家族との距離をおく。 | 摂食障害20年目。〜自分との戦い〜

摂食障害20年目。〜自分との戦い〜

無職・42歳中年の食事記録や心の雄叫びblogです。

診断書は摂食障害・統合失調症。
少々、ADHA・ボーダーとも診断されています。
障がい者手帳2級。

只今過食嘔吐克服を目指し、もがき中。

※画像や数字等含まれるので、
不快な思いをする方は閲覧注意です。


この間父に作った

鶏皮せんべい。




この記事に載せてる




このたった2枚の鶏皮せんべいが

すごく美味かったらしくw


また作ってくれョと

鶏皮1パック買ってきた


ゲロ(‐д`‐ll)



いや別にいいんだけどネ

簡単だから…


でも油ハネするし

腕とかめちゃ油臭くなるし




脂肪とか塊で付いてて

処理しなきゃいけない

やっすい鶏皮パック買ってきてさ。。


脂肪削ぎ取って


今日はにんにく+塩で味付けして


面倒だけど

重い腰をあげて焼いたわけ




焼き終わって

味見させろっつーから味見させたら

大大、大好評。大絶賛。


良かったね。汗





で、父は歯医者に出かけて

帰ってきたら夕飯のおかずにする

とゆーので

ラップをかけておいた。



30分経たず、

1階へ下りてテーブルを見ると


























デイから帰ってきていた

認知症母が食べてしまった。




聞いてもしょうもないが

聞いたところ


私はこんなの食べてない




鶏皮がどこに歩いていくんだよ。



食べたとしても一枚くらいでしょ!?

とか聞いてくるので


写真を撮ってたので見せたが




嘘つかないでよ、

こんな量、あったわけないじゃない


と、どんどん

鬼のような顔になってくる




鬼のような目をしてきたら

危険サイン。


もうそれ以上話すのは

火に油を注ぐようなもの


怖いので話すの止めた。






昔から

食べ物に関して執着心の強い母。


戦後の貧困な時代に生まれ

貧しい環境で育ち

挙句両親に捨てられ

子守奉公へ入れられた母


食べ物などロクに与えられず

小学校すらも卒業出来なかったらしい。




『自分が親に愛をもらえなかった分』

の愛情を私に注いでくれた、

らしい。




自分の好きな物でも

私が好物の物は全部全部私の皿に

乗せてくれる




一方で父は、私に愛情はくれなかった

あればあるだけ食い尽くす


お金にもドケチで

誕生日の祝いやクリスマスなども

『甘やかす必要がない』って考えの人で


母はいつも、

『自分の子供だろ!!』と

父を責めていた。


情けない、情けない

あんたがいなけりゃ

とっくにあんな野郎とは離婚してる


あんたがいたから

ここまで頑張ってきたんだ、と。


よく言っていた。




母は全部全部、私に与えてくれた。






一方で

私と喧嘩した時の口癖はいつも、



『お母さんはあんたにどれだけの愛情を

注いだと思ってるの』


『どれだけどれだけ

可愛がって育てたと思ってるの』



私が反抗期の頃は

発狂して私に向かって

包丁振り回したこともある


恐くて鍵を閉めた私の部屋に

ズブズブと包丁叩きつけた





私が20代になっても


『○○ちゃんはお母さんがいないと

何にもできないもんね』


『お母さんが死んだらどーするの?

生きていけないでしょ』


『○○ちゃんはお母さんが死んだら

後を追ってくるんだろーなーあ』



馬鹿にするかのように笑って言う母

しょっちゅう同じ事言ってて

うんざりする口癖だった






そんな母、認知症になってから


私が残しているもの、私の食べ物

私が父に作ったもの、

父母、二人分として作ったもの


全部食べるようになった


人に分けるということが出来ず

目の前にある物は全部たいらげる。



食べたことを指摘すると、

泣いて、騒ぐ

大発狂するようになった。






アルツハイマー認知症は、怖い。


鬼のような目をする母が

恐ろしい。




父からは、

『置いておく方が悪い』

と責められるので


全て私が悪いということになる。




同じ屋根の下でも

出来れば関わりたくない人達。


距離を、置くのが一番。














つまらないブログお読み頂き

ありがとうございました。