【本記事は、かつて存在した XWIN II Weblogに2011年7月21日掲載した記事をほぼそのまま転載したものです。】
東京都世田谷区成城といえば、世田谷区というだけでなく東京都内においても屈指の住宅街であるが、昭和4年(1929年)4月の成城学園(成城第二中学校)移転によって、というよりは成城学園校長 小原國芳氏によって開発された「町」である(実際に成城学園が分譲したのは駅の北側部分のみで、南側は多摩の大地主 鈴木久弥氏の土地分譲)。昭和7年(1932年)10月に、東京市は周辺5郡82町村を合併し、35区からなるいわゆる大東京の誕生となるが、この時、成城はまだ東京市(世田谷区)には入っていなかった。昭和11年(1936年)10月になってようやく東京市世田谷区に編入され、晴れて東京市世田谷区成城町となった(この地域が編入する・しないでもめもめにもめたのも今は昔)。
それから8年3か月後の昭和20年(1945年)1月に撮影されたのが、この写真である。
成城学園前駅を中心とする住宅街と隣駅祖師ヶ谷大蔵駅付近に住宅が見られるが、それ以外はまだ一面の畑や雑木林が目立っている。ちなみにゼンリンの電子地図で、ほぼ同じ場所を示せば以下のとおり。
このあたりは幸いにして、米軍による空襲は受けなかったようで、この写真撮影後に大きな変化は見られない。もちろん、戦後は住宅が次々と増えていったり、高度経済成長やバブル経済を経て、町は大きく様変わりしているが、都市基盤は開発時から大きく変わっていないことが確認できる。やはり、最初にどう開発していくかという青写真によって、その町の運命は定まるということを隣駅との比較も含めて感じつつ、今回はここまで。

