【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2010年4月21日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】

 

前編は、慶大グラウンド前駅ができる経緯についてふれ、これが目黒蒲田電鉄における本門寺道駅的な形で実現させたことまでふれた。ここで、位置関係について確認しておこう。かつて、慶應義塾大学新田球場をはじめとする運動場は、現在の東京都大田区千鳥二丁目のうち、12番の西側部分、13~25番、29~32番、35番、37番の北側部分にあたり、今日でも運動場の区画が建物の区画から読み取ることができる。

 

航空写真から見たかつての慶大運動場(現 東京都大田区千鳥二丁目)

 

そして、この慶應義塾大学運動場に目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道の位置関係を表した図も示すと、以下のようになる。

 

 

図左上寄りにある赤いTの字形に書いてあるのが、慶應義塾大学運動場。大正15年(1926年)前半の慶大グラウンド前駅が開設される前の状況である。ご覧のように、慶大グラウンド前駅ができる前は、最寄り駅は光明寺駅となり、目黒蒲田電鉄の武蔵新田駅とは勝負にならないことがわかる。そして、慶大グラウンド前駅設置後は以下のようになる。

 

 

けっして、武蔵新田駅よりも近くはなかったが、とにもかくにも慶應義塾大学運動場には近くなり、駅名も新田球場前駅などではなく、慶大グラウンド前駅なのだから、当たらずとも遠からず、といった印象と言えようか(上図では、光明寺駅と慶大グラウンド前駅とでは大して運動場までの距離が変わらないように見えるが、実際は光明寺駅から運動場までの道路がなく=耕地整理前のため、慶大グラウンド前駅[初代]がこの場所となったのも道路条件によるからである)。

 

だが、慶大グラウンド前駅は本門寺道駅と違う問題を抱えていた。それは、駅間距離の問題である。本門寺道駅は蒲田駅~矢口駅(現 矢口渡駅)間に開設されたが、両駅間はかなり離れており線形も曲線を大きく描いていたこともあって、蒲田駅に近いという印象はあったものの、中間駅を設置できないというほどではなかった。一方、慶大グラウンド前駅は、池上駅~光明寺駅間があまり離れておらず、しかも嶺鵜耕地整理組合の耕地整理進捗具合に左右されて、本来最もいい位置に駅を開設できなかった。加えて、都市計画道路(新京浜国道、現在の第二京浜国道=国道1号線にほぼあたる)に駅の場所が当たってしまい、すぐにでも事業開始されそうな状況であった。いきなり、慶大グラウンド前駅は開設直後、大ピンチを迎えたのである。

 

次回に続く。