【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2012年11月19日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

1945年(昭和20年)6月に、東京急行電鉄(いわゆる大東急)によって急遽敷設された路線。東急井の頭線(現 京王井の頭線)代田二丁目駅(現 新代田駅)と東急小田原線(現 小田急小田原線)世田ヶ谷中原駅(現 世田谷代田駅。1946年8月に現駅名に改称)間を結ぶ連絡線で、戦時中の突貫路線の一つ。ただし、東急多摩川線の矢口渡駅~蒲田駅間と異なり、1953年までに完全に撤去された。

 

そもそもこの路線は、東急井の頭線永福町検車区が1945年5月に罹災した際、ほとんどの車輌が使用できなくなったことに加え、歴史的に帝都電鉄出自のため、他線との接続が全くなかったことで、井の頭線運行確保のために車輌を他線から移動(異動)させるために作られた。このため、土地は事実上強制収用扱いで、のちに返還要請が起こり、これが当連絡線の廃止理由の大きなものである。

 

©国土地理院

 

1947年の航空写真。ちょっとわかりにくいので、これをベースに簡単な絵解きを追加。

 

©国土地理院

 

図中赤く示したのが連絡線。ちょうど空襲によって家屋などが失われたところに建設されたことがわかる。といったところで簡単にここまで。