大貫妙子さんが1980年に発表した「ROMANTIQUE」(ロマンティーク)というアルバムがあります。

 「ロマンチック」とせず,あえてフランス語で「ロマンティーク」としていることからも分かるように,フランスを意識したアルバムです。 その中でも,特にフランス,古き良き1910~20年代のパリのモンマルトルを彷彿とさせる「若き日の望楼」という曲があります。
 大貫妙子さんもこの曲を気に入っているようで,セルフカバーとして,「pure acoustic」というライブ盤で取り上げていますし,「カイエ」というアルバムではフランス語バージョンまであります(「Amour levant ~若き日の望楼」)。

 「あの頃 朝まで熱くパンとワインで私たちは語った」
 「馴染みの狭い酒場に通い詰めては仲間たちをふやした」
 「あの頃のあなたも若くてかたくなに愛し合い」
 などという歌詞から,僕は,最初に聞いた時から,1900年前後にモンマルトルで暮らした,有名になる前の芸術家(ピカソ,ユトリロ,ゴッホ,ルノワール,モジリアーニ)などの青春時代を想像して,それこそロマンチックな気分に浸っていました。


 ただ,最近,坂本龍一さんの遺作である「ぼくはあと何回,満月を見るだろう」を読んで別の見方をするようになりました。

 彼はこの中で「20代前半の一時期,大貫さんと暮らしていました」と明かしています。また,この本の中には,「大貫さんと知り合った70年代の頃は,みんなまだ売れていないし,とにかく時間がありました」,そのため麻雀をするために,山下達郎さんや伊藤銀次さんを呼んで,「ひたすら雀卓を囲んで」いたそうです。他方で,大貫妙子さんはこの曲について60年代から70年代の仲間たちとの思い出を歌ったみたいなことを(どこかで)書いておられました。
 そして,この曲は,坂本龍一さんがアレンジし,クラシカルでロマンチックなピアノも彼が弾いているのです。坂本龍一さんにしてはかなり古風でオーソドックスなアレンジに聞こえます。


 そこで,僕は,大貫妙子さんが1900年代のパリをモチーフに坂本龍一さんとの思い出をこの曲に込め,そのうえで彼にアレンジ等を依頼したのではないかと想像するのです。もちろん,ミュージシャンが曲を書く時,モチーフとなる思い出などはあったとしても,他にも様々なイメージを込めるのが通常だと思うので,その思い出だけを歌ったとはいいません。彼女もそのようなことは言っていません。
 ただ,大貫妙子さんが坂本龍一さんのピアノでこの曲を歌った時,当然二人は,多かれ少なかれ共に暮らした時代を思い出したでしょう。音楽を目指す二人はそれこそ,「朝まで熱く」語ったこともあったでしょうし,様々な場所で「仲間たちをふやした」のでしょう。そんな中で,二人は「かたくなに愛し合」ったのではないでしょうか(少なくとも大貫妙子さんはそう信じていた)。


 ただ,(坂本さんの先の本によると)坂本さんに別の相手が出来て,彼から出ていったそうで,このことについて坂本さんは「本当にひどいことをしてしまいました」としています。この曲は,「跡形もない愛の巣 見えぬ時代の壁 帰り来ない青春」という歌詞で締めくくられます。そんなことを思い浮かべながら聞くと,「大家」と呼ばれるようになる前の,無名だったミュージシャンたちの熱き青春の風景が浮かぶようで,この曲への想いが一層深まったような気がします(ただ,先の本によると,坂本氏にとっては,二人の思い出を歌ったのは大貫妙子さんの「新しいシャツ」だそうですが)。