今回は歴史についてちょっと触れておこうと思います。
これまでのトルコ話はコチラ↓
行き先は、土耳古!!
トランジットは戦なり
最古の売春宿
トルコのトイレ事情
君は俺のことが好きなのか?
さてさて、トルコと聞いてすぐイメージできるのは、
ビニョ~ンと伸びるトルコアイス(ドンドゥルマ)やケバブですが
・・・食べ物ばっか!! (=◇=;)
親日家が多いのも特徴のひとつではないでしょうか?
そういえばわたしも中学の頃
「トルコに行くと日本人ってモテるらしいよ!」
「結婚できなかったらトルコ行こう!」
なんて友達に言われたことがある(笑)
実際、トルコと日本の間には助け合ってきた歴史があって
それで親日国なのだ!!
トルコはイスラム圏で、イスラム女性に対して簡単には手が出せない
↓
外国人ならOKそう
↓
日本人はいいカモ♪ ( ̄∀ ̄)
という図式ができているというのもあるとは思うが ( ̄_ ̄ i)
まず、エルトゥールル号事件
1890年 トルコのエルトゥールル号が日本に派遣された。
船だから出発してから日本まで来るのに1年弱かかる
そして、さぁトルコに帰るぞ!と横浜から出港した翌日
台風の強風に煽られたエルトゥールル号は岩にぶつかり
和歌山にて沈没。
600名近くいた乗組員は海へと投げ出され、行方不明となった。
その中で運良く灯台の下に流れ着いた生存者が、
灯台守に船が沈没したことを身振り手振りで伝えると
その地域(大島村)の住民たちは総出で残った生存者の介抱をした。
大島村の住民も台風で漁ができず食料不足だったにもかかわらず、
遭難したトルコ人のために、着るもの、食べるものを惜しみなく分け与えた結果、69名が無事生還。
さらにそれだけでなく、亡くなった乗員たちのお墓まで作った。
このニュースは日本中に広まり、トルコのために!と寄付金が集められ、
遭難者の家族へと送られた。
そして生存者たちは、日本の艦で品川から無事トルコに帰っていった。
自分たちもギリギリの状況なのに困ってる人がいるから・・・と助け合ったのね!!!
ほら、金八先生も
「人という字は人と人が支え合ってできている。
だから人は1人では生きてはいけないのだ!」と言っていたし!
日本の歴史の中でこんなことがあったと知っている人は
いったいどれくらいいるのだろうか?
そして、イラン・イラク戦争
エルトゥールル号の事件から95年後、1985年。
イラクのサダム・フセインが「今から48時間後、イラン上空を飛んだすべての飛行機を撃ち落とすぞ!」と発表
当時イランに住んでいた日本人は急いで空港に向かったものの、
飛行機は満席で乗れずパニック!!
他の国はどんどん本国から飛行機が飛ばされ救援されていくのに、
日本は自衛隊も派遣されず
そんな危険なことはできない
日本から飛ぶのではとても間に合わないだろう
と、誰も助けることができずにいた。
そんな中、イランの日本大使館がトルコ大使館へ助けを求めると、
なんとトルコは日本のために飛行機を飛ばすことを快諾。
日本にはエルトゥールル号の時助けてもらったから、
今度はトルコが日本の力になりたい!
と、2機の飛行機を日本のために飛ばしてくれたのだ!!
もちろん、飛ばすことのリスクはトルコにだってある。
トルコ人だってまだ残っているのに、
日本のためにとトルコは飛行機を飛ばしてくれました。
おかげで、サダム・フセインの発表したタイムリミットまで、あと1時間ほど!!というギリギリのところで、日本人216名はイラクを出ることができた。
この時日本人の多くは、
なぜトルコがそんなことをしてくれたのかわからなかったそうです。
トルコでは教科書にも載っているようなエルトゥールル号事件
日本ではそんなに知られていなかった様子。
それを聞いて、わたしも歴史知らなかった人間ですが教育の大切さを心底感じた
こういうの学生の時に歴史の授業で習ったのかもしれないけど、
残念ながらわたしの記憶にはなかった・・・
そして、日本人が覚えてないような昔の恩義を忘れずにいて、
自分たちの危険も顧みずに日本のためにと手を尽くしてくれたことに感動した。
一見遠くてあまり関わりのない国と思われがちなトルコに
日本との間にこんな深い関係があったとは!
これ、もっと今の中高生にも教えるべきでしょーーーーっ!!
↑ 1クリックが更新の励みになります ↑
Photo Gallery更新しました。