークイベントをします。

来る2014.7.20にトークイベント『そ乃香』を開催します。

そ乃香は、「千夜千冊」で知られる伝説の編集者、
松岡正剛氏の事務所が主催するトークイベント。

松岡氏のマネージャーである和泉佳奈子氏が仕立て人となり、
松岡事務所の蔵書2万冊が納められた本棚空間
「本楼(ほんろう)」で開催されています。

今回、第五回目の「そ乃香」ゲストに
「鳶」の著者として2時間のトークショーをさせていただきます。

書籍「鳶」では表現しきれなかった、
鳶の仕事を写真と文章で表現するとともに、
多湖弘明自身が生きて来た人生において、
やりたいことを実現させる為に行ってきた思考の持ち方、

そして、
その思考を現実化する行動について。
自身の生活において、限られたお金と時間に縛られずに
人間本来のあるべき姿で自由に生きる方法。など。

見ている景色は同じでも、
『見える景色は変えられる』
ということをテーマにした、
参加者一体型のワンセルフサミットの開催です!

http://on.fb.me/1sOPPLT


◎日時:2014年7月20日(日)14:00~16:00
◎会場:ISIS館「本楼」 世田谷区赤堤2-15-3
◎参加:先着40 人
◎入場料:3000円 +ワンドリンク制(受付にてご注文ください)
◎申込み メール または お電話にて必ず事前にお申込み下さい。
(イベント名・参加人数・お名前・フリガナ・参加人数・
携帯番号・性別を申込のうえお知らせください)
MAIL:sonoka@eel.co.jp
TEL:03-5301-2212(松岡正剛事務所)









出版します。『鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ』

こんにちは。ご無沙汰しておりました。

突然ですが、
「鳶」の仕事に関する本を出版する事になりました。
http://tobisyoku.net/tobi/


自分の言葉で伝えておきたい事がある。
そんな思いから、
『鳶の仕事を写真と文章で表現する』
という活動をはじめて、15年以上が経ちます。

今、ようやく生きた証を形として残す事となり、
鳶コミュに参加し、今まで応援して支えていただいた皆さんには
感謝の気持ちで一杯です。

手に取られた方がおりましたら、
こちらで感想などを書き込んで頂けたら幸いです。


本日もご安全に!!!

鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ
http://tobisyoku.net/tobi/


鳶

11月5日は仲間の命日でした。

11月5日は仲間の命日でした。

特に示し合わせた訳でもなく、
毎年この日は、みんなで連絡しあう。

特に、何かを話すでもなく。
どう?元気~?と他愛も無い話をするが
互いの安否を確認するかのようでもある。

ほな、またな。ご安全に!と

今日というこの日から、
わしらの新しい一年が始まる。

互いに思い合える仲間がいることは
本当に嬉しく思う。

誰かを思うと、頑張る事もできるし、
誰かを思うと、暖かくもなる。

人は一人では生きてはいけないな。

『自分が相手とどういう関係を築きたいか。』
ということを見失わなければ、
愛に満ちた人生を送る事が出来ると思う。

それは恋人や家族に限らず、
自分と関わる全ての人に対して。

相手とどんな関係を築きたいか。
これが明確にわかっていれば、想いやるこができる。

しかし、つい自分の感情や欲望を優先し、
相手との関係性を見失うから、
争いや衝突を起こしてしまい、
自分の思うような関係を作れなくしてしまう。

今、一度、考えてほしい。
自分が生きている意義を。

わしら、せっかく生きてるねんから、
愛に満ちた人生を送ろうや!

なんか、愛というとうさんくさい感じやけど(笑

例えば、食事。
一回一回の食事も、ハラ満たすだけやなくて、
ちゃんと自分が喜ぶ物を食べるとか。

だって、一生に飯食える回数って限られてるねんで。
なーんも考えずに、ハラ満たすだけとか。
酒を浴びるように飲むとか。

そんなんやなくて、
そいういうのも、しっかり考えて楽しもうやないか。

それが自分自身を愛する、
自愛するという事にも繋がる。

自分自身を大切に愛してこそ、
自分の周りの人も大切に愛することができる。

どんなけ強がっても、
人は一人では生きて行かれへん。

なにも考えずに、本能のままに。
そんな生き方は動物でも出来るからな。

しっかり考え、感情をコントロールして、
『自分が相手とどういう関係を築きたいか。』
ということを見失うことなく、
思いやりや愛情を、手放す事無く。

愛に満ちた人生を送ることが、
生きてる喜びを分かち合うという事だと。

この歳になるまで、
こんな大事な事に気づきませんでした。

関わってくれる全てのみんなに、
そして、先立って行った仲間に。

心から感謝しています。
気づかせてくれてありがとう。
愛情に満ちあふれた人生をありがとう。

今日、この日から新しく始まる一年。
今年もよろしく御願いします。

生と死の境界線。

親父が脳内出血で倒れてから七年。
いよいよ、体も衰え、死期が近づいてきている。

つい先日までは、介護施設で療養していたのだが、
発作がおきたり、体調に異変が現れ、
あっという間に容態は急変。

現在では、膀胱に管をいれ、
栄養は鼻からという状態。

もう少し悪化すると、
胃に直接穴をあけ、栄養を取るようになる。

鼻からの栄養もそう長くは続ける事ができない。
感染症などのおそれがあるため、
もう一月もしないうちに、胃に穴をあけることになる。

そう。悪化する方向へしか時間は流れない。


そうなると、もう、ほぼ寝たきり。
介護施設の域を超え、医療施設⇒療養型病床群併設施設になる。

これは、介護保険から、医療保険への切り替えとなり、
ここから、患者の身内が国や医療機関の体制に対して
想像を絶する憤りを味わう事になる。

ま、その話はまたの機会にして。



体の状態が悪化する前から、会話はできないし、
意思の表示も曖昧で、全く思考が読み取れなかった。

もはや、思考があるのかもわからないし、
今、この現状がどうなってるのかも、
わしらが誰なのか、自分自身が誰なのか。
それすらもわかってないような感じがしていたが。。。

わしの勝手な推測やと、
もう脳が半分以上、機能せずに、
考えるチカラも残ってないのかと。


そこで、おかんに疑問をいくつかぶつけてみた。

親父が倒れてから、
誰かに言うて見舞いにきてもらったりしたん?

と、聞いたところ。
本人が、誰にもい言わんで良いし
誰にも会いたくない。とハッキリと答えたらしい。


エライ意思がはっきりしてるやんけ・・・?
それいつの話や?

どうやら、脳内出血で倒れた後、
手術して意識が戻ってすぐの数日の話らしい。
少しはまともに会話が出来てたようだ。


そういえば、その期間にわしも会いに行った事があったな。

会ったとたんに、親父が大号泣して
『こんな風になってしもてごめんな』
ってずっーっというてたっけ。

その後、数ヶ月して会いに行った時には、
もう今とほぼかわらず、
会話もまともにできず、
ぼーーっとしてるだけ。

わしらが誰なのか、自分自身が誰なのか。
わかってんのか、わかってへんのか。

そんな風におもってたけど。。。
少なくとも、倒れた後に

『自分の状態をハッキリと理解』していたようやな。

これが何を意味するかというと、

自分のこれから先の人生は、
絶望しか残っていないということを理解している。

と言う事になる。
まだ、わけわからんねんやったら、
それは一つの救いなんかなって気もしてたけどな。

これまでの七年、
そして、これから、迫り来る死も
薄々はわかってるんやろうな。


自業自得、
と言えばあまりにも突き放した言葉で全てが解決してしまうが、

その自業自得を身を以て味わい、
苦痛と絶望の中で、ただただ、自分の死がくるのを待つだけの余生。

しかし、本当の地獄はまだこれから。

この先、寝たきりになり、
来る日も来る日も、部屋の天井だけを見つめ、
無意識と意識の間で、周りの声だけが暗闇に響く。

そして、寝てる感覚ではなく、沈んでいる感覚になり、
やがて、永遠に沈み続けている感覚に陥る。

そうなれば、沈み続ける暗黒の渦の中で、
のこっているのは、体を蝕み続ける痛みの感覚のみ。

全身の激痛をじっと耐え続け、死を待つだけ。
もう、時間の観念すら消え、
沈み続ける精神と、肉体を切り離し、
自分を浮かす事だけが、生きる事にすり替わって行く。


まだまだ、死なせてはもらえそうにないか?
もう、ええねんで。
誰も、親父のことは恨んだり、憎んだりしてへんから。
安心して、地獄へ堕ちてええねんで。

それとも、まだ、この期に及んで、
地獄へ行くのが怖いのか?

もう充分すぎるほど苦しんだやろ?
楽になってええんやで。

続きはあの世にいってからでも
十分にあるやろ?
お楽しみはこれからやで(笑

東京の町歩きイベントでスカイツリーのガイドをしてきました

町歩きイベントの、「東京てくてく」で
スカイツリーの案内をしてきました。

『鳶の仕事を写真と文章で表現。』

というコンセプトで、
毎年写真展をやってきましたが、
写真展という活動を終了する事にしました。


そして、今年からは

『スカイツリーにおける鳶の仕事を、写真とトークで解説。』

というイベントを開催します。

現在、一般募集は、
「東京てくてく」という
町歩きイベントからの申込しか受け付けていません。

ガイドに関する募集や、イベント情報などの案内は
メールマガジンにて案内させて頂いています。

興味があるかたは、
メールマガジンのご登録をお願いします。

メールマガジン登録はこちら


今後の活動としては、
今までに写真展に足を運んでくれた方を対象に
ゆっくり、じっくりと、時間をかけて、ご案内しようと思います。



おめでとう

感謝や喜びの気持ちを直接伝えれる事ほど、嬉しい事は無い。
自分の感情、嬉しいことや楽しい事、
さらには、気持ちを伝えれるという事は、幸せこの上ない。

特に、気持ちを伝えるということは、
互いの信頼関係もないと、真っすぐに伝わらない事もある。

言葉は相手に伝わるからこそ、意味を持ち命がある。
伝える相手がいなくなってしまえば、
その言葉に意味はなくなり、命は消え、意思から願いに。
やがて言葉の意味は、懇願に変わり
そして、消えて行く。


気持ちは、生もの。
大事にしまっておいても、鮮度は落ちて行く。
伝えきれなかった、沢山の『ありがとう』という言葉と
感謝の気持ちが、わしの中で行き場をなくしている。
どれだけの思いと時間を費やしても、
二度と伝えることが出来ない言葉の数々。
いつまで鮮度が保てるかはわからへんけど、
日々、思いつく言葉を繋いで残すことによって、
暖かい気持ちを記憶として蘇らせることはできるだろう。

感謝や喜びの気持ちを直接伝えれる事ほど、幸せな事は無い。
自分の感情、嬉しいことや楽しい事、
さらには、気持ちを伝えれるという事こそが、
この果てしない生きる輝きなのだ。

今日、今この時、この瞬間に、
言葉を届けることができる相手がいることは
本当に幸せに思える。
生まれて来た喜びに包まれますように。
おめでとう。

そして、ありがとう。

親父とおふくろ

ウチの親父は、五年程前に脳内出血で倒れ、一命はとりとめたものの、
右半身がマヒ、一人では生きる事もできず、まともに言葉も話せない。

一応意識はあるものの、心はここにあらず。
考える思考があるのかも、ここがどこかも、
自分が誰かも、おふくろや、わしや、妹が誰かも
わかってるのかわからないのか、そんな状態。

最近は、調子が悪いらしく、
発作を起こして入院しては退院、また入院をくりかえしてるそうな。

とても乱暴な言葉使いだが、
さっさと死ねば良いのにと思っている。


なんちゅーひどいこと言うねん。
この人でなし!

と思われるかもしれんけど、
誰よりも純粋に心からそう思っているし、
そう思ってええのは、この世でわしただ一人だけやと思っている。

まぁ、普段から冗談半分でクチに出すと、
だいたいの人間は批判してくるけど、
うすっぺらい信頼関係では、そんな事は思えんやろ。
少なくとも、批判するような奴らの親子関係よりは、
深いからこそ思えるんやで。

そんなわけで、もう今更って感じで、
いちいち命がヤバいといわれても帰る気にもならない。
むしろ、死んだら帰ると、家族にもいっている。

同居していたHHの親父が、入院したとの連絡があり、
昨日東京から荷物を引き上げ、帰る事になった。

以前、ガンの手術をして元気になったのだが、
また再発したのか、転移したのか、
あまりいい状態ではないらしく、東京を後にする。

わしの親父も、偶然にも同じ日に容態が悪くなったらしく、
妹から連絡が入っていたが、わしは帰らないという話をHHに話す。

tako君、それはアカンで。

と言い、なんやかんやと言われたが、
今更そんな話聞いてもわしの考えが変わるはずがない。

わしはHHの家族みんなを知ってるから、
早く帰ってそばにいてあげてと思うし、
そんなHHの家族関係をうらやましくも思う。

しかし、わしは親父をないがしろにしてるわけでもないし、
愛情がないわけでもない。
わしが会いに行かないことこそが、
親父の育て方から教わったことだからである。

お前はお前で勝手に生きろ。

その親父の教えのおかげで、
わしはホンマに自由に、生きている事ができる。
小学生の頃から何度も家を追い出され、
中学の時からは自分から家をでて、
両親の助けを得る事も無く今まで生きて来た。

雨風をしのげる場所にたどりつけるだけで
どれだけ心が安らいだ事か。
死んだ方がよっぽどマシやと
毎日呪詛を唱え続けてたあの頃。

今、こうして仕事して帰る家があると思うだけで
心から感謝の気持ちでいっぱいになり、幸福感に満たされる。
こんな幸せを教えてくれたのも、親父とおふくろの育て方やからこそ。

わしは家族の愛情はどんなもんなのかよくわからないが、
自分が思い描く家族をつくりたいという理想はある。

親父がわしに伝えてくれた事は、
言葉や態度では得れるような事ではない。
生活するということではなく、
生きぬくということの本質を身を以て学ばせてもらった。

こうして一連の話を言葉に載せてるだけでは
何も伝えれることができないけど、
こんな単語の羅列で伝える事ができるほど
親父の教えは薄っぺらではない。

そんな親父の生き様と、末路、いよいよ迎える死に様こそが、
人生とはなんたるかを示してくれた、親父の教えの全てである。

自由とは自分に由いることだ。
自分の行動はすべて自分の意志であって、
何かを口実にしてするべきではない。

家族を顧みない人生でも、
その最後をともに過ごしてくれるおふくろと出会えた親父は幸せものやわ。

わしは、最後だけやなくて、
ずっとずっと家族と愛に満ちた人生を共に過ごしたい。
とても愛しく狂おしいほど、会いたくなる。


$鳶職人の頭の中

ウォーキング・オッサン

いよいよ夏が始まった。
現場は灼熱。体感温度は40度を軽く超えている。

日頃の溜まった毒素を汗とともに全て吐き出せる季節。
悪くないな。

多分、一般人がみたら信じられへんくらいに
作業服がべしゃべしゃになってる。。。

今日から新しい現場に移動。
気分も一新、なんとなくウキウキする。
なんやかんやで、体動かして仕事するんは好きやけど、
やっぱり現場の人間は好きになれん。
なんていうか、ちょっとどこか感覚がおかしいな。
ま、多分、わしもそう思われてるやろうけどwww

サクっと仕事を終わらせ、
グダグダ缶ビールを開ける事も無く、さっさと帰宅。
近所に新しいスーパー『サミット』がオープンしたので、
主婦にまぎれてHHと買い物に。

オッサン二人で、あーでもないこーでもないって
どうでもええような妄想話しながら、テクテク向かう。

庶民のスーパーより、ワンランク上の食材を扱うって感じかな。
全てにおいての平均単価は高い。
同じメーカーで同じ品物買うなら
近くて安い方がええ。
貧乏性で大阪人やから、そう思うのは仕方がない。

そういうので節約してケチくさいことは言うけど、
タクシーは惜しまず乗りまくる。
このへんの駐車場、月四万やねん。
車もってないから、持ってるつもりで考えたら
月四万までタクシーのれるやん☆

って言うたら、そこは節約しようやって。
いやいや、時間をお金で買いたいねん。

最近乾燥機が壊れて、修理に四万もかかる言われたから、
コインランドリーに行きだしてんけど、
結構面白い。
一人暮らしの人が集まる憩いの場www
わし、一人で暮らし始めてからはずっと乾燥機つこてたから
コインランドリーデビューで楽しいわ。
修理してもまた壊れるかもしれん信用できへん乾燥機に
四万もだすなら、コインランドリーに200回行く方がオモロい。

そんな話、どうでもええわ。
今日はまぐろの漬け丼。

サミットにはHHが刺身が買いたいということで
行ったのが、事の始まり。
この辺の刺身はまずくて食えん。
きっと新しいスーパーやから新鮮や!

ま、悪くない発想やな。
で、味の方はというと

コレが正解!

って納得してはったわ。
食には困らへん生活は幸せやな~~

スローライフ

スローライフ : ゆっくりした暮らしを提案するもの。
という定義があるそうな。

わしの言うスローライフは、ただ動きがスローなだけ(笑
というのも、痛恨のギックリ腰を味わい、
この三日寝込んでいた。
さすがに三日目ともなると、寝てられない。
気持ちもめげるし、全身だるい。
という事で、今日はちょっと、お散歩、
いやリハビリにいくことに。

普段、三分で着く最寄り駅が、10分かかったり。
そして、人ごみが怖い。
不意にぶつかろうものなら、激痛が走る。
魔女の一撃とは良く言うたもんや。
背骨に思いっきり針がつきささったような痛みが走る。
いや、ような。ではない。
そのものや。
髄液抜くとき程ではないかも。。。。
せやけど、背骨にホンマに針がささる痛みはこの世のものではない。
いっそ殺してくれと何度思ったか。。。

そんな状態でゆるゆるふわふわと街を歩く。
なるべく壁際を、普段の1/3の速度で。
スローライフ。笑

こうして、のんびり歩くと、嫌でもいろんなものが目に入る。
特に人の表情。と、かわいこちゃん。笑

身体の不自由な人の感覚がよくわかるし、
不自由さを思い出す。

人は無力だ。
一人では何もできない。
フロも入れなければ、トイレも行けない。
一人では何もできない。

このまま足が動かなくなれば、
わし一人、世界がひっくり返る。
まぁまたそうなったらなったで、なんとか出来るかな。
ひっくり返った世界を、もう一度ひっくり返せばええやんけ。

ずっと見たかった映画を、うっかり見逃す事無く映画館で見て、
プールで二時間程、歩く。
頭をからっぽにして、どうでもええこと考えながら、
現実から思考を切り離す。
そして、ぷかぷかぷかぷか。
二時間程、歩いて、また、現実にもどってくる。

痛みは伴うが、まーったく何もしない夢のような三日を終わりにした。

帰りの電車で、席を譲ってくれた人がいた。
意外に、見てくれてるんやな。
そんな不自由そうには歩いてへんかってんけど。

気持ちだけでええわ。ありがとな。
甘える事無く、つり革に手首までつっこんで、
くにゃくにゃになりながら、電車にゆられ家に帰る。

海で遭難して、星を頼りに方角を読み、陸を目指す。
何日たっても陸はみえてこない。
果たして、この方位はあっているのか?
しかし、今更後戻りはできず、進む事しか残された道はない。
自分を信じて、信じきって希望をみいだせるのか、
はたまた、自分を疑い、疑心暗鬼して、不安と共存し絶望を覚えるのか。

どうせ後戻りはできへんねんから、
希望に満ちあふれた時間をすごしたいもんやな。


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