【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2011年12月26日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

前はいつだったか記憶にないほど(とはいいながら何年も間をあけたわけではない)、久しぶりに秋葉原に出かけた。目的はあるにはあったが、絶対にというほどのものではなく、ちょっとぶらついてみたかったという程度のものである。

 

 

普段はどのくらいの混雑なのか。JR高架下に並ぶ、GANDAM CaféとAKB48 Café Shop。どちらも行列を午前中から作っていて、寒風の中お疲れ様といったところ。

 

こんなものもあった。秋葉原UDX脇に鎮座するこれは、一種の記念撮影ポイントともなっていてこれを前に撮影していた人たちが見られた。スーパー戦隊35周年ということで、現在放映中のものもそうだが、これだけ長期にわたって放映が続いていることに敬意を表したい。

 

 

懐かしい名前、高速電脳。かつて店舗のあったところの看板だが、一度はこの看板が隠されていた。しかし、クリスマスの日に見たところ、隠していたものが失われていて、再びお目にかかることになったという状況。

 

 

ツクモタン リナカフェなう! クリスマスの日が営業最終日とあって、いつもは閑古鳥が鳴いていることも多かったここも「最終日+ツクモタン」効果によって、前を通る度に確認したが常に列がある状態だった(無論、GANDAM CaféとAKB48 Café Shopほどではない。というか比較にならないほど短いが)。

 

そんなこんなで、今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年1月8日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

今日(8日)と明日の二日間で、ベルサール秋葉原1階及び地下1階にて「アキバ大好き!祭り」なるものが開催されるというので出かけてきた。ふれこみについては、「アキバ大好き!祭り」を紹介するWebページ(転載時注:転載時時点では存在しない。14年半以上も経っていれば当然か)をご覧いただくとして、どんな様子だったかわずか15分ほどの滞在(理由は後記)であるがご案内しよう。

 

 

まずはベルサール秋葉原前の様子。交差点待ちの方々の後ろに来場者がわずかに見えるが、一般には三連休の真ん中(そして学生諸君は冬休み)ということもあってか、かなり多い人たちが来場していたようである。比較しては悪いが、昨年末のPCゲーム関連イヴェントとは人の多さが違うとだけ言っておこう。

 

 

入り口にはこんな看板が…。私はメイド(新聞社系ではメード)を看板キャラにするのはどうよと思いつつ、ではそれ以外に看板となるようなキャラがあるかと問われれば、このイヴェントに関しては思いつかない(苦笑)。ま、そぅいぅ系のイヴェントだと思って間違いないが、残念なことにホンモノのメイド(メイド喫茶関連ね)の方には遭遇できなかった。地下1階のメイドカフェでお楽しみくださいって感じなのかも。

 

 

会場マップも表にこのように掲載されているほか、中でパンフ共々配布されているため迷いはしない(人によって例外あり)。会場の都合で、というよりも出店している店舗が多いため、一コマ一コマが狭いのが残念。加えて来場者が多いので、じっくり店員と話そうものなら邪魔者以外の何者でもなくなってしまう(これも店舗によって一部例外あり)。よって、縁日のお店を眺めるような感覚で通り過ぎなければならないのが残念となるのである。

 

 

会場の一部であるが、建物の外にも物販店が展開している。そのうちの一つであるちゃあしゅうバーガーの店。あいにく昼食直後であったので、食べる機会を得られなかったが、見た感じ(あくまで見た目です)はおいしそうな印象。B級グルメもブームが終わって久しいが、すっかり定着したという認識を新たにした。

 

 

そしてなぜかミニチュアポニーが一頭だけ。寒い場所でかわいそうに思えてしまうが、一応は暖房があてられてはいた。神田明神のあかりちゃん、というようだが、ちょっとどうなの? といった印象は拭えなかった(動物虐待?…みたいな)。

 

ま、確かに古の(といっても戦後の真空管世代以降)秋葉原から展開されているものを一堂に集めるという試みはなかなか面白い。とはいえ、わずか15分程度でおさらばしたように、これを面白いかと問われてしまうと微妙なのも確か。人それぞれと楽しみ方があるだろうとしつつ、今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年1月29日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

 

この案内板は、東京都渋谷区は若者や観光客などで賑わう神宮前交差点にある案内板である。上から「神宮前出張所」「神宮前区民会館」に続き、どうも上から貼り替えたように見えるのが「はぁとぴあ原宿」である。久しくこのあたりに来たことがなかったので、いったいこの「はぁとぴあ原宿」とはいかなる区の施設(渋谷区マークが付いているため特定)かと思って調べてみたら、正式名称を「渋谷区障害者福祉センター はぁとぴあ原宿」といい、開設は2008年(平成20年)6月1日(命名はその前年)。以前は心身障害者福祉センターといい、1974年(昭和49年)に開設したものが老朽化ということで立て替えになり、新たに命名されたのが「渋谷区障害者福祉センター はぁとぴあ原宿」とのことである。なので、この案内板をはがすことができないので推測となるが、おそらくそれ以前は「心身障害者福祉センター」だったと思われる。

 

おそらくこの案内板は、上二つはかなりくたびれているだけでなく「横断歩道を渡って左⇒」とさえないみずぼらしい追記がある(不思議なのは隣接(同居)する施設なのに案内を二つにわけていることである。またすぐ近くには神宮前隠田区民会館があり、どうせ案内板を出すなら「神宮前区民会館」よりも「神宮前隠田区民会館」を掲出した方がいいだろう)。そして貼り替えたように見える三番目という組み合わせが、かの神宮前交差点には相応しくない案内板だと感じてしまうのだ。

 

そして、気になるのはやはり「はぁとぴあ」という愛称(と思う)。渋谷区障害者福祉センターというだけでは堅いイメージというほかに、障碍者向け施設と見えてしまうことを避ける狙いがあるのかもしれないが、お役所はこういうネーミングが好きだねぇと感じてしまう。良い悪いではなく、ね。

 

なお、はあとぴあというのは、他にも埼玉県朝霞市ほかにあるが、「はぁとぴあ」と二番目にある「あ」の字が小さい「ぁ」となっている点が異なる。後発故に避けたのか、別の理由があるのかは定かでない。個性を発揮してみたということかと考えつつ、今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年2月29日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

今日は東京地方でも雪が積もるほどだったが、こういう日に限ってキャンセルできない出張があったりする。営業など外回りが前提の方々にはお疲れさんとなるが、普段あまり出張することのない私の場合だと、う~む…と思ってしまうのだ(嘆息)。

 

とはいえ、せっかくの雪の日に出かけたわけで、こういう日でないとできないことをやろうと考え、それがPlayStation Vitaの内蔵カメラで町並みを撮影しようとなったのである(って強引すぎか)。なお、以下の写真は撮影したデータそのものではなく、画像処理を行い、サイズをやや縮小している。こうした理由は、いまどき生データをそのまま使うなどあり得ないと考えるからだ。以上を前提として写真を見ていこう。

 

 

今日の出張先の一つは、大田区田園調布。最寄り駅は東急東横線及び目黒線の田園調布駅。私が到着したときには既に雪はほぼやんでいたので、撮影自体は何の困難もなかった。これは、レプリカ然となった田園調布駅舎。保存運動はあったものの、あっさり取り壊され、今ではレプリカが残るのみ。

 

 

そしてこちらは東口を眺めたもの。地下化されたことで見通しはよくなった。何でもかんでも保存するのはどうかという意見もあるが、残せるものは残した方がいいとも思う。

 

 

西口。自動車の通るところや歩行者の歩くところは、除雪作業や踏みつけられるなどして雪が目立たないが、そうでないところは数cmほど積もったのだとわかる。

 

 

駅改札方向を眺める。雪はきれいに片付けられている。すれ違ったこどもに「あの人ゲーム持ってる~」といわれたが、そんなことは気にしない(焦)。

 

 

にしても、今日は寒い。こうしてみると、画像処理を施したとはいえ、それなりに写っているようだ。もっとも最近の携帯電話やスマートフォンには遠く及ばないのだが、撮れるだけましと思うようにしつつ、今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年6月14日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

普段立ち寄っている渋谷駅東口の某店。そこで、今年7月末で店舗移転するのでよろしくと挨拶があった。特に馴染み、というわけではないが面は割れているので(笑)、事情を伺ってみると入居しているビルが再開発によって取り壊されるので移転するのだという。

 

 

場所は、上写真に示した渋谷川沿いに立つ雑居ビル群の一つで、店主曰く「この一帯がみんな取り壊され、跡地は東急が買ってヒカリエ2になるらしい」と。

 

ヒカリエ2かどうかは別にして、渋谷駅東口側は東急がいくつもの物件を購入しているのは確かで、東急東横線が明治通り地下に移ることと関連している。まだまだ渋谷の激変は続くのかと感じつつ、今回はここまで。

 

掲載時追記(2026年9月6日)

今の渋谷ストリーム(の一部)。変われば変わるものだと。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年7月17日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

今回は簡単に。

 

 

近い将来、大きく変わるであろうこの風景。といったところで、簡単にここまで。

 

掲載時追記(2026年9月5日)

全く変わってしまいました。この写真(特に手前側)に写っている大変の建物等が今はない。というか、渋谷スクランブルスクエアで、ほぼ後ろが見えない世界観となっている。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年4月28日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

世間ではGW(ゴールデンウィーク)ということで、海外旅行に行くのが云々とか言っているが、わざわざ混雑していたり料金が高い時に行こうと思わない私なので(その時期にしか行けないという方もあるだろうがそれはそれで)、今回のGWは基本的には近場で済ましつつ、のんびりするのをモットーで行こうと考えている。我が社でも5月1日及び2日は休みとしている部署は多いが、私の統括しているところは残念ながらそうではない。休むのは構わないが、1日か2日のどちらか一方のみを認め二日間続けて休むのは御法度とした。こういうのは早い者勝ちとなりがちなので、鋒を制したのだが、普段誰構わず休みを入れたがる輩からは不評だが、そうでない人達には好評を以て迎えられたようなので、来年もそうしようと思っている。と、我が社の都合はどうでもよく、そんなわけで私も今日から5月6日までの連続休暇ではなく、5月2日のみ出勤する前半と後半に分かれた休暇予定としたのである。で、その初日。一昨日(26日)オープンしたばかりの渋谷ヒカリエに行ってみることにした。

 

 

渋谷への行き方は、出発する場所によって様々な方法があるが、今回は東急東横線を利用し、ここの終点(始点)渋谷駅から向かうことにした。理由は、地上に存在する東横線の駅はあと何か月(十数か月?)程度しかないため、思い出(苦笑)として記憶にとどめておこうという狙いからである。

 

東横線ホームは、ご覧のように渋谷ヒカリエの広告がほとんどで、天井から吊されたセンスあるオブジェが目立つ。渋谷ヒカリエの地にあった、かつての東急文化会館はこの東横線2回改札からそのまま屋根付き歩道橋を経て直結していたが、東横線が地下化した後はどうなるのだろう。JR山手線や東京メトロ銀座線、京王井の頭線との兼ね合いもあるからなくなることはないだろうが──

 

 

いきなり通路は行き止まり状態で、看板には右方向矢印と「渋谷ヒカリエ」はこちら的案内をする人が立っていて、まぁ迷いようはないのだが、私的には通路が遮断されていることに驚かされた。

 

 

というのも、横断通路は従来のものは撤去予定なのか、完全に通行止め扱いとなり(上写真で見ると左側の方)、右側に新たな横断通路ができており、ここが渋谷ヒカリエに直結するようになった。単に老朽化のため作り替えたのか、渋谷ヒカリエとのデザイン性に由来するのかはわからないが、通路は付け替えられたことが確認できた。

 

 

通路を抜ければ、渋谷ヒカリエ入口(2階)となる。右に見える入口を入るとロクシタンやラムフロムがあり、どうやらここは女性向けのショップ集合体のようである。入口に立っていたおっさん(失礼!)も私にはチラシを手渡そうという気配すらなく、私より遠くを歩く女性にチラシを手渡そうとするなど差別扱い(笑)。

 

 

今流行のタッチパネル式フロアガイド。どうやら、地下3階~地上5階まではShinQsとか言うようで、この端末をいじってみれば、なるほど…ShinQs自体が女性向けだと判明。そうであれば、こんな所にいても面白くも何ともないのでさっさと退散。

 

 

一階まで降りて外から見れば、確かにShinQsというロゴもある。渋谷ヒカリエとは全体を指す名称で、ショッピングフロアをShinQsというようだ。なお、8階の一部には渋谷区区民サービスセンターや渋谷区防災センターといった行政施設も入居するが、お役所仕事らしく同日オープンとはいかず、6月4日オープン予定とか。

 

 

地上1階部分。ここを見る限り、渋谷ヒカリエのメイン入口はここではなく、2階の方だと強く感ずる。ただ、今回は行かなかったが、地下3階は東京メトロ副都心線と直結しており、先にふれたように東急東横線は地上2階から地下3階に異動、副都心線と相互直通運転を行うようになるので、東急電鉄としては2階よりも地下3階を主要導線としたいのではないかな…と思ってみたり(東急田園都市線もあるのでそんなことはないだろうが)。

 

 

渋谷ヒカリエを背にすれば、東急東横線のホームがよく見える。こうして見ることができるのもあと一年ほど? 平成24年度には東急東横線が副都心線と直結すると言っているので、もうしばらくしたら見納めになるか。隣接する東急百貨店東横店も、近いうちに取り壊しが決まっているので、渋谷の街も大きく変わっていくのだろう。

 

 

ちょっと離れてみたところから撮影。新しい歩道橋がちょうど円形のところ(アーバンコアとかいうらしい)の正面につながっているのがわかる。ずらしたのはやはり老朽化というよりは、デザイン性を重視したというところか。

 

 

で、渋谷ヒカリエの上の方。真ん中付近は東急シアターオーブがあり、さらにその上はオフィス棟となっている。今回は私事で出かけたので上の方には用はないので行かなかったが、仕事であればここに入居する企業に行く用もできるはずなので、その時はここからの眺めが楽しみである。そんなこんなで今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年4月11日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

というわけで前回の続き。

 

 

宝来公園について前回は色々書いたが、公園そのものは広くはないものの落ち着いた空間で読書にはぴったり。子供たちが遊ぶというよりは、大人のための公園といった方が相応しいか。近くには多摩川台公園もあるので、コストさえ許せばこのあたりに住みたいものだと思う(ムリです)。

 

 

さぁて散策。さすがは田園調布三丁目エリア。家々の庭木は美しく、歩いているだけでも飽きない。桜と緑のコントラストもいいが、電柱と電線が気になってしまう。美しいものの中だとこういうものが目に付くようになってしまうのだ。

 

 

春は暑くもなく寒くもなく散歩日和だと感ずる。年寄り臭い物言いだが(若者から見れば十分に年寄りだろうが)そう感ずるということは、主観的にも客観的にもそうなのだろう。

 

 

下方に東急東横線と東急目黒線を見る。地下化された田園調布駅だが、このあたりから線路は地下に入る。上方は駐車場などに利用されているが、土地の有効活用は都市では当たり前なので行っていて当然ではある。桜も美しい。

 

 

桜花のややアップ。美しいのだが、散るのも早い。儚いねぇ。

 

 

このあたりから東側を眺めれば、かつての田園コロシアムでもあり野球場でもあった、今は田園テニス倶楽部のコート、そしてマンションが見える。このあたりからは、遠く奥沢や雪谷あたりの高層マンション等も見ることができるほど眺めがいい。地上でこれなのだから、建物の二階からではさらにいい眺めだろう。このあたりに住んでみたいものだ(無理)。

 

 

多摩川駅方向に道を進んでいけば、カトリック田園調布教会や聖フランシスコ修道院などが並ぶあたりに出る。復活祭と入口に掲示してあったので、まぁそういうことだろう。どうでもいいが、釈迦の誕生日とキリスト復活の日って同じ日あるいは近いのかな。

 

 

坂を下りきれば、高台に立つ教会を仰ぎ見るようになる。このあたり(写真左側に進む道なり)はちょうど水路が走っていて、宝来公園の池もここに位置する谷地にあたる。起伏の激しい地形なので、田園都市株式会社の造成工事も洗足のように簡単にはいかなかったのだ。

 

以上、多摩川駅付近まで降りてきたので、田園調布散策はこれまでにして、散策中気になったものを一つだけ語っておこう。

 

 

それは電柱にはられている電柱(支柱)名である。これには様々な歴史が刻まれており、地名であったり、最初に電気を引いた事業所名だったり、地元名士の名字だったり等など、実に興味深いものがある。そして、多摩川駅付近から田園調布三丁目の一部には、このような「松茶屋支」という名がはられている。わかる人にはこれがかつて多摩川台にあった松之茶屋に由来しているものだと気付くが、実はこういうものもある。

 

 

こちらは「松之茶屋支」とあり同じNTTのものだが、これには単にNTTとあり、先のものにはNTT東日本とある。つまり、こちらの方が古いのだが、新しい方は「松之茶屋」でなく「松茶屋」と「之」の字が省略されてしまっているのだ。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、こういう表記の揺れによって、いつしか松茶屋が独り歩きすることもあるのではないか。そんなことを考えながら、今回はここまで。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年4月10日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

一昨日は花見と洒落込んでみたが、散策と称した以上、東工大近辺だけでは面白くないので、多少足を伸ばして田園調布付近の散策を愉しんだ。

 

 

田園調布といえば、かつて西口にあった「あの駅舎」となるが、今はもちろん単なるレプリカ。近づいてみればがっかりの張りぼてのもの。かつての駅舎を知るものとしてそう思えるのだから、地元の方々はどうお思いだろう。形だけでも残ってよかったとするのか、それとも東急電鉄の仕打ちに嘆くのか。まぁ、観光客っぽい人達はそんなことお構いなしではあるのだろうが。

 

 

西口駅舎すぐ近くには、あの田園調布会の建物がある。よくある町会会館のようなもの、といってしまえばそれまでだが、社団法人田園調布会は田園都市の伝統を今に引き継ぐ、由緒ある自治会(町会)なのだ。

 

 

銘板も「社団法人 田園調布会」と派手ではないが目立つ位置に掲げられている。田園調布会は、田園都市株式会社が分譲したエリアをほとんど範囲としているのだ(世田谷区にある部分が含まれていないほか、分譲エリア外であるところをごく一部含む)。

 

 

田園調布西口といえば、三本の放射状道路に植えられた銀杏並木であるが、さすがにこの季節はこのようにほとんど葉が見られない。ただし、近づいてみれば新芽が出てきており、春だなぁといった感じ。

 

 

放射状道路三本のうち、もっとも南側の道路を進むと突き当たりは宝来公園にあたる。宝来公園は、もともと田園都市株式会社が調布田園都市の付属物(憩いの場)として管理・運営していたが、田園都市株式会社が目黒蒲田電鉄に合併される際、寄付金(手切れ金のようなもの)と合わせて調布田園都市住民に寄贈された。この財産管理を目的として誕生したのが「社団法人」田園調布会というわけである。(田園都市として最初の洗足も同様に、弁天池公園と寄付金を得て社団法人洗足会となった。)

 

だが、公園管理は一自治会には荷が重く、東京市にこの地域が合併されて2年ほどで東京市に寄贈され、東京市宝来公園となったのである。

 

 

見にくい位置にあるが、寄贈されたことを記念する銘板が残されている。ちょっと不鮮明の部分もあるが、このようなことが書かれている。

本公園ハ多摩川ノ沿岸旧荏原郡下沼部村ノ丘陵ニ位シ附近ハ亀甲山古墳ヲ始メ上代文化ノ遺蹟ニ富ミ風光典雅ニシテ樹木湧水ノ美ハ克ク武蔵野ノ俤ヲ残セリ

大正十四年田園都市ノ開発ニ際シテ特ニ汐見台ノ地ヲ公園ト為 以テ旧景ヲ保存セラレシカ昭和九年十月所有者田園調布会ハ之ヲ本市公園地トシテ寄附セラレ爰ニ施設成リ開園ニ際シテ其由来ヲ刻シ同会ノ芳志ヲ後世ニ伝フ

昭和十一年四月

東京市

最後の一文に「其由来ヲ刻シ同会ノ芳志ヲ後世ニ伝フ」(そのゆらいをこくし どうかいのほうしを こうせいにつたふ)とあるようにこの銘板は地元にとって重要なものであり、残しておくべきものであろう。その一方で、東京都からこの公園を移管された大田区もこのような「宝来公園の由来」を掲示している。

 

ふぅ…(呆)。と、まずは嘆息を出してから(苦笑)。当blogで地域歴史研究関連(特に池上電鉄や目蒲電鉄関連)の記事をご覧いただいている方であれば、私の嘆きもわかってくれよう。以下に引用する。

本公園は、多摩川の沿岸旧荏原郡下沼部村の丘陵に位置し、附近は、亀甲山古墳を始めとする多くの遺跡に富んでいます。園内には、梅、桜をはじめ、クヌギ、シイなど、約70種1500本の樹木が繁り四季折々の自然の美しさは、今も、武蔵野の面影を残しています。

大正14年、田園都市の開発に際し、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布株式会社は、街の一画の汐見台の地を公園用の広場として残しました。その後、田園調布会に贈られ、昭和9年10月、当時の所有者、田園調布会より、東京市に寄附されました。東京市は、当時の金で一万円を投じて整備を行い、昭和11年4月「宝来公園」として開園されました。そして、昭和25年10月1日に大田区に移管され現在に至っています。

昭和61年2月 大田区

ほとんど、昭和11年(1936年)に設置された東京市の銘板のぱくりだが、致命的なところは「田園調布株式会社」としてしまったところだ。無論、正しくは「田園都市株式会社」だが、これを見て得心したものがある。何の書籍か忘れてしまった(どうでもいい内容だったから覚えていないのだろう)が、田園都市株式会社を田園調布株式会社のような勘違いをしているものをいくつか見たが、この大田区の看板から引用したのだとすれば引用者が哀れに思えてくる。何にしても、大田区はこの罪作りな案内板をかれこれ25年(4半世紀)以上も晒しており。その罪は重いと断言しておこう。

 

また、公園内にもこんな案内板があった。

 

 

大田区自然観察路「雑木林のみち」と題するものであるが、昨今のお役所では意味のない組織名変更ブームが続いており、数年毎(ひどい所では2~3年毎)に組織名を変えるなど迷惑千万なのだが、こういうところだけはしっかりと書き換えているようである。だが、多摩川園という2000年(平成12年)8月で改名された駅名は放置されている。約12年前に改名した駅名は放置で、自分の所の組織名はその都度変えているというのはいかがなものかといえるだろう。ついでにいえば、今は存在しない公園管理事務所もそのまま記載されている。

 

 

そして、比較的まともな宝来公園案内図。面白いことにこの案内板には、お役所の管轄や連絡先が書かれていない。頻繁に変わるものだから、あえて載せなかったとしたら英断だとは思うが、本末転倒であるとも感ずる。

 

と、宝来公園の件で思った以上に時間を取ってしまったので、この続きはまた次回。

【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年4月22日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

さて、今回は秋葉原を巡った際、適当に写真撮影したものを眺めていこうという安易な記録。

 

 

秋葉原電気街口方面から西側(中央通り側)を眺めた様子。アキハバラデパートがあったのは遠い彼方の記憶であるが、ラジオ会館も取り壊され寂しい様子。とはいえ、それは昔を知る人のみの感慨であって、今の人にはそんなことはないだろう。オノデンが健在なのがうれしい(坊やも)。

 

 

中央通りまで出て、総武線のガードをくぐり東側を見た様子。電波会館ビルにはかつて古炉奈が入居していたが、今は海賊風のレストランに変わっている。およそ三年前の業態変更だが、今も続いているようだ(入店経験なし)。

 

 

長年、墓標のように残されていたLAOXザ・コンピュータ館の跡も今は昔。ビルはそのままだが、看板などはすっかり取り替えられ、新たなテナントさんが多く入居している。栄枯盛衰といってしまえばそれまでだが、栄光の1990年代を知るものとしてはこれも墓標のように見えてしまう。ぢぢいだね…(苦笑)。

 

 

そうそう、FreeTさんが移転オープンしていたのだった。ということで見に行ってみたら、パチンコ屋さん並の花輪の列が。今はなき、リナックスカフェの前までずらっと並ぶ姿は壮観だが、祇園精舎の鐘の音が聞こえてしまうのは気のせいか…。

 

 

変わったといえば中央通りに面する店舗も入れ替わりが多い。こうして写真撮影して気づく店舗もあったりして、競争が激しいというだけでなく、いかにしてこの場所を知ってもらうかというところからして大変だと痛感。

 

 

さて閑話休題(大した話ではないのに閑話休題もないもんだ、と自覚しています)。東京の地下鉄網は完成したとされているが、こうしてみるとパリなど他の大都市と比べてどうなんだろうと思うところはある。環七通りや環八通りに新交通システムを、という議論はあるが、需要と供給以前に車社会を今のままとしておく時点で困難であろう。

 

そして、相互直通運転という視点で見ると、副都心線の東急東横線乗り入れが残された大きなものだが、東武伊勢崎線に日比谷線並びに半蔵門線が乗り入れるのと同じく、東急東横線も日比谷線と副都心線と複数乗り入れることになる(東急目黒線にも南北線と都営三田線が乗り入れているが、扱い上は南北線のみということもできる)。そうなると、田園調布駅と多摩川駅は、現在でも日比谷線、南北線、都営三田線が乗り入れており、これに副都心線が加われば実に地下鉄4線が直通することになる。路線上は2線しかないのに行き先表示上は東急東横線、東急目黒線、日比谷線、南北線、副都心線、都営三田線となって、初心者にはさっぱり意味不明となるだろう(笑)。

 

といったところで、今回はここまで。